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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
一人から二人

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朝早いって言ってた

 目が覚めた。開こうとしない目をこじ開け、窓を見る。

 外は薄暗い。藍色の端だけがわずかに灰白んでいる。鳥の声もまばらだ。


(明日、早いぞ)


 昨夜の言葉が浮かんだ。早いと言うからには、早く出るのだろう。

 グレンは身を起こし、手早く身支度を整えた。服を着てローブを被り、杖を握る。準備はすぐに終わった。

 向かいの寝台では、シャムロックが死んだように眠っている。仰向けで、口が半分開いている。胸が深く、規則正しく上下していた。


「おい。朝だぞ」


 返事はない。


「シャムロック。ラーデン村に行くんだろ」


 肩を揺すった。


「んあー……?」


 眉が寄った。だが目は開かない。寝返りを打って、こちらに背を向ける。


「……まだ大丈夫だって……」


 もごもごと、布団の中から声がした。芯のない、溶けたような声。


「何が大丈夫だよ。起きろ」


 もう一度、肩を掴んで揺さぶった。その手を、掴まれた。


「え」


 抵抗する間もなかった。視界が回転し、シャムロックの寝台に倒れ込む。次の瞬間、太い腕が背中に回り、万力のような力で抱え込まれた。


「おい!」

「いーからいーから……」

「何もよくないけど!?」


 もがけども、もがけども。圧倒的腕力で固定された身体は、岩に挟まれたも同然だった。腕も、脚も、押し返そうとした手のひらも、まるで意味をなさない。シャムロックの胸板に顔の半分が押しつけられ、汗と、昨夜の麦酒のかすかな匂いがした。規則正しい鼓動が、頬に伝わってくる。


「離せって! おい! 聞いてんのか!」

「あと三時間……」

「そんなに寝るな!」


 腕の檻はびくともしない。窓の外では空が少しずつ白んでいる。藍が薄れ、灰になり、淡い青に変わっていく。鳥の声が増えてきた。

 やがて抗うのが馬鹿馬鹿しくなった。体力の無駄だ。叫んでも、シャムロックの寝息は深くなる一方だった。固い腕の中で、力を抜く。体温がじわじわと伝わってくる。妙に暖かかった。


 ……ほんの少しだけ。


 目を、閉じた。

 次に目を開けたときには、すっかり明るくなっていた。


「……っ」


 跳ね起きた。拘束はいつの間にか緩んでいる。シャムロックは大きく伸びをして、欠伸をしながら身を起こすところだった。


「おー、起きたか」

「『おー、起きたか』じゃねぇよ!」

「いい朝だな~」


 太陽は昇りきっている。とても早朝とは呼べない時間だった。


 ◆ ◆ ◆


 セルディアの東門をくぐってから、しばらく経つ。陽はもう稜線の上にあり、日射しに炙られて、大地が少しずつ温まる。やがて石畳が途切れ、踏み固められた土の道に変わる。


「ふわ……ねむ……」


 シャムロックが欠伸を噛み殺した。


「朝早いって言ったのお前だろ」

「言ったけど。お前早すぎんだよ。ジジィかよ」

「誰がジジィだ」

「昼までに出れば今日中に着けるだろ」

「昼までに出るのが『朝早い』になるの!?」

「そうだよ。常識だぞ、覚えとけ」

「絶対嘘だ!」


 いくら自分が常識知らずでも、さすがにそれは信じない。


「あー悲しい。俺が嘘吐いたことあったかあ?」


 やれやれ、とでも言いたげに、シャムロックが首を振ってみせる。


「今まさに吐いてんだろが!」


 街道に声が散る。前を行く荷馬車の御者が振り返り、二人を一瞥して前に戻った。


 街道は東へ向かって緩やかに続いている。左右に耕作地が広がり、麦の穂が朝風に揺れていた。収穫にはまだ早い、緑の海。道端には名前を知らない白い花が群生し、踏むと甘い匂いが立った。

 セルディアの城壁が背後に小さくなるにつれ、空気が変わっていく。都市の匂い——石と炭と人の密度——が薄れ、土と草と家畜の匂いが混じり始める。街道沿いに点在する農家の煙突から、朝餉の煙が細く立ち上っていた。

 行く手の先、地平の際に、低い山並みが霞んで見える。岩肌の目立つ、ごつごつとした稜線だった。森の深い緑とは違う、乾いた灰褐色の山だ。ラーデン村は、あの山裾に広がる地帯にあるという。


 午後に入り、街道から分かれる未舗装の小径に折れた。依頼票に記された道順の通りだった。轍の跡が乾いた土に刻まれている。荷車が定期的に通っている証拠だ。


 小径は緩い丘を越え、もう一つの丘を巻くように続いていた。右手に放牧地が現れる。柵の中で山羊が数頭、草を食んでいた。白い毛が午後の光を受けて目に眩しい。鈴の音が、風に乗って断続的に届く。


 丘の頂に差しかかったとき、視界が開けた。


 眼下に村が見える。石と木で造られた家屋が四十棟ほど、中央の広場を囲むようにまとまっている。

 広場には石造りの大きな窯が据えられ、そこから薄い煙が上がっていた。共同の竈だろう。一方に放牧地、反対側に耕作地が延びている。


 村の南、丘陵の連なる先に、灰褐色の岩山が横たわっていた。切り立った岩肌が、午後の光を受けて鈍く光っている。木はまばらにしか生えず、剥き出しの岩が稜線を作っていた。荒れた、乾いた山だ。このどこかに、家畜を狙う鷲が巣を構えているのだろう。


「あれがラーデン村か」


 シャムロックが目を細めた。

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