塩焼きとハーブ焼き
村に戻ると、一晩干しておいた蜥蜴の素材を、村人がまとめてくれていた。鱗と、牙、爪。麻袋の口を縛り、シャムロックに渡す。
シャムロックが袋を持ち上げた。重さを確かめ、自分の背嚢の横に括りつける。
「俺も持つ」
グレンが言った。
「いいって」
「持つ」
「……わかったよ」
シャムロックが背嚢を開け、中から調理セットの小鍋と予備の縄を取り出し、グレンの背嚢に入れた。蜥蜴の素材はそのままシャムロックの背嚢にある。実質的な重量の移動は、わずかだ。だがグレンの背嚢が、少し重くなった。それだけで、後ろめたさが一段、軽くなる。
ヘルマンが広場に出てきた。
「もう一晩、泊まっていかんか。妻が夕飯の支度をすると言っている」
「ありがたいんですが、仕事は終わったので戻ります」
グレンが答えた。丁寧に。明確に。ヘルマンは「そうか」と頷いた。引き留めはしなかった。村長の顔は、昨夜の問答のときとは、別の顔をしていた。
ヘルマンの妻、マルタが駆けてきた。手に布包みを持っている。
「これ、道中で食べて」
差し出された布包みを受け取った。掌に収まる大きさ。温かい。布の隙間から、蜂蜜の匂いがした。焼き菓子だ。蜂蜜と山羊乳のバターで焼いた、素朴な菓子。
「いいなー!」
近くにいた子供が、包みを指さして声を上げた。すかさず母親らしき女が、その頭を軽く小突く。子供が口を尖らせた。
グレンは包みを見下ろした。
いくらですか、とは言わなかった。
「ありがとうございます」
声が、自分の耳に届いた。不自然ではなかった。喉につかえず言えた。
マルタが、にっこりと笑う。
「気をつけてね」
◆ ◆ ◆
村の出口で、オルドが待っていた。
小径の脇に立ち、腕を組み、片方の目でグレンたちを見ている。見送りに来たのか、他の用事なのか、姿勢からは読めなかった。
グレンはオルドの前で足を止めた。
「あんたの話を聞いて、良かった。ありがとう」
短く、事実だけを言った。オルドの情報がなければ、蜥蜴の存在に気づかなかった。鷲を殺して帰っていた。蜥蜴が放牧地に来て、もっと酷いことになっていた。オルドの話を聞くと決めたのはグレンだが、話をしに来たのは、オルドだ。
オルドは、何も言わなかった。
しわがれた顔の、片方の目がグレンを見ていた。それから小さく、一度だけ顎を引く。頷き。それだけだった。
シャムロックが横を通り過ぎるとき、オルドに軽く手を上げた。オルドは手を上げ返さなかった。だが、視線は返した。
◆ ◆ ◆
丘を一つ越えたところで、グレンが振り返る。
村は丘の向こうに沈んでいた。共同竈の煙だけが、まだ見えている。薄く、細く、空に溶けていく。
柵の支柱に差した風切羽は、ここからは見えない。だが、あそこにある。風に揺れている。
振り返るのをやめて、前を向いた。
シャムロックが半歩先を歩いている。いつもの緩い足取り。
街道が、真っ直ぐに伸びている。その先に、セルディアがある。
懐の布包みが、歩くたびに揺れた。蜂蜜の匂いが、微かに漂う。まだ、温かい。
◆ ◆ ◆
「そろそろ休憩しようぜ」
シャムロックが街道を外れ、脇の斜面を降りていった。草を掻き分けて進む背中が、木立の間に消える。その先から、水音が聞こえた。小川だ。
「あ、おい!」
グレンが後を追う。斜面を降りると、人の背丈ほどの幅の浅い流れが、岩の間を縫っていた。水底の石が透けて見える。冷たそうな水だった。川沿いの空気が、ひんやりと肌に触れる。
時刻は昼下がり。腹は減っていた。
シャムロックは既に荷を降ろしている。グレンに向かって、手のひらを揺らした。
「串出せ、串」
「え、あ、うん」
背嚢に移した調理セットの中から、鉄串を取り出してシャムロックの手に乗せた。シャムロックは立ったまま、川面を見つめている。
次の瞬間、腕が振られた。鉄串が水面に突き刺さる。短い水しぶき。やがて、串に貫かれた魚が一匹、腹を上にして浮かび上がってきた。
ほんとにこいつ、何でもありだな。
シャムロックは続けて二匹、三匹と仕留め、流れから引き上げた。岩の上で手早く腹を裂き、内臓を抜き、川水で洗う。慣れた手つきだった。下処理を終えた魚に、串を打ち直す。
「塩とハーブと、どっちがいい」
「え……」
「味付け」
どっちと言われても困る。ハーブのことは、まだよくわからないままだ。
「……塩」
シャムロックが、ああ、と思い出したように言った。
「ハーブ知らないんだったな、お前」
「知ってるけど、食べる用のは知らないだけだ」
「丁度いいから食べ比べしてみろよ」
魚の半分を塩で、半分にあの緑の葉を振る。火にかざすと、塩焼きとは違う香りが立ち昇ってきた。青く、少し甘い。いい匂いだ、と思う。
「知らないことは、知っていけばいいんだよ」
シャムロックが火加減を見ながら言った。視線はグレンに向いていない。
昨夜の言葉が蘇った。経験が足りない。だから、これから積んでいけばいい。——あの声と、同じ温度だった。
「うん」
小さく頷いた。
「そろそろ焼けたかな」
皮に、香ばしい焼き目がついている。シャムロックが塩焼きの一匹にかぶりついた。
「うん、美味い」
グレンも塩焼きを齧る。
塩をまぶしているのに、ほんのりと甘い。もちろん、塩の味もする。一人のときにも魚を焼いて食べたことは、あった。そのときは、魚とはこういうものなのだろうと思っていた。それだけだった。
だが今、口の中にあるものは、暖かく、柔らかく、ほどけていく。自分の焼いた魚とは、まるで違った。
塩焼きを食べ終えたシャムロックが、ハーブ焼きに手を伸ばす。
「うん。こっちも美味い」
遅れて塩焼きを平らげたグレンも、ハーブ焼きを取った。香りがいい。塩焼きの香ばしさとは、別の匂いがする。齧ると、香りと混じって、塩焼きより複雑な味が広がった。
気づけば、夢中で食べ進めていた。
その横で、シャムロックがかすかに笑っている。グレンは気づかない。シャムロックも、自分が笑っていることに気づいていないようだった。
「ハーブって、すごい。同じ魚なのに全然違う」
「そうだろそうだろ」
「そっか……これが『美味しい』なのかな」
口にしてから、グレンは自分の言葉に首を傾げた。これでは『ハーブ焼きは美味しい。塩焼きは美味しくない』にならないだろうか。
「塩の方も。塩なのにしょっぱいだけじゃなくて、甘くて……甘い」
それ以上の言葉が、出てこなかった。
「塩加減ってやつだな。言ったろ? どうせなら美味い方がいいって」
頬が、少し熱い。グレンは小さく頷いた。
「うん。美味しい方が、いい」




