三日前代読者欄は、王妃の声を針箱番号へ移せません
細く巻かれた紙片を、誰もすぐには拾わなかった。
王妃陛下の声が礼拝堂の奥から届いた直後だったからだ。係官は床の紙片よりも、扉の向こうの気配に怯えていた。
「代読者欄へ移す指示……三日前」
堂守見習いの少年が、書見灯の芯穴から落ちた紙片を両手で受けた。彼はもう、落ちたものを受領盆へ入れない。まず、どこへ届くはずだったものかを見る。
紙片には三つの番号が並んでいた。
王妃読了欄。
ミリア本人未読欄。
退職処理済み針箱番号。
そして横に、短い一文。
『上記を代読者欄へ統合』。
係官が息を吹き返す。
「統合指示があるなら、代読者を特定できる。誰が王妃陛下の代わりに読んだのか、ただちに名を出せ」
「名を出す前に、混ぜないでください」
エリナは紙片を奪わず、礼拝堂の小机へ三枚の青札を置いた。
一枚目には、王妃読了欄。
二枚目には、ミリア本人未読欄。
三枚目には、退職処理済み針箱番号。
同じ机に置く。だが、同じ欄には入れない。
「王妃陛下の声は、代読者欄へ移せません。ミリア様の未読は、承認にも罪状にも移せません。私の針箱番号は、誰かの声の代理ではなく、退職後に動かされた職能責任です」
王妃付きの記録係が、奥扉の影から進み出た。灰色の袖をした年配の女性で、手には小さな読了控え板を持っている。彼女は震える係官ではなく、王妃席の小机を見た。
「王妃陛下の読了控え板には、代読者欄がありません。体調でお声が出ない日は、未発声欄に理由を書き、読了ではなく保留にします」
「祝典側の様式では代読が認められる」
係官が言うと、記録係は静かに首を振った。
「それは祝辞文の代読です。本人が読んだことにする欄ではありません」
その一言で、礼拝堂の空気が変わった。
トマが温茶盆の横に立ち、小さな帳面を開く。
「では、王妃読了欄は『本人発声待ち』。温茶盆は、声を出すための席に残します」
堂守見習いは、書見灯の芯穴へ新しい芯を入れず、空の穴を青糸で囲った。
「灯がない間に出た紙片は、灯の代わりに読ませません。芯穴から出た指示として保留します」
マルタは、自分の夜番外套の端を抱きしめたまま、二枚目の青札を見た。
「ミリア様の未読欄は……私の外套と同じ棚に置いてください。まだ帰っていないものを、祝典材料にしない棚に」
エリナはうなずいた。
「ミリア様本人が読むまで、未読欄は未読欄です。誰かの罪を乗せる布にも、王妃陛下の声を借りる布にもなりません」
係官が唇を噛む。
「なら、その針箱番号は何だ。退職処理済みなら、もうおまえのものではない」
胸の奥が、一瞬だけ冷えた。
退職処理済み。処理済み。返納済み。
その言葉で、エリナの仕事は何度も他人の棚へ移されてきた。
けれど、いま机の上には、王妃の声とミリアの未読と、自分の針箱番号が別々に置かれている。
エリナは三枚目の札に、針箱番号を写した。
「退職済みなら、なおさらです。退職後にこの番号を使って誰の読了欄を動かしたのか、職能責任の到着先を書かなければなりません」
「責任など、王太子側管理室が引き受ける」
「引き受けた人の名がありません」
エリナは三枚目の札を、代読者欄の上ではなく、針箱返却保留窓口の控え箱へ入れた。
「この番号は、声の代理ではなく、未引継ぎ責任です。誰が私の針箱を、王妃陛下とミリア様の欄を混ぜる鍵にしたのか。その到着先が読めるまで、代読者欄へは移しません」
王妃付きの記録係が、読了控え板へ一行を書いた。
『三日前統合指示、生活影響三分割。王妃本人発声待ち。ミリア本人読了待ち。針箱職能責任、引継ぎ先未記載』。
それは犯人名ではなかった。
けれど、三人の名を一つの欄に潰さないための、最初の読める文だった。
奥扉の向こうで、王妃陛下が短く息を吐く。
「その控え板を、礼拝堂保管庫へ。三日前の原簿を出しなさい」
係官の肩が跳ねた。
記録係が保管庫の鍵束を取り出す。鍵の一つに、見覚えのない紫糸が結ばれていた。
その札には、こう書かれている。
『候補者声紋予備欄・王太子側管理室へ貸出済』。
王妃の声は、まだ誰にも貸していないはずだった。




