迎撃の仕込み
「セルディアに戻ろう」
ナッシュが言った。声は低く、決断を含んでいた。御者の応急処置は終わり、ミレイアが馬の脚に最後の治癒を施している。淡い光が傷口に滲み込み、焦げたような匂いと、かすかな温もりが空気に広がっていた。
「彼を送らなきゃいけない。護衛の遺体も。それに、今日わかったことをルドガーに報告する必要がある」
グレンは頷きかけた。
「俺たちは残る」
シャムロックが先に口を開いた。
視線が一斉に集まる。シャムロックは木に背を預けたまま、半分眠っているような目をしている。だが、その声にはわずかな硬さがあった。
「奴は今日も食い損ねた。腹が減ってる。街道にも出るようになった。放っておけば、明日もどこかで誰かが死ぬ」
言葉が空気を重くした。遠くで虫が鳴いている。
「だが四人で――」
「六人いても今日は不発だった。頭数の問題じゃない」
ナッシュが口を閉じた。否定できない事実だった。森の湿気が肌に張り付く。
「お前とドーランで御者を送って、ルドガーに報告してくれ。こっちはグレンとリーナとミレイアで充分だ」
「わかった」
「ナッシュ」
グレンが口を開いた。喉にわずかな乾きが残っている。
「報告するとき、絶対に伝えてほしい」
「なんだ」
「霧の正体は魔術師じゃないって」
ナッシュの目が一瞬だけ見開かれた。すぐに落ち着きを取り戻し、静かに頷く。
「もちろんだ。必ず伝える」
その言葉に、グレンはわずかに息を抜いた。
「それと、物資が心許ない」
シャムロックが付け加えた。靴の先で小石を転がす。
「明日、補給を持って戻ってこい。それまでに片付いてなかったら――」
「片付いてなかったら?」
「お前らも手伝え」
ナッシュが小さく笑った。張り詰めた空気が、わずかに緩む。
「了解。明日、必ず戻る」
ドーランが荷馬車を起こす。軋む音が響き、木の匂いが立ち上る。御者を荷台に乗せると、布が擦れる音がした。馬はまだ怯えているが、ミレイアの治癒で脚はどうにか支えられる。ゆっくりとなら進める状態だった。
「リーナ、ミレイア。頼んだ」
ナッシュが声をかける。リーナが親指を立て、ミレイアは両手を胸の前で握りしめて強く頷いた。
「グレン」
「ああ」
「仕留めてくれ」
「そのつもりだ」
車輪が回り始める。土を踏みしめる音と、ぎしぎしとした軋みが東へ遠ざかる。やがて音は森に吸われ、静寂だけが残った。
四人だけになる。
午後の陽が傾き、光が斜めに差し込む。虫の声が大きくなり、湿った空気が少し冷え始める。
「戻ろう」
シャムロックが踵を返した。枯れ葉を踏む乾いた音がする。ベースキャンプへ向かう。グレンがその背を追い、リーナとミレイアが並んで続いた。
しばらく、誰も話さなかった。
やがてリーナが口を開く。
「ねえ、シャムロック」
「何」
「なんでみんなで戻らなかったの?」
シャムロックは前を向いたまま答える。足取りは変わらない。
「分担した方が効率的だろ」
「それはそうだけど」
「他に意味はない」
あっさりとした声だった。リーナは肩をすくめ、それ以上は追及しなかった。
グレンは黙って歩く。
問いの意図は理解していた。答えの裏にあるものも、おそらく見当がついている。霧に殺された遺体と共に魔術師が戻る。そのとき街で何が起きるか。
――たぶん。
だが、確かめる気にはならなかった。
ベースキャンプに戻り、焚き火を起こした。乾いた枝がはぜ、煙が立ち上る。焦げた木の匂いが鼻を刺す。炎が揺れ、四人の顔を橙色に照らした。ナッシュとドーランがいない分、火の周りが妙に広く感じる。
「作戦会議だ」
グレンが杖の先で地面に円を描く。乾いた土が削れ、ざらついた感触が手に伝わる。
「実体化しているときが唯一の隙だ。霧化から実体化へ切り替わる直前、霧全体の魔力が収縮する」
ミレイアが頷く。
「奴は今日も食い損ねた。腹が減っている。明日はもっと焦る。俺かミレイアを食いたいのは変わらないだろう」
ミレイアが青ざめ、リーナにしがみついた。リーナが軽く頭を撫で、落ち着かせる。
「実態を見て確信した。あいつが霧の間は手が出せないが、霧化を解かなければ向こうも攻撃できない」
リーナが首を傾げた。
「そうなの? 舌だけビャーってやれないの?」
「舌を押し出す力が発生しない。実体がなければ筋肉は収縮できない」
リーナは少し考え込み、手を打つ。
「弓なしで矢は射れないってことか」
「そうだ」
「ただ、仕掛けるタイミングと間合いをあっちが握っているだけだな」
焚き火の向こうからシャムロックが声を投げる。寝転がったまま、視線も向けない。
リーナが顔をしかめる。
「それ、かなり最悪じゃない?」
「だから迎撃魔術が有効だ」
「迎撃魔術……?」
ミレイアが首を傾げる。グレンは円をなぞるように杖を動かした。
「罠と同じだ。先に仕掛けておく」
「あの踏んだら爆発するやつか」
シャムロックの声に、グレンは頷いた。野営地で使った魔術陣の記憶が蘇る。
「罠を踏ませられますか? 射程もあるようですし」
ミレイアの声は現実的だった。地面に設置するだけでは不十分だ。
「地面じゃなく空中に仕込む。俺を中心に円状に配置する。奴が攻撃してくれば必ず発動する」
シャムロックが顎を掻く。炎の明かりが横顔を揺らす。
「迎撃はわかった。だがそれで防げるのか」
グレンは一瞬、言葉を探した。シャムロックが言葉を重ねる。
「敵はダメージ食らいました、お前は死にました、じゃ意味がないってことだ」
グレンは描いた円を指す。
「術の半径は三歩分。舌が触れた瞬間に電撃が走る。カエルの舌は筋肉の塊だ。感電すれば収縮する。伸びた舌は勝手に戻る」
「それは仮説だろ」
「だが理屈は通る」
「理屈と確証は別だ」
グレンは口を閉じた。
焚き火のはぜる音が耳に残る。熱が頬を撫でる。
「ゼロにはできない」
ゆっくりと認める。
「感電から痙攣までの一瞬で届く可能性はある。ただ」
「ただ?」
「障壁よりはましだ。受けるんじゃない。触れた瞬間に殴り返す」
シャムロックは黙る。
「それに予兆がある。初日は間に合わなかったが、今度は拾える」
「反応できなかったくせに偉そうだな」
「だから今度はやる」
「その罠の中に俺も入れろ」
「お前が近くにいたら警戒される。ターゲットが変わるか、また街道に出る」
炎が揺れ、シャムロックの瞳に映る。じっとグレンを見ていた。
やがて視線を逸らし、舌打ちする。
「カウンターなんか決めるんじゃなかったな」
自分が警戒対象である以上、最適解を歪めている。その自覚が滲んでいた。
「ミレイアはシャムロックのそばに」
グレンが言う。ターゲットの分散を防ぐためだ。ミレイアは静かに頷いた。
「それって一撃でいけるの?」
リーナが尋ねる。
「無理だ。速度優先だから威力は出ない。数秒麻痺させる程度だ。だから」
「十分だ」
言葉を受け取り、シャムロックが低く笑う。暗いが、迷いのない笑みだった。
「ただし」
声が続く。
「迎撃魔術はすぐ解除しろ。うっかり触れて焼かれちゃたまらん」
「わかった」
「それと……見張りは俺が長めにやる。お前は寝ろ。明日に響く」
焚き火の熱が静かに揺れ、夜の気配が森に満ち始めていた。




