見た目ほど厚くない街
一同は訓練場の端の木陰に集まった。
水を回し飲み、息を整える。ドーランは地面に腰を下ろし、靴底の氷を手で払っていた。リーナは弓弦を緩めながら、グレンの方をちらちらと見ている。先ほどの防壁のことを考えているのだろう。ナッシュは木にもたれ、目を閉じている。汗が顎を伝っていた。
ルドガーが口を開く。
「一つ、依頼の話をしてもいいかな」
全員の視線が集まる。
「セルディア西方の霧だ。死傷者も出ている。ナッシュたちに調査を依頼しているが、人手が欲しい。君たちにも参加してもらいたい」
グレンが眉をひそめた。
「ギルドで暇そうにしてた連中を使えばいいだろ」
昨夜も今朝も、ロビーには冒険者がいた。卓を囲んで酒を飲み、賽を振り、声を張り上げていた連中だ。人手が足りないという言葉と、あの光景が噛み合わない。
ルドガーは表情を変えなかった。
「彼らは受注できない」
声は平坦だったが、奥に苦さがあった。
「霧の調査は鋼級推奨で出している。だが今セルディアに常駐している鋼級は、ナッシュたちを含めて三パーティしかいない。一つは東方の護衛任務で出払っている。もう一つは先週から負傷者を抱えて休止中だ」
「三パーティしかいないのか」
グレンの声に、驚きが混じった。
これだけの都市で、鋼級がたった三つ。
「銀級以上はもっと少ない。今は一人もいない。王都の長期任務に引き抜かれたままだ」
ルドガーが腕を組み、小さく息を吐く。
「冒険者は固定資産じゃない。報酬の高い依頼があれば移動するし、引き抜かれれば抜ける。セルディアは交易都市であって軍事都市じゃない。腕の立つ人間を繋ぎ止めておく力が常にあるわけじゃないんだよ」
シャムロックが腕を組んだまま、低い声で口を開いた。
「街の一大事に冒険者頼みなのか」
直接「何が」とは言わなかった。だが本意は明確だった。
ナッシュがそれに答えた。
「衛兵隊には協力を求めました。ですが、森の中での作戦行動は管轄外だと」
声は平坦だったが、そこに至るまでに何度かやり取りのあった気配が滲んでいる。
「彼らの任務は城壁と市街の治安維持です。装備も訓練も、そこに最適化されている。森に入ってモンスターを追う前提で組まれた部隊じゃないんです」
ルドガーが引き取る。
「王都に正規軍の派遣を要請する選択肢はある。だが評議会の正式決議が要る。決議が通っても、王都が判断して、部隊を編成して街道を移動するまでに最短で三週間だ」
「三週間」
シャムロックが繰り返した。声に感情はない。ただ、数字を確認している。
「その間、西の街道は止まったままになる。物が動かなければ金が回らない。金が回らなければ商人が逃げる。商人が逃げれば、街が痩せる」
ルドガーの声が少しだけ低くなった。
「軍が来る頃には、守るべき経済が縮小している恐れがある。だから冒険者に頼る。それしか手がない」
沈黙が落ちた。
風が草を揺らす音だけが、訓練場の静けさに残った。
グレンは黙っていた。頭の中で、数字が組み上がっていく。鋼級三パーティ。稼働は一つ。銀級ゼロ。衛兵は城壁の内側。軍は三週間後。
この街は、見た目ほど厚くない。
金はある。人もいる。
だが、刃を持って森に入れる人間が足りない。
シャムロックが小さく息を吐いた。
「なるほどな」
納得でも同情でもない声だった。
構造を理解しただけの、乾いた響き。
ルドガーが視線をグレンとシャムロックに戻す。
「だから君たちに声をかけている。ベオルンを倒した実力は確認した。強制はしない。だが、必要としている」
「無理」
シャムロックが即答した。
嫌だ、でも面倒だ、でもなく、無理だった。声の質が違う。さっきまでの気だるさとは別の場所から出ている言葉だった。
「理由を聞いても?」
「グレンが丸腰だ」
短い一言だった。視線も動かさない。見なくてもわかる、という言い方に近い。
「今の状態では、十全に動けない」
グレンが続けた。杖がない。ローブがない。装備がなくとも魔術は使える。だが、正体不明の霧の中で戦うとなれば話は違う。
ナッシュが小さく頷いた。
「……確かに」
さっき真正面からグレンの魔術を受けた人間の言葉だ。重みがあった。
「……もっともだ」
ルドガーは少し間を置いてから言った。押さなかった。
「今回はあきらめよう。ナッシュ、引き続き調査を頼む」
「了解」
風が草を揺らす。旗の布が、わずかに鳴っていた。




