岩石蜥蜴 対 氷の槍
三人は岩場を移動し始めた。
オルドが先頭に立ち、地面の痕跡を拾いながら、岩と岩の間を慎重に進む。引きずり跡の新旧を読み、爪のかかった窪みの向きで、進んだ方向を辿っていく。シャムロックがその半歩後ろ。すでに剣を抜いていた。切っ先を下げ、いつでも振り上げられる構えのまま、左右の岩陰へ目を配っている。グレンは最後尾。杖を前方に構え、周囲の岩壁に目を走らせていた。
灰色の岩。灰色の砂。灰色の苔。すべてが同じ色調の中で、蜥蜴は完全に溶け込む。目で見つけるのは、不可能に近い。動かなければ、岩と区別がつかない。
オルドが足を止めた。
手を上げる。停止の合図。声は出さない。
屈み込み、砂の上の痕を見ている。新しい引きずり跡。その先を、目で追った。それから、ゆっくりと顔を上げ、耳を澄ます仕草をする。
グレンも気づいた。
虫の音が、消えている。
ここまで微かに続いていた羽音や鳴き声が、この一帯だけ、途絶えていた。風だけが、岩の隙間を縫って鳴っている。
オルドが、ゆっくりと右手の岩壁を指した。引きずり跡が、その方向へ伸びている。
グレンは目を凝らした。灰色の岩。裂け目。苔。影。
何も見えない。
だが、痕跡はそちらを指している。静寂も、何かが潜んでいることを告げていた。グレンは杖の先を、右の岩壁へ向けた。
◆ ◆ ◆
跡に気を取られていた。視線は右の岩壁、オルドの指した先へ向いていた。
左だった。
地面に這いつくばっていた灰色の塊が、一息で跳ねた。砂が爆発するように飛び散り、蜥蜴の巨体が横合いから突進してくる。引きずり跡は、囮のように右へ伸びていた。だが本体は、そこから逸れた窪みに、身を伏せていたのだ。
「——ッ!」
シャムロックの身体が動いた。考えるより先に。
左手でオルドの襟首を掴み、自分の背後へ放り投げるように押しのける。右手の剣は、すでに振りかぶられていた。蜥蜴の頭部が迫る。口が開いている。牙が並んでいた。
踏み込んだ。腰を落とし、体ごと捻る。肩から腕、剣身の先まで、全身の力が一本に繋がる。その渾身を、蜥蜴の鼻面へ叩きつけた。
鈍い音が、岩場に響いた。
蜥蜴の頭が、横へ大きく弾かれる。突進の軌道がずれ、シャムロックの肩を掠めて、巨体が脇を通過していった。硬い鱗が、マントの布を裂く。
オルドは地面に転がっていた。受け身を取る暇もなく投げられたが、岩壁にぶつかる前に、シャムロックの手が方向を制御していた。老人は歯を食いしばり、膝をついて起き上がりかけている。
突進が来た瞬間、グレンは跳び退っていた。反射的に後方へ距離を取っている。三歩。四歩。杖を構え直す。心臓が、跳ねていた。
(全然気付けなかった)
油断はしていなかった。それでも欺かれた。擬態の精度に背筋が凍る。
蜥蜴が旋回した。四肢が砂を掻き、体の向きを変える。小さな目が、グレンたちの位置を捉えている。
シャムロックが、蜥蜴とオルドの間に立った。剣を正面に構える。
蜥蜴がシャムロックに向かって踏み出した。口を開き、前脚を振り上げる。シャムロックが横に転がって回避する。爪が空を切り、地面を抉った。石が砕ける。
続けて、尾の一撃がシャムロックの足元を掃いた。跳躍して躱す。着地と同時に、剣を振り下ろした。両腕に体重を乗せ、蜥蜴の側面へ叩き込む。甲高い音が響くが、鱗の表面で弾かれる。皮一枚すら断てない。
蜥蜴は怯まない。痛くないのだ。シャムロックの全力の打撃が、あの鱗の上では羽虫の一刺しに等しい。
それでもシャムロックは退かなかった。蜥蜴の前に立ち、攻撃を受け、打ち返し続ける。通らなくても、届かなくても。蜥蜴の意識を、自分に留めるために。
オルドと、グレンの方へ行かせないために。
グレンは距離を保ちながら、杖を構えていた。五歩。この距離でも尾が届く可能性がある。
シャムロックが押されている。攻撃が通らない相手との消耗戦は、時間がシャムロックに味方しない。体力が先に尽きる。
火は、この距離なら撃てる。だが岩場は乾いている。延焼する。蜥蜴以上に山を荒らしては本末転倒だ。
氷柱は——まだ早い。蜥蜴が動き回っている間は、腹の下に正確に生成するのが難しい。
雷。
線の攻撃。速い。装甲を無視できる。動いている相手にも当たる。殺せはしないだろうが、動きを止められるかもしれない。少なくとも、怯ませることはできる。
杖を蜥蜴に向けた。
イメージを描く。杖の先端から蜥蜴の胴体へ、一直線に走る光。空気を裂く速度。
白い光が一瞬、岩場を昼のように照らした。空気が弾ける音。蜥蜴の胴体に雷撃が直撃し、鱗の表面で火花が散る。
蜥蜴の体が痙攣した。四肢が硬直し、動きが止まる。シャムロックが息を継ぐ時間が生まれた。半歩退がり、構えを立て直す。
だが三秒で、蜥蜴は動き始めた。頭を振り、四肢を踏み直す。硬直から回復する速度が速い。そして——蜥蜴の首が、回った。
グレンの方を、向いた。
黄色い虹彩の中の縦長の瞳孔が、グレンを捉えている。さっきまでは複数の脅威として均等に警戒していた目が、明確に一人を選んだ目に変わっていた。
蜥蜴が、グレンに向かって突進した。
「——来るぞ!」
シャムロックが叫び、蜥蜴の後ろから追いすがった。剣を大上段から振り下ろす。後脚の付け根へ、全体重を乗せた一撃。鱗は断てない。だが、打撃の衝撃が脚を狂わせた。蜥蜴の後脚が一瞬よろめき、突進の速度がわずかに落ちる。
だが、止まらない。
グレンは横に跳んだ。蜥蜴の顎が空を噛む。風圧が頬を叩いた。牙の間から、腐肉の匂いが噴き出す。
蜥蜴は続けて旋回し、尾を横薙ぎに振った。
シャムロックが地面に伏せて躱す。尾が頭上を通過する。風圧で髪が逆立った。尾の先端が岩に当たり、表面が砕ける。
蜥蜴の注意がシャムロックに戻りかけたその瞬間、鋭い金属音が響いた。
オルドの投げたナイフが、蜥蜴の顔面に弾かれた音だった。
傷一つ付いていない。だが顔面を掠めた刃は、蜥蜴の注意をわずかな間だけ宙に浮かせた。
蜥蜴がオルドの方に首を振る。その、一瞬だった。
グレンは杖を地面に突き立てた。
意識を足元に沈める。砂と小石のその下に。土の層が蓄えている水分を手繰り寄せる。蜥蜴の体の、腹の直下に。
砕けた土と砂が噴き上がり、その中から、氷の槍が垂直に突き上がる。
鱗の薄い腹を氷の穂先が貫いた。巨大な身体が視線より高く持ち上がる。赤黒い体液が、氷の表面を伝って滴り落ちる。
蜥蜴の四肢が、宙で痙攣した。
声にならない呼気が、開いた顎から漏れる。前に進もうとした足が宙を掻く。
尾が一度大きく空を切った。
それきり、動かなくなった。




