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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
交易都市セルディア

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仕立屋

 仕立屋は、冒険者街から大通りを二本挟んだ先にあった。間口の広い店で、扉を引くと乾いた鈴の音が鳴る。

 店内には仕立て途中の衣服がいくつもかけられていた。商人向けの上着、女性用のドレス、染めの濃い作業着。客の幅が広い店だとわかる。生地の匂いが薄く漂い、糸と布に、わずかな蝋の匂いが混じっていた。


 奥から白髪の女が出てきた。眼鏡の奥の目がグレンを上から下まで素早く測り、続いてシャムロックを見て、もう一度グレンへ戻る。仕立てが必要なのはどちらか、彼女は一目で見極めたらしかった。


「いらっしゃい。仕立て? お直し?」

「仕立てで。ローブを一着」


 女の手が一瞬止まる。止まり、それから何事もなかったように動き直した。


「魔術師さんかい?」


 声に棘はない。確認だった。ただ、眼鏡の奥の目がほんの少しだけ長くグレンの顔を見ている。こんな若い子が、と言いたげな色が、かすかに混じっていた。あるいは、この時勢に堂々とローブを仕立てに来る魔術師への、別の感慨だったのかもしれない。


「そうだけど」

「そうかい」


 グレンが小さく頷くと、女はそれ以上何も言わず、カウンターの裏へ回った。棚から布の束を五つほど抱えて戻ってくる。カウンターの上に並べたそれは、どれも暗い色だった。黒が二種類と、濃紺が一つ。残りの二つは灰と深緑だ。


「まず布を決めようか。ローブの用途は?」

「戦闘」


 女の眉がわずかに上がったが、追及はしなかった。灰と深緑を脇へ寄せる。残った三つを指で示した。


「戦闘用なら、この三つだね。黒が二種類と、濃紺が一つ。左の黒は丈夫だけど少し重い。真ん中の黒は軽いけど傷みやすい。紺はその中間だよ」


 グレンは手を伸ばし、布に触れた。左の黒は確かに厚い。指で引っ張ると、しっかりした抵抗が返ってくる。戦闘で引っかけても裂けにくいだろう。だが、肩にかければ重さが残るはずだった。


 真ん中の黒を摘む。薄い。手の中で滑るような感触がある。動きを邪魔しないだろう。


「これはどれくらい持つ?」

「手入れ次第だけど、毎日着て動き回るなら半年ってところ。左の黒ならその倍は持つよ」

「半年か」


 グレンは二つの布を交互に触れた。軽さを取るか、耐久を取るか。指先が左の黒に戻りかける。長く使えるほうが、金はかからない。そういう計算が、反射的に頭をよぎった。


 するとシャムロックが横から手を伸ばし、左の黒と真ん中の黒を両方つまんだ。引っ張り、離し、また引っ張る。布の専門家ではないが、道具の耐久を気にする人間の手つきだった。装備を消耗品として扱う男の確かさが、その指先にはあった。


「俺なら真ん中だな」

「聞いてない」

「半年で買い替えた方がいい。重い装備でどんくさく動いて怪我するほうが高くつく」


 グレンは口を開きかけて、閉じた。反論が出てこなかった。怪我をすれば治療に金がかかる。動きが鈍ければ判断も鈍る。重さを我慢して使い続けた結果、身体のどこかが半拍遅れれば、それが致命傷になる。自分は、考える順番を間違えていたらしい。


「……真ん中の黒で」

「はいよ」


 女は布を一つ残して他を片づける。手際がいい。木箱を滑らせ、積まれた布の山が整っていく。指先に迷いがない。


「次は形だね」


 カウンターの下から、分厚いスケッチ帳を引き出した。使い込まれた革表紙を開くと、ローブのデザイン画がびっしり並んでいる。丈の長さ、襟の形、袖の絞り、フードの有無。ページごとに傾向が違い、何年分もの注文と試作がこの一冊に詰まっているのだとわかる。インクの滲みが、紙に積もった年月を感じさせた。


「膝丈。フードつき。内側にポケットがいくつか欲しい」

「さっきの布だと、この辺りの型が合うよ」


 女が数ページめくり、該当するあたりで止めた。数種類の膝丈ローブが並んでいる。基本形は似ているが、襟の立ち方、裾の切り込み、フードの深さが微妙に違う。鉛筆の陰影が、紙の上に厚みを与えていた。


 グレンはスケッチ帳を覗き込む。どれも実用的だった。どれでもいいと言えば、どれでもいい。実用性に差がないなら、あとは見た目の話になる。そこで手が止まった。迷いは時間にするすると溶けていく。


 シャムロックが後ろから肩越しに覗き込んできた。鎧の金属部分がわずかに触れ、冷たい感触が伝わる。


「俺これが好き」


 長い指が、左のページのデザインを指した。襟が高く、裾に深めの切り込みが入っている。動きやすさと、見た目の鋭さを両立させた形だ。ペンの走り方は攻撃的なのに、全体はよくまとまっている。


 グレンは唇を結んだ。


「聞いてない」

「聞かれてないけど言った」


 シャムロックはただ平坦に言う。視線はスケッチ帳に固定されたままだった。


 グレンは紙面を睨んだ。隣のページには、もう少しおとなしい形がある。実用的で、目立たない。地味で、安全で、誰にも何も思われない。損得勘定としては、そちらが正しいはずだった。だが、なぜか喉の奥につかえがある。


 指が、シャムロックの示したほうへ動いた。一瞬だけ空中で止まり、それから紙面に触れる。


「これで」


 声が硬かった。選び終えたことに安堵がある。だが同時に、自分で決めていないような感覚が拭えず、苛立ちも残る。


 シャムロックは何も言わなかった。口元がほんの少し動いた気がしたが、確かめる前に女が「はいよ」と答えてメモに書き込んでいた。


「あと……下に着るものも一式頼みたい。シャツとズボン。動ける仕立てで」

「ローブに合わせて見繕うよ。色は?」

「任せる」

「じゃあ採寸するから、腕を上げて」


 女が巻尺を持って近づく。グレンの首回り、肩幅、腕の長さ、胸囲、腰回りを手早く測っていく。数値を呟きながらメモに落とす。巻尺が身体を一周するたびに、数字がひとつづつ記録されていく。


「細いね。食べてるかい」

「食べてる」

「もうちょっと食べな」


 シャムロックが後ろで頷いているのがわかった。見えなかったが、気配で十分だった。背中に向けられた視線と、かすかな衣擦れの音だけで、言いたいことは伝わる。余計なお世話だ。そう思うのに、言葉にはならない。喉の奥に小さな塊が詰まり、それが反抗の声になる前に消えていく。


 仕立屋の老女と、後ろに立つ男が、同時に同じことを考えているようで、妙に腹が立つ。だが同時に、妙に温かい。そんな温度が皮膚の表面に残っているようで、落ち着かない。シャムロックの同意が、鼓膜ではなく頸椎に響いたような気さえした。


「三日後になるよ」

「わかった」


 支払いの段になり、女はふと口にした。


「服以外にも入用かい?」


 グレンは少し驚いた。服以外にも気を回されるとは思っていなかった。


「杖を探してる」

「だろうね。ローブだけ新調して杖なしってことはないだろうから」


 女は釣り銭を渡しながら、顎で窓の外を示した。


「この通りを出て、一本裏に入ったところに魔術用品の店がある。看板が小さいから見落としやすいけど、品はいいよ。店主は無愛想だけどね」

「知ってるのか」

「魔術師のローブを仕立ててりゃ、そっちの店とも縁ができるさ」

「行ってみる。ありがとう」

「どういたしまして」


 扉の鈴がもう一度鳴った。カラン、と乾いた音が狭い通路に広がり、壁に跳ね返って消えていく。

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