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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
交易都市セルディア

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魔術用品店

 仕立屋に紹介された通り、路地を一本入る。石畳の照り返しが一段鈍くなり、人の気配も途切れる。その奥に、「魔術用品店」とだけ彫られた簡素な看板が壁に埋まるように掛かっていた。木目の溝に埃が溜まり、文字の縁だけがわずかに擦れている。知らなければ、視線の端でただの板として流してしまうだろうとグレンは思った。


 扉を押すと、軋んだ木が低く鳴った。その隙間から、空気がひと息に流れ出てくる。木の乾いた匂いに、油の焦げたような苦みが混じり、さらに乾燥させた薬草の青い香りが奥に残る。どれも主張は強くないが、重なり合って舌の奥に薄く残るような後味があった。長い時間をかけて層になった匂いだった。


 店内は狭い。だが、空間は密に詰まっている。壁三面の棚に、杖が立てかけられ、金属の補助具が鈍く光り、瓶詰めの粉末や液体が整然と並ぶ。視線を動かすたびに、異なる質感が引っかかる。木のざらつき、金属の冷たさ、ガラスの滑り。触れずとも、手のひらがそれぞれの感触を思い出す。


 グレンは棚の流れを追いながら歩いた。杖の一部に、うっすらと埃が乗っている。瓶の奥列は液面が変わっていない。前列だけが減っている。空気の流れと人の手の動きが、どこで止まっているかがはっきり見えた。客が減っている店の沈黙だった。


 奥から初老の男が出てきた。足音は軽いが、床板のわずかな軋みで位置がわかる。男はグレンを一度見て、目を細めた。視線が衣服の粗をなぞり、手元で止まり、すぐに外れる。


「何を探してる」


 余計な前置きはなかった。誰であるかではなく、何を要するかだけを問う声音だった。


「杖を一本。軽くて、取り回しのいいもの」

「用途は」

「物理干渉の補助。精密さが要る」


 男は頷き、迷いなく棚の奥に手を差し入れた。指が触れる前から、どこにあるかが決まっている動きだった。二本を抜き出し、カウンターに置く。木と木が触れた音が短く鳴る。


「右が軽い。柳に鉄芯を通してある。手首の返しがいい。ただし耐久が落ちる。高負荷でひびが入る」


 もう一本を軽く叩く。


「左は樫。重いが歪まない」


 グレンは右の杖を取った。掌に収めた瞬間、重さよりも先に“軽さ”の抜ける感覚があった。振る。空気を切る音が細い。重心が指先側に寄り、手首だけで軌道が描ける。動きが意識より半拍早く前に出る。


 左に持ち替える。ずしりとした重みが肘にかかる。振りは安定するが、動作の起点が一段遅れる。腕全体で制御する感覚になる。


 精密さが要る。高負荷も扱う。理屈だけなら左だと、頭はすぐに結論を出す。


 ――重い装備でどんくさく動いて怪我する方が高くつく。


 仕立屋で聞いた声が、耳に残っていた。さっき布を選んだときと同じ分岐だった。長持ちか、動きか。


 フラッグ戦の光景が浮かぶ。走り出した瞬間の地面の硬さ、視界の揺れ、相手との距離。止まって撃つ余裕はなかった。半歩の遅れが、そのまま隙になる。


 左の杖をカウンターに戻す。木が触れる音がやや重い。右をもう一度振る。軽い。動く。意志と動作の間に段差がない。魔力の出口が、指の延長に自然に乗る。空気を裂く感触が、抵抗ではなく流れとして手に残る。


「こっちにする」

「耐久が落ちるが、いいのか」


 問いは事実確認に過ぎなかった。グレンは杖を見下ろした。軽さの裏にある脆さが、掌の内側でかすかに軋むように感じる。


「半年持てばいい。ひびが入ったら替える」


 言葉が出たあと、わずかに遅れて自覚する。それは自分の考えでありながら、同時に借り物でもあった。

 視線を横に流す。シャムロックは棚の瓶を見ている。ラベルを追っているだけのようで、指先はどれにも触れていない。窓ガラスに映る横顔の口元が、ほんのわずかに動いた。


 グレンは視線を外した。気づかなかったことにした。


 店主は何も言わず、杖を布で巻き始めた。乾いた布が擦れる音が規則的に続く。紐を締めるとき、繊維がきしむ。手順は無駄がなく、同じ動作が何度も繰り返されてきた痕跡を持っていた。


 その間、グレンは棚を見た。杖の本数が多い。店の広さに対して過剰だ。長く動いていない杖は、接地面に埃の輪を作っている。時間がそこに溜まっていた。

 支払いを済ませ、包みを受け取る。布越しに、杖の細い芯が手に伝わる。軽い。

 扉に手をかけたとき、店主が言った。


「いい選択だ」


 どこまでを指しているのか、判断はつかなかった。振り返ろうとして、やめる。背後ではすでに別の作業の音が始まっている。肯定とも無関心ともつかない距離だった。


 ◆ ◆ ◆


 外に出ると、空気が少し冷えていた。光が傾き、石畳の色が浅い橙に変わっている。影が長く伸び、足元に絡む。

 しばらく歩いたあと、シャムロックが言った。


「飯」

「まだ明るいぞ」

「腹は暗くなるの待ってくれないんだよ」


 シャムロックは空を見上げた。雲の縁が赤く滲み、光がゆっくりと沈んでいく。グレンはその色を見て、ようやく自分の胃が空いていることに気づいた。内側が鈍く引かれる感覚がある。


「……昨日の店」

「いいけど」


 シャムロックは前を向いたまま言った。声に抑揚はないが、わずかに唇の端が上がっているように見えた。


「同じ店で同じ席座って同じもの食って寝るだけの人生でいいのか?」

「壮大な話にすんな。たかが晩飯だろ」

「たかが晩飯だから聞いてんだよ」


 歩幅が揃う。距離が詰まる。肩口の空気が温かくなる。布越しの体温が、意識しないうちに触れそうな位置にある。


「何か食いたいもんないの」


 グレンはすぐに答えられなかった。問い自体は単純だが、喉の手前で引っかかる。欲求を言葉にする行為が、なぜか一拍遅れる。

 これは選択だ。大したことではないと頭で整理する。それでも、口に出す瞬間にわずかな抵抗がある。


「……昨日の鹿肉が美味かった」

「そうだな」

「だから、別のも食べてみたい」


 言い終えたあと、胸の奥に妙なざわつきが残る。大した話ではないはずなのに、何かを成した感触が残る。


「最初からそう言え」


 シャムロックは短く言い、歩き出す。向かう先は昨日と同じだ。同じ店に、違うものを食べに行く。

 足音が石畳に軽く跳ねる。グレンは一歩遅れて、その後ろを追った。

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