ラーデン村
簡素な木の柵で囲われた村だった。街道から続く小径が、その途切れ目をくぐって家屋の間へ入っていく。門と呼べるほどのものはなく、衛兵もいない。
道端で農具の手入れをしていた男が、こちらに気づいて手を止めた。
「どうも。害獣駆除の依頼受けて来ました」
シャムロックが片手を上げた。声は軽いが、通る。
「どうも」
グレンが横で、短く頭を下げた。
男の顔に、目に見えて安堵が広がる。農具を置いて立ち上がり、泥のついた手を腿で拭った。
「助かった! 依頼を出したものの、来てくれるかどうか……いや、とにかく村長のところへ。こっちです」
足早に歩き出す男の背を追う。道の脇に積まれた薪の匂い、鶏小屋から漂う羽毛と糞の匂い、どこかの竈で煮える豆の匂いが、入れ替わり立ち替わり鼻に届いた。夕暮れが近い。影が長い。家々の窓から洩れる灯りが、一つ、また一つと点り始めていた。
村長の家は、広場の北側にあった。村では大きな建物だが、セルディアの商家と比べれば質素だ。石の土台に、木造の二階建て。軒先に乾燥ハーブの束が吊るされ、風に揺れるたびに、青い香りが散った。
◆ ◆ ◆
村長はヘルマンという、五十がらみの男だった。日焼けした顔に、深い皺が刻まれている。手が大きい。農具を握り続けてきた手だ。隣にはヘルマンよりいくらか年下の、丸顔で手首の太い女。妻のマルタと紹介された。
「狭くて申し訳ないが、うちの客間をお使いください。村には宿がなくてね」
客間、という言葉に、グレンは一瞬、怯んだ。
厚意なのか。それとも、後で宿代を請求されるのか。聞くべきか。だが、隣のシャムロックは気負わず「助かります」と受けている。何も気にした様子はない。
聞きそびれたまま、案内が始まった。グレンは軽く頭を下げて、後に続いた。
客間は、二階の奥の部屋だった。狭いが清潔で、寝台が二つ並んでいる。窓から入る夜風が涼しい。虫の声が近い。セルディアの宿とは違う静けさだった。壁の向こうに、街の喧騒がない。代わりに、家畜の鼻息と、遠くで犬が吠える声が聞こえた。
装備を外し、寝台に腰を下ろす。シャムロックは向かいの寝台で、既にマントを脱いでいた。
「あのさ」
グレンが口を開いた。声は低い。
「この部屋って、金取られる?」
シャムロックが手を止めた。革帯を半分解いたまま、こちらを見る。
「村のために来た相手に寝床を提供するのは、普通だろ。宿屋がないんだから」
「……そういうものか」
「そういうもんだよ」
シャムロックの声に、苛立ちはなかった。確認事項に答えているだけの平坦さ。グレンにはそれがありがたかった。笑うでも呆れるでもなく、ただ「そういうものだ」と返される。
腑に落ちたかと言えば、落ちていない。
だが、シャムロックが問題ないと言うなら、問題ないのだろう。
◆ ◆ ◆
夕食の席が用意された。黒パンと、豆と根菜のスープ。山羊チーズが二種類、硬さと色の違うものが木の皿に並んでいる。ゆで卵が二つずつ。麦酒は、客用らしい陶器の杯で出された。
食事をしながら、ヘルマンが被害の説明を始める。
「三ヶ月前からだ。最初は鶏だった。小屋から出している隙に三羽やられた。その後が山羊だ」
声が低くなる。
「放牧中に二頭攫われた。一頭は子供たちの目の前だった。影が差したと思ったら、もういなかったと。鳴き声だけが、空から聞こえたそうだ」
グレンは、パンをちぎる手を止めた。子供の目の前で。さぞ怖かっただろう。
「羊も一頭やられた。自警団で弓を射ったが、速すぎてかすりもしない。仕方なく、ギルドに……正直、銀貨十枚は、村にとって大金だ」
ヘルマンの視線が、一瞬だけテーブルの上の食事に落ちた。この食事も、その大金の一部から出ているのかもしれない。
グレンは、自分の手が止まっていることに気づいた。パンを口に運ぶ。噛む。黒パンは硬く、酸味がある。スープに浸すと、少し柔らかくなった。
話を、頭の中で並べていく。鶏、山羊、羊。三ヶ月。被害は空からの襲撃。
「営巣地は」
パンを置き、ヘルマンに目を向ける。
「南の岩山だ。岩肌が剥き出しになったあたりに、旋回しているのを何度か見た」
「距離はどのくらい」
「丘を二つ越えたところだ。子供の足で、半刻ほど」
「襲ってくる時間帯は」
「朝から昼にかけてが多い。放牧に出すのがその時間なので」
グレンは黙って聞いていた。営巣地、距離、時間帯。頭の中に、情報が並んでいく。まず、現場を見る。痕跡があれば、行動が読める。
「放牧地の痕跡を確認したい」
「ええ。朝一番に案内しよう」
「それと」
シャムロックが、口を挟んだ。
「鷲を最後に見たのはいつだ。今日も出たのか」
「今朝も放牧地の上を旋回していた。家畜は小屋に入れていたので、被害は出ていない」
シャムロックが頷く。グレンにもその重さが伝わった。
家畜を小屋に入れていれば被害は出ないが、それでは村が成り立たない。




