ミリアの受領前メモは、妹の罪状ではなく読めなかった同意欄です
貸出棚三番の奥から出てきた小さな紙片を見た瞬間、夜番針子のマルタが息を呑んだ。
そこには、ミリアの丸い花文字で一行だけ書かれていた。
『外套は借ります。礼服芯にはしないでください』
王太子レオンは、すぐにそれを指で弾いた。
「見たか。自分で借りると書いている。ミリアは承知していた。ならば外套の扱いも、候補者衣装への転用も、本人の意思だ」
「いいえ」
エリナは紙片を拾い上げる前に、青い保留札を机へ置いた。
メモは、責めるために読むものではない。
まず、誰の生活手順を止めているのかを読むものだ。
「殿下。この紙は、同意書ではありません。受領前メモです」
「同じだろう。借りると書いてある」
「同じではありません。借りる、は外套がミリア様の肩に届くまでの言葉です。礼服芯にはしないでください、は外套がどこへ行ってはいけないかを示す言葉です。二つを合わせれば、これは転用同意ではなく、転用拒否の保留線です」
エリナは紙を裏返した。
候補者控室の普通紙ではない。王太子側管理室で使われる、生活影響明細の控え紙だった。端に薄く、項目名だけが残っている。
着用者名。
帰宅時刻。
夜番外套返却先。
本人読了欄。
最後の一列だけ、刃物でまっすぐ切り落とされていた。
「読了欄がありません」
セリアがつぶやくと、マルタは震える指で自分の賃金札を押さえた。
「じゃあ、ミリア様は……読んだことにされる前に、この一行だけ残したんですか」
「可能性があります。だから今、私たちがしてはいけないのは、ミリア様を犯人名で閉じることです」
エリナは返却窓口の帳面を開き、三つの欄を新しく引いた。
借りた外套。
転用拒否の一文。
切り取られた本人読了欄。
「外套は借りられている。けれど、芯布へ回してよいとは書かれていない。本人が読んだ欄はない。なら、このメモは罪状ではなく、まだ閉じてはいけない同意欄です」
「また空白か」
レオンは苛立って机を叩いた。
「空白を守ってばかりでは祝典が進まない。王家の衣装は明朝までに立ち上げなければならないのだぞ」
「祝典より先に、帰る外套です」
エリナは静かに答えた。
「マルタさんの夜番外套は、帰宅路で肩を冷やさないためのものです。南門通過札は、外套を着た人が門で止められず帰るためのものです。ミリア様のメモは、その外套を礼服芯にしないでと言っています。つまり、この紙が守っているのは、王家の都合ではなく、誰かが帰るための布です」
王妃付きの侍女長が、初めて紙片へ顔を近づけた。
「生活影響明細の控え紙……候補者控室ではなく、管理室保管の紙ですね。なぜミリア様がそれを持っていたのでしょう」
「持っていたのではなく、渡されたのかもしれません。読了欄を切り落とされた控えだけを」
エリナは、メモを新しい青札に挟んだ。
青札の上には、こう書く。
『本人読了欄切除につき、ミリア様の同意として使用不可。外套は帰宅棚三番へ保留』
マルタの肩から、少しだけ力が抜けた。
「それなら……私の外套、まだ私の帰るための外套として数えてもらえますか」
「数えます。外套が帰るまで、人も帰っていない。これは昨日決めた帰宅棚三番の規則です」
エリナは棚の三番に、夜番外套の予備札、南門通過札、マルタの賃金札、そしてミリアの受領前メモを並べた。
四つは別々のものに見えて、同じ条件を示していた。
布が肩に届くこと。
門を通れること。
賃金が本人へ届くこと。
同意欄を本人が読めること。
どれか一つでも欠ければ、外套は帰っていない。
「この棚を、ミリア様への断罪棚にはしません。本人が戻って読めるまで、メモはメモのまま守ります」
レオンの顔が赤くなった。
「では、祝典衣装の芯はどうする。王家の核が空くではないか」
「空くのではありません。まだ誰の同意でも埋められないだけです」
その言葉に、侍女長が小さく頷いた。
だが、頷きが終わる前に、王太子側管理室の使いが駆け込んできた。
彼は封蝋のついた細長い封筒を差し出した。
「管理室より、候補者衣装緊急補完命令です。切除された読了欄は、王太子殿下の確認をもって補完済みとする、と」
エリナは封筒を受け取らず、青札の隣に未開封保留札を置いた。
補完、という綺麗な言葉の下で、誰の肩と帰り道が動くのか。
まだ、生活影響明細が添えられていない。




