どうせ俺なんか
翌日も、ギルドに足を運んだ。
鋼級以上の依頼は、昨日と変わらない。増えても減ってもいなかった。
ギルド支部長ルドガーの言葉を思い出す。セルディアに常駐する鋼級パーティは三つ。一つはナッシュのパーティ。残る二つは、遠方への長期護衛で不在のものと、負傷者を抱えて活動休止中のもの。実質、ナッシュのパーティしか動いていない。
だが、ルドガーはこうも言っていた。霧調査は鋼級推奨で設定している、と。その依頼に加わり、霧獣を討った。ナッシュのパーティとのフラッグ奪取では引き分けた。自分たちはもう、鋼級と認められていてもおかしくないのではないか。
いや——あのときだけの、特例だったのかもしれない。ルドガーに「あれってこういうことですか」などと直談判する度胸はない。
視線を鉄級の段に戻す。今は、今日の依頼を選ぶ。それだけだ。
一枚の依頼票が目に留まった。
害獣駆除。ラーデン村。風斬鷲を含む獣害対策。報酬、銀貨十枚。
セルディアの東、街道から少し逸れた農村で、徒歩なら半日ほどの距離らしい。依頼内容には、家畜を狙うとして、猛禽型の大型モンスター——風斬鷲の名がある。岩場や断崖に営巣する種だ。鉄級で受注可能。
それでも依頼発注日は一週間前。
誰も受けていないのだ。
高速で飛び回る鷲を、正攻法で落とすのは難しいだろう。そして、いつ来るとも知れぬ相手を待つ依頼は、何日張り込むことになるかわからない。拘束時間と報酬のバランスを考えれば、街中の細かい依頼を回す方がいい。少なくともグレンはそう考えて、この依頼を除外していた。
グレンの視線を追ったシャムロックが、隣から覗き込む。
「風斬りか」
相変わらず眠そうな、ぼんやりとした声だった。
「知ってんの」
「名前だけ」
「受ける?」
短時間で済ませられれば、割のいい依頼には違いない。
「どっちでも」
突き放しているのではない。グレンが行くなら行く。そういう温度の「どっちでも」だった。
依頼票を引き抜こうとした、そのとき。背後から、聞き覚えのある声が飛んできた。
「ねえ、ガレス!」
ナッシュのパーティの弓手、リーナだ。ガレス、とは誰だろう。
「おう、ナッシュんとこの」
ひび割れた太い声が、酒場スペースの奥から返った。
声の主を目で探す。木の長椅子に、大柄な男が座っていた。禿頭。顎に短く刈った髭。顔には深い笑い皺が刻まれている。卓の上には麦酒の杯。体格は大きいが、シャムロックほどではなさそうだ。
「二人の怪我、大丈夫?」
「ああ。そろそろ復帰できるさ」
「そうなんだ、よかった〜」
そんな会話を交わしながら、リーナがこちらの存在に気づいた。濃緑のポニーテールが、振り向きざまに揺れる。
「あっ、シャムロック! グレン! こっちこっち!」
手招きされた。名指しで。ギルドの酒場で。近くの卓の冒険者が、何人かこちらに目を向ける。
シャムロックが先に歩き出した。グレンは半歩遅れてついていく。手には、害獣駆除の依頼票を握ったままだった。
「紹介するね。ガレスって言って、鋼級だよ。ほら、怪我人が出て休止中のパーティの」
鋼級。掲示板の上段の住人が、目の前で麦酒を飲んでいる。
「こっちはシャムロックとグレンで、もうすぐ鋼級になる人!」
「えっ」
「えっ?」
勝手に声が出ていた。その素っ頓狂な反応に、リーナが目を丸くする。
鋼級を目指してはいる。だが、第三者から既定路線のように言われるとは思わなかった。
「だって、一緒に霧問題を解決したじゃん。あとはシャムロックの実績件数だけでしょ?」
「え、そうなの?」
当たり前のことのように紡ぎ出される言葉に、思わずシャムロックを見上げた。
「知らん知らん」
興味なさげに、首が振られる。
ガレスが杯を置き、こちらを値踏みするように見上げた。笑い皺の奥の目が、わずかに細められる。
「ああ、ベオルンの。それなら、実力は確かだろうな」
実力。
ベオルンを倒したのは、シャムロックの一撃だった。自分は地面に這いつくばって、血を吐いていた。それを「実力」と呼ばれると、据わりが悪い。だが、訂正する言葉も見つからない。
シャムロックは肩をすくめただけだ。
握ったままの依頼票が、手の中で少し湿っていた。
ガレスとリーナに短く挨拶を返し、掲示板の前に戻る。受付で、害獣駆除の依頼を正式に受注した。
ラーデン村。出発は、明日の朝だ。
◆ ◆ ◆
夕飯を終え、宿の部屋に戻った。
窓の外はもう暗い。光球が室内を漂い、緩やかに明滅する。
グレンは寝台に腰を下ろし、膝の上で拳を握っていた。向かいの寝台では、シャムロックが仰向けに寝そべり、天井を見上げている。
言うべきか、迷った。言ったところで、どうなるものでもない。わかっている。だが、昼間からずっと、胸の底に溜まっているものがある。
「なんか」
声が、出た。自分でも、出すつもりだったのかわからない。
「ちょっと。複雑というか。モヤモヤするというか」
言葉が丸まっている。角が立たないように、無意識のうちに削っていた。シャムロックが胡乱な目を、こちらに向ける。
「なにが」
面倒な気配を察したらしい。声に、隠さない億劫さがあった。
「だって俺、今まで鋼級昇格の気配なんか欠片もなかったのに」
唇を尖らせ、ぼそぼそと続ける。拳が、少しだけ強くなった。爪が掌に食い込む。
「それがお前と組んだだけで、こんな。何の苦労もなく」
「苦労はあったよね?」
何を言っているんだこいつは、という顔をしている。
「お前のおこぼれを貰ってるみたいで、腹立つ」
「ねえ聞いて? 俺一人なら、死んでたからね?」
「どうせ俺なんか」
「おいおい……」
その先の言葉を、シャムロックは飲み込んだ。代わりに短い息を吐く。面倒な方向に転がり始めた話を、どう扱ったものか測りかねている吐息だった。
「魔術の才能が飛びぬけてる以外に、何の取柄もない男なんだ」
シャムロックが吹き出した。
「なんだそりゃ」
グレンは睨んだ。笑われるとは、思っていなかった。
「一つ飛びぬけてるなら十分だろ。俺だって、取柄は剣だけだ」
「違う。俺はそれ以前の、もっと、人としての……」
そこで、口を噤んでしまった。
言葉が見つからないのか。見つけたくないのか。自分でも、わからなかった。
喉の奥で、何かがつかえている。それを言葉にしようとすると、舌が止まる。形にしてしまえば、認めることになる。何を認めるのかさえ、はっきりとは見えないのに。
沈黙が落ちた。
窓の外で、酔客の笑い声が遠く聞こえた。
「明日、早いぞ」
シャムロックの声は、平坦だった。
こちらを見ていない。腕を頭の後ろに組んで、目を閉じている。話を切ったのか、流したのか、それとも——その横顔からは、読み取れない。
「……ああ」
灯りを消した。
暗闇の中に、互いの呼吸だけが残る。言葉の残骸が喉の奥に引っかかったまま、ゆっくりと溶けていく。




