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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
一人から二人

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共有の財布

 酒場で夕飯を済ませ、部屋に戻った後のことだった。


 光球が一つ、天井近くをゆっくり漂っている。グレンが指先で生んだ明かりだ。揺れるたび、部屋の中で薄い影が伸び縮みする。

 寝台が二つ。荷物も二人分。一人でいた頃とは、部屋の景色が違っていた。

 装備を解き、楽な恰好になる。向かいの寝台に腰を下ろしたシャムロックが、何か考えるように一呼吸置いて、口を開いた。


「二人で活動するにあたって」

「うん?」

「共有の財布を作ろう」

「共有の、財布を、作る……」


 共有の財布。

 未知の概念だ。


 グレンはずっと一人だった。

 財布は一つきりで、出ていく金も入る金も、全部自分の手の内に収まっていた。

 掏摸対策で財布を分ける知識はある。それくらいしかない。

 理解が及ばず、オウム返ししかできなかった。


「例えば……そうだな」


 シャムロックが指を一本立てる。


「報酬の半分を共有の財布に入れる。宿代とか食料とか、共通の出費はそこから出す。個人の分は個人で管理」

「なる……ほど……?」


 宿代。食事代。乗合馬車代。どうやっても要るものを、これまでそれぞれで払っていた。共通の費用を、共通の金から出す。都度の計算が丸ごと要らなくなる。単純に手間が半分。

 頭の中で、いくつもの場面がほどけていった。


「天才か……?」


 声がわずかに震えた。感嘆と、それを上回る畏れ。

 そんな発想があるのか。

 金とは、世界とは、こんなふうに回せるものなのか。


「ごく普通の発想だと思うのよ俺は」


 シャムロックの目が、少しだけ気の毒そうにすがめられる。


「管理は俺がする」


 付け足すように言う。


「お前に持たせたら干し肉とパンしか買わないからな」

「確かに」


 否定する材料がなかった。事実だから、まっすぐ頷くしかない。


「『確かに』じゃねぇのよ」


 シャムロックが何か言いかけ、結局それを呑み込んで、息だけ吐いた。


「そんで、鍋と食器を買おう」

「鍋と食器」


 また一つ、わからない概念がねじ込まれる。共有財布で手一杯だったところに、鍋。食器。

 グレンは語尾を失って、単語をなぞるだけになった。処理が追いつかない。


「今までゴランやナッシュたちの持ち物に頼ってただろ」


 ゴランの護衛では一行が食事を用意した。霧調査ではナッシュのパーティが、鍋も食器も貸してくれた。自前の調理器具を持たないまま、ここまで来ていた。


 一人で活動していた三年間、野外の食事は干し肉と硬いパンを齧るだけで完結していた。煮炊きの道具など、必要なかった。


 二人になったから鍋が要る。一人なら要らなかったものだ。

 その事実が、胸の奥で小さく燻った。


 ◆ ◆ ◆


 翌朝、二人は商業区へ向かった。


 朝の街路は活気に満ちている。荷車の車輪が石畳を打つ音。露天商の呼び込み。家畜の蹄と、荷駄の革が擦れる軋み。匂いも音も折り重なって、都市の朝を作っていた。


 冒険者街を抜け、商業区との境にさしかかったあたりで、低い声が耳に届いた。


「——あいつららしいぜ」

「マジか。ナッシュじゃなかったのか」


 声を潜めている。だが、聞こえる。


 ベオルン討伐の話だろう。掲示板の討伐者欄が、二人の名で埋められた。ナッシュのパーティではなく、鉄級の二人組。その情報が、ギルド内にも行き渡りつつある。


 否定する話ではない。ベオルンを討伐したのは、確かに自分たちだ。けれど、胸を張って「そうだ、俺が倒した」とも言えなかった。シャムロックがいなければ、嬲り殺されていた。あの戦いを思い出すと、誇りより先に、殴り倒された衝撃と、喉まで込み上げた血の味が蘇る。


 ちらりと隣を見上げた。


 歩きながら寝ていた。


「おい」


 グレンの手の甲が、シャムロックの腹に叩き込まれる。


「うおっ、びっくりした……なに、朝?」

「今初めて朝を迎えたみたいな反応すんな。どういう寝ぼけ方だよ」


 背後で、さっきの声がもう一度聞こえた。


「本当にあいつらなのか……?」

「自信なくなってきたぜ……」


 やかましい。


 ◆ ◆ ◆


 雑貨屋は、間口の狭い店だった。


 軒先に鉄鍋やら銅鍋やらが、大小取り混ぜて吊り下げられている。朝日を受けて、底の煤けた一つが鈍く光っていた。店先の台には、木匙や柄杓、火掻き棒、縄、革帯の束が無造作に積まれ、奥へ進むほど薄暗くなる。天井からは干した薬草の束や、編んだ籠が下がっていた。床は踏み固められた土間で、足を踏み入れると、金物と油と埃の混じった匂いが鼻についた。


 シャムロックが店の奥に入り、棚から鍋を一つ手に取る。底を指で弾いた。高く澄んだ音が返る。次の鍋を取り、同じように弾いた。今度は少し濁った音だった。最初の鍋に戻す。


「こっち」


 迷いがない。


 自分も迷わないだろうけど、と考える。一番安いものを手に取って終わりだ。鍋の良し悪しなどわからない。値段しか判断基準がない。だがシャムロックは音を聴いている。手に取り、重さを確かめ、握りを試している。鍋肌を陽にかざして、歪みがないか目で追っている。同じ「鍋を買う」でも、入り口から違っていた。


 棚の隅から焼き串を数本、木の椀を二つ、木の匙を二つ。一つ一つ、縁の欠けや木目の通りを確かめて選り分けていく。グレンはその横で、選ばれた物を受け取る係に収まっていた。腕の中で、椀と匙が乾いた音を立てて重なる。


 椀が、二つ。


 今までは人に借りていた。初めての、自分用の椀。


 会計は共有の財布から。店主が指を折って値を告げる。シャムロックが革の小袋を開き、銀貨を数えて台に置いた。つい先刻、二人で入れたばかりの金だ。二人の金で、二人の物を買う。


 何だか、こそばゆい。

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