ぜんぶお前のせい
それからも、二人は鉄級の依頼をこなした。
井戸の修繕補助。街道沿いの標識の修復。荷物運搬の護衛。地味な仕事ばかりだった。冒険者と言えば聞こえはいいが、荒事に向いた便利屋にすぎない。
そんな中で、気の利いたことも言えず、火力頼みの魔術しか能のない自分が、重く扱われないのは当然だ。——口には出さないが。
その点、シャムロックは違う。態度こそ無愛想だが、グレンのように、誰彼構わず無用な軋轢を生んだりはしない。上手くやる男だ。
見習わなければ。
荷物運搬の依頼中に、そう思った矢先のことだった。
依頼人の商人が、やたらと話の長い男だった。荷の積み方がどうの、昔はもっと物騒で命がけだっただの、一向に本題に入らない。
シャムロックは、最初こそ適当な相槌で流していた。だが、徐々に「や」「だから」と、言葉を挟むものに変わっていく。
「んで。これどこに運ぶんスか」
棘のある声だった。投げるような言い方に「面倒」「いい加減にしてくれ」という不満が、隠しようもなく滲んでいる。商人が鼻白んだ。
軋轢……生まれてるな……。
知らず、グレンの眉が寄る。
そういえばこの男、ルドガーの相手も面倒くさがって嫌がっていた。
さっきの考えを、そっと取り下げる。
見習うべきところは見習う。そうでないところは反面教師にしよう、と。
◆ ◆ ◆
冒険者街と商業区の境。通りに面した食堂の前で、グレンは足を止めた。
木の看板に、本日の献立が殴り書きされている。豚肉と根菜のシチュー。黒パン付き。
銅貨三枚。
以前の自分なら絶対に選ばなかった値段だ。店の外装も上等とは言いがたい。
だが、扉の隙間から匂いが漏れてくる。肉の脂と、煮込まれた野菜。塩と——何かのハーブ。
美味しそうな匂いだ、と思った。
食べてみたい、と思った。
シャムロックは、何歩か先を歩いている。
「シャムロック」
「うん?」
緑髪が振り返った。
「ここで食べたい」
「おう」
それだけだった。
食べたいものを、自分で選んだ。店を選んだ。今まで一度もやったことのないことだった。
安い食堂で一番安いものを食べる。依頼先で出されたものを食べる。干し肉を齧る。それが、食事だった。食べたいものを自分で選ぶ。たったそれだけのことを、十九年生きてきて初めて成した。
「いらっしゃい!」
大柄な女が、元気のいい声で迎えた。カウンターしかない小さな店だった。
木の椀に、豚肉のシチューがなみなみと注がれる。
木の皿には黒パン。木のジョッキにエール。大きめに切られた豚肉が、椀の中で主役を張っていた。人参、玉葱、蕪。キノコも入っている。
匙で掬って、口に運ぶ。
豚の脂が溶け出た汁に、根菜の甘みが染みている。肉は柔らかく、匙の縁で一口大に切れた。
「へぇ」
隣で、シャムロックが声を漏らした。
「当たりだな、この店」
小声で、同意を求めてくる。
「うん、美味しい」
自分が作ったわけでもない。ただ店を選んだだけだ。それなのに、自分の選択を受け入れてもらえるということが、こんなにも胸を暖かく、くすぐったくさせるのか。
シチューにパンを浸し、椀の底をぬぐって食べきった。
もう少し食べられる。食べたい。そう思ったが、その言葉は、まだ少し高いところにあった。
◆ ◆ ◆
さらに、数日が過ぎた。
二人で、日々依頼を重ねる。
「グレンさん、シャムロックさん。支部長がお呼びです」
受付に呼び止められた。
◆ ◆ ◆
支部長室に入るのは、二度目だった。
机の向こうに、ルドガーが座っている。灰色の短髪、整えた口髭。鋭い緑の目。書類の束を脇に寄せ、二人を見た。
「ラーデン村の報告を読んだ」
「はい」
「岩石蜥蜴の討伐と、風斬鷲の保全。適切な現場判断だった」
ルドガーが、書類を一枚取り上げる。
「そこで、直近の活動状況も含めて、君たち二人の実績を改めて確認した。ベオルン盗賊団討伐、霧獣討伐への参加、ナッシュパーティとの実力検証、ラーデン村の獣害対策」
呼吸を一つ、置いた。
「二人とも、鋼級にふさわしい人材だ」
「どうも」
シャムロックが返す。いつも通りの、気怠い声だった。
グレンは、何も言えなかった。
ルドガーが、二人の顔を見た。グレンの顔を、少し長く見る。それから机の引き出しを開け、二枚の証書を取り出した。冒険者ギルドの紋章が押された羊皮紙。鋼級の認定証だった。
「受付で、証の差し替えを済ませてくれ。以上だ」
◆ ◆ ◆
言われた通り、受付で鋼級の冒険者証を受け取った。
ギルドを出る。夕方の街は、橙に染まり始めていた。
首から下げた冒険者証には、鋼級と刻印されている。
冒険者になって三年間、手の届かなかった証が、今、手の中にある。
手が届かなかった理由は、魔術の腕ではない。わかっている。誰とも組めなかったからだ。
指示に従わない。連携が取れない。お前とは組めない。——何度も言われた。自分のせいだ。
そして、シャムロックと出会った。
ゴランの護衛依頼で、偶然、隣に立った。それだけだった。
それだけで、三年分の距離が、急速に縮まった。
ベオルンを倒し、霧問題を解決し、岩石蜥蜴を倒し——気がつけば、こうなっていた。
何の苦労もなく。
いや、苦労はあった。死にかけた。何度も。
それでも、だ。
独りでいた三年間と、シャムロックと出会ってからの数週間。天秤にかければ、この数週間の方が、ずっと、何倍も重い。
「……」
言葉を選べなかった。
悔しいのか、虚しいのか、嬉しいのか。どれでもあって、どれとも違う気がした。
足を止めてしまったグレンを、数歩先で、シャムロックが見つめていた。
◆ ◆ ◆
(俺は、知らないことだらけだ)
灯りを落とした宿の寝台で、グレンは考える。
自分は、何も知らない。
人が社会の中で、自然と身につけていくはずの知識も、振る舞いも、何一つ。
シャムロックと出会わなければ今も、一人で受けられる依頼だけを受け、豆のスープをすすり、干し肉を齧るだけの生活だっただろう。あるいは、ゴランの護衛途中でベオルンに出くわし、殺されていたか。
全部、シャムロックと出会ったからだ。
いいことなのか、悪いことなのか、わからない。知らなければ、欲しがることもなかった。風呂も、ハーブの味も、焼き菓子も、自分で店を選ぶことも。知ってしまえば、もう、知らなかった頃には戻れない。一人で平気だったはずなのに。今は、この男がいなくなったらと考えると——そこで、思考が止まる。
全部、こいつのせいだ。
「……ぜんぶ、お前のせいだ」
届かなくても、構わなかった。
言ってしまえば、糸が切れたように瞼が重くなる。グレンの呼吸が、じきに寝息に変わった。
隣の寝台が、軋んだ。
シャムロックが寝返りを打つ。窓から差す月明かりの中、眠ったグレンの横顔が、青白く浮かんでいた。力の抜けた、無防備な寝顔だった。
ふっ、と。
シャムロックの口元が、ほどけた。
第三章 一人から二人 完結です。
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