護衛の流儀
幌馬車を先頭に、重たい荷馬車が列をなして進む。車輪は乾いた土を噛み、ぎしり、と低く軋んだ。
前方に広がるのは、なだらかに波打つ草原だった。陽光を受けて、萌え始めた若草が柔らかな光を帯び、風に撫でられるたびにさざ波のように揺れる。
左手には、巨大な森が横たわっていた。大森林と呼ばれる巨大な森だ。黒々とした樹海は、まるで大地に広がる影のようにうねり、奥へ奥へと光を拒む。
乾いた土の匂いと、青い草の匂いが混じり合う。
遠くには霞んだ山脈が淡く浮かび、空気は穏やかで、どこか眠気を誘う静けさを孕んでいた。
グレンは御者台に腰を下ろし、ゴランの隣で周囲を見渡していた。その視線は休みなく動き、わずかな変化も逃すまいと張り詰めている。
一方のシャムロックは幌馬車の隅に腰を下ろし、膝に頬杖をついたまま瞼を閉じている。揺れに身を任せ、まるで眠っているかのように身動きしない。
耳に届くのは、蹄鉄が硬い地面を叩く乾いた音と、車輪が軋む低い振動音だけだった。
単調なリズムが、時間の感覚を曖昧にしていく。
「なぁ、お二人さん」
沈黙に耐えかねたように、ゴランが声を出した。その声音には、どこか探るような遠慮が混じっている。
「二人は今までどこで何をしてたんだ?」
シャムロックは反応しない。呼吸すら変わらない。代わりに、グレンが淡々と答えた。
「俺は村を出てからずっと一人でやってきた。人と組むのは得意じゃない」
余計な感情を削ぎ落とした短い言葉。
「ああ……うん……そんな感じするねぇ……」
ゴランは曖昧に頷き、乾いた笑いを漏らす。その視線が、今度はシャムロックへ向いた。
「シャムロックさんは?」
しばしの沈黙。やがて、瞼がゆっくりと持ち上がった。眠気の残る目が、ぼんやりと天井――幌の布越しの光を見上げる。
「まぁ、色々だ」
それだけだった。再び目が閉じられる。会話はそこで終わった。
風が吹く。幌がぱたぱたと鳴る。再び、単調な音だけが続く。
グレンはすでに前方へ意識を戻していた。
◆ ◆ ◆
昼を越え日差しが強くなってきた頃、グレンの眉がわずかに動く。視線が左へ滑る。黒く絡み合う枝葉の奥。光の届かないその隙間で、何かが動いた。ただの揺れではない。生き物の気配だ。
「どうした?」
ゴランが怪訝そうに声をかける。グレンは目を逸らさない。
「森に何かいる」
グレンの声は幾分低く、緊張を孕んでいた。視線は依然として茂みの奥を凝視している。
その瞬間、木々の隙間で影が走った。
「モンスターか!?」
ゴランが鞭を鳴らした。馬がいななき、速度を上げようとする。
「待て」
グレンが手綱を押さえた。布の袖が風をはらみ、翻る。杖の先に、かすかな光が灯る。
「急いでも意味はない。刺激するだけだ」
「だが――!」
焦燥が声に滲む。エレナは窓枠に指をかけ、祈るように手を組んでいた。
「距離はある。向こうもまだ様子見だ」
グレンは深く息を吸った。肺に空気が満ち、同時に魔力が体内を巡る。熱が走る。指先が、微かに痺れる。
魔力が収束していく。
「そ、そうか。ここで一気に叩きのめせば……」
ゴランが言いかけたところでグレンが制した。
「いや、追い払う」
「え?」
「殺す必要はない」
ゴランが目を見開く。
「仕事は護衛だ。討伐じゃない」
理屈は簡潔だった。
「戦わずに済むなら、それが一番安全だ」
その言葉が終わるより早く、森が揺れ、黒い影が飛び出す。漆黒の体毛、濁った眼、牙を剥き出した顎。ダークハウンドと呼ばれる狼型の魔獣だ。群れで生活をし、中層寄りの浅層域に生息している。
彼らが土を蹴り、一直線に迫る。
「来たぞ!」
ゴランの声が裏返る。しかしグレンは冷静だった。
杖が振るわれ、空気が歪む。見えない塊が、圧縮される。それが弾けた。空気の爆裂が地面を叩き、土と砂を巻き上げる。
衝撃波が獣を薙ぎ払い、弾き飛ばす。最前にいた数匹が吹き飛ばされ、幹に叩きつけられた。残りの群れが、たじろぐ。そこへもう一撃、衝撃波が横薙ぎに走り、土煙が壁のように立ち上がった。獣の動きが止まる。風が土煙を払う頃には、影は森へと引いていた。
「すごい……」
エレナの声が震える。グレンは杖を下げた。
「これで十分だろう」
呼吸は乱れていない。
「連中も馬鹿じゃない。縄張りを侵したわけでもない。狩れないと分かれば引く」
ゴランはまだ息を荒げていた。
「本当に……良かったのか?」
「何が」
「倒さなくて」
「必要ない」
グレンは即答する。
「戦闘は手段だ。目的じゃない」
その言葉には迷いがない。ゴランはしばし考え込んだあと、ゆっくりと頷いた。
「……信じるぜ」
その言葉にグレンは小さく笑った。
馬車は再び進み出す。
幌馬車の陰で、シャムロックが薄く目を開けた。その視線が、わずかにグレンへ向く。無表情だが、その奥にわずかな変化がある。
評価。あるいは、興味。
すぐに瞼は閉じられる。何事もなかったかのように、再び沈黙が戻った。
「それにしても、街道にまで出てくるモンスターじゃないんだけどな」
グレンの呟きは風に溶けた。




