拮抗する二旗
セルディア郊外の訓練場は、背の低い林に囲まれた草地だった。
街の喧騒は遠く、代わりに風が草を撫でる擦過音が耳に残る。湿った土の匂いが薄く漂い、虫の鳴き声が低く重なる。均された地面の両端に赤と青の旗が立てられていた。朝の日差しが斜めに差し込んで、露を含んだ草の先が細かく光っている。
「ルールは単純だ」
ルドガーが両陣営の間に立って告げた。
「相手の旗を奪えば勝ち。武器は訓練用。魔術は制御を前提とすること。周囲に被害が出るようなものは使わないでくれ」
ナッシュが三人へ向き直る。
「僕が攻撃。ドーランは旗を守って。リーナは援護。ミレイアは後方待機」
言葉に迷いがない。短く、的確で、すぐに各自が散っていく。連携に慣れたパーティの空気があった。
それに引き換え。
「ほんっとうに面倒くさい……」
「こっちのセリフだよ」
萎れきったシャムロックに、グレンは思わず眉を寄せる。
「俺ここで旗守ってるからお前あっち行って旗取ってきて」
「どう考えても逆だろ!」
「ええ、なんで」
「お前前衛だろうが!」
やり取りの温度が低い。緊張感がない。空気がこちらだけ歪んでいる。
向こうの陣地では、ナッシュが申し訳なさそうな顔をしている。
「いいからさっさと行けよ! またあの人に駄々こねられたらどうすんだ!」
「それはキッツい……」
先ほどの光景を思い出したのだろう、シャムロックの顔が歪んだ。萎れたまま、渋々と前へ出る。木剣を肩に担ぐ動きは緩慢で、これから戦う人間のものには見えなかった。
「……始めて大丈夫かなー?」
向こう側からナッシュの声が飛んでくる。
「ウッス……」
シャムロックの応えを聞いて、ルドガーが片手を上げた。林の外縁、審判の位置に立つ。
「――始め」
空気が変わった。
ナッシュとシャムロックが同時に走り出す。最初の交差は開始から四秒もかからなかった。木剣がぶつかり合い、乾いた音が耳の奥で弾けた。衝撃が空気を震わせる。
ナッシュの剣筋は正確だった。踏み込みの深さが一定で、打ち込みの軌道に揺れがない。
シャムロックは力では返さなかった。衝撃を流し、位置をずらす。足裏で重心を測りながら、相手のリズムを拾っている。
リーナが矢を番えた。弓手の位置は、グレンの旗から見て斜め前方にあたる。一射目が低い弧を描いて飛んでくる。
グレンは矢を見ていなかった。視線はナッシュとシャムロックの打ち合いに向いたままだ。
矢は旗の手前で見えない壁に弾かれ、草地へ落ちた。
リーナの目が鋭くなる。位置を変え、角度を変える。二射、三射、四射と続く。グレンは視線を動かさないまま、それらをすべて弾いた。矢の落ちる音だけが、草地の上に散っていく。
◆ ◆ ◆
後方で待機していたミレイアの目が、その光景に留まった。
あの魔術師は、矢を見ていない。おそらく、リーナがどの角度から射っても関係ない。旗の周囲を面で守っているのだろう。
◆ ◆ ◆
ドーランが一歩、旗の前を離れた。グレンが旗の前から動かないのなら、守りに人数を割く意味はない。ナッシュとシャムロックの打ち合いの隙間を読み、シャムロックの側面を取る動きに入る。大柄な身体が、重心の低い走りで回り込んできた。
シャムロックの舌が小さく鳴る。
グレンは旗の前に立ったまま、地面を軽く踏んだ。
氷柱が草地から突き出した。
旗を中心に円弧状に、間隔をばらばらにして十数本。高さも太さも不揃いな、射線を複雑に遮る配置だった。矢の通る角度が、一気に減る。
「――ッ」
リーナが半歩、横へ動く。射角を探している。氷柱の隙間から覗く旗を捉えようとして、角度が足りない。もう半歩。
その瞬間、グレンは走り出した。
防衛を捨てた。氷柱だけを残し、自陣を無人にする。
シャムロックの動きが変わる。
それまでナッシュと打ち合いながら機を窺っていた足が、グレンが走り出した瞬間に前へ出た。振り返っていない。確認もしていない。ただ、背中越しの気配だけで攻守が切り替わったことを読んでいる。
ナッシュの判断は速かった。シャムロックが攻勢に出た。グレンが前に出た。守り手がいなくなった旗がある。迷いは一瞬だった。ナッシュはシャムロックを追わず、旗へ進路を取る。氷柱の間を縫って走る。
その進路の正面に、グレンがいた。
目が合うが、ナッシュは止まらない。グレンも止まらない。
グレンの手が空を切る。ナッシュの足元が白く光り、薄い氷が地面を覆った。靴底が滑る。体勢が崩れかける。だが、崩れかけただけだ。
同時に、グレンの意識が二つに割れた。
前にいるナッシュ。奥にいるドーラン。
ドーランがシャムロックに追いつく前に足を止めなければ、シャムロックが旗に届かない。グレンはナッシュから視線を外し、ドーランの足元へ魔力を走らせた。草地が凍りつく。ドーランの重い足が、凍った地面にめり込んで止まった。
その一瞬で、ナッシュへの干渉が緩む。
ナッシュは崩れかけた体勢のまま、氷の上を踏み抜いた。滑る足を力で地面に押し込み、凍った草地ごと砕いて進む。力業だった。綺麗ではない。だが止まらない。氷柱の隙間を身体を捻って抜け、旗が目前に迫る。
シャムロックは、ドーランが止まった瞬間に踏み込んでいた。
グレンが何をしたかは見ていない。ただ、ドーランの足が止まった。それだけで十分だった。脇を抜け、旗へ向かう。
リーナの矢がシャムロックの進路に突き刺さる。足元ぎりぎりだった。警告ではない。本気で止めるための一射だ。
「止まりなさいって――!」
シャムロックは止まらなかった。矢の軌道を半歩で見切り、そのまま射線の中を強引に抜ける。旗まで三歩。二歩。
「そこまで!」
全員が止まった。
ナッシュの手がグレンの旗を掴んでいる。シャムロックの手も、敵旗の柄に触れていた。
ほぼ同時だった。
息が荒い。六人の呼吸だけが、訓練場の静けさの中で重なっている。草地に散った氷の欠片が、昼の陽を受けて鈍く光った。
「……引き分けか」
グレンが言う。呼吸を整えながら、頭の中で戦いを組み直す。ナッシュへの干渉を二つに割ったのが裏目に出た。片方に集中していれば、どちらかは確実に止められた。だが、そうすればもう片方が通る。どのみち足りなかった。
「そんな感じだな」
シャムロックが息も乱さず、何でもないように言った。木剣を肩へ戻している。走り出す前の無気力が、もう戻りかけていた。
ルドガーが両陣地の中央へ歩いてくる。足取りに満足の色があった。
「十分だ」




