暴走支部長
グレンは反射的に言い返した。
確かに自分に協調性があるとは言えない。むしろない。だが、シャムロックに言われる筋合いもない。
ナッシュが口を開きかける。
その瞬間、ルドガーの右手が静かに上がった。ナッシュの言葉が途中で止まる。
ルドガーは指を組み直す。関節が小さく鳴った。押して通らないと判断した指揮官が、次の手を選び直すときの動きだった。
「活動の幅は、文字通り変わる。グレンくんとのコンビ活動を考えれば……」
「鉄級がそんなに難しいランクとは思っていないので」
言葉が被さる。シャムロックの声だった。平坦だった。抑揚がない。熱も冷たさもない。
「普通にやって、自力で上がります」
その一言で、空気がわずかに硬くなった。
グレンは横目でシャムロックを見る。顔は変わらない。眠たげなままだ。だが、その奥に何か引っかかる。触れれば切れそうな、薄い刃のような感触。苛ついているのだろうか。
ルドガーはすぐには答えなかった。机の上の羽ペンが、窓からの光を受けて鈍く光っている。やけに目につく。
「本当に、面倒だから……それだけか?」
声の温度が落ちていた。シャムロックが顔を上げる。ルドガーの目を見た。琥珀色の瞳が、一瞬だけ陰る。
「はい」
それだけだった。短い。軽い。だが、切り捨てるような響きだった。
ルドガーは黙る。
沈黙が広がる。
グレンはそのやりとりを横から見ていた。言葉の下に沈んでいるものを探る。だが、掴めない。
自力で上がりたいのか。それとも、ただギルドの態度が気に入らないのか。どちらにも見えるし、どちらにも見えない。
シャムロックはもう視線を外していた。元の、あの力の抜けた顔に戻っている。
その奥行きが、測れない。ルドガーが天井を見上げた。
ゆっくりと息を吐く。長い息だった。吐き切るまでに時間がかかる。部屋の空気が、わずかに揺れる。
「わかった」
椅子が軋む音とともに、ルドガーが立ち上がる。上着に手をかける。布が擦れる。両肩から外し、腕を抜き、丁寧に椅子の背に掛ける。皺を伸ばす指先が無駄に整っている。
準備の動きだった。
嫌な予感が、背筋をなぞる。
「正直、この手は使いたくなかったんだが」
再び腰を下ろす。両手を卓につく。ゆっくりと、上体を前に倒す。顔が伏せられる。
「見たい……」
低い声だった。床を這うような音だった。
リーナの眉が跳ねる。
「え?」
「ベオルン討伐者の実力を……この目で……見たい……」
ナッシュの表情が消える。
「し、支部長?」
卓が、かすかに鳴った。ルドガーの手に力が入っている。指が木目に食い込む。
次の瞬間だった。
「見たい見たい見たいっ! 見~~た~~い~~!!」
声が跳ねた。
同時に、卓が大きく揺れる。振動が床を伝って、グレンの足裏に届く。
「支部長!? 支部長ッ!」
ナッシュの声が裏返る。
ミレイアがドーランを見る。助けを求める視線だった。だが、ドーランは固まっている。巨体が微動だにしない。
リーナが吹き出した。
声を押し殺しているのに、肩が激しく揺れる。息が漏れる。腰の剣帯が壁に当たり、乾いた音を立てる。
グレンはシャムロックを見る。シャムロックもグレンを見ていた。
言葉もなかった。完全に想定外だった。
「な、何とかしろよ。お前のせいだろ」
グレンはシャムロックの背中に回り、両手で押す。ぐぐ、と力を込める。ビクともしない。
「は? 俺のせい?」
シャムロックが振り返った。動揺しているのに、体幹はまったくぶれない。
「ほとんどお前が倒したようなもんだろ、ベオルン」
「何言ってんだよ。お前がいなきゃジリ貧で死んでたっての」
身体をひねり、逆に引っ張り出される。グレンは負けじと足を踏ん張った。床板がわずかに軋む。
「こっちのセリフだ。お前が押さえてなきゃ死んでたわ」
言い合いながら、互いに押し合う。どうでもいい責任の押し付け合いだった。
そのときだった。卓の振動が、止まる。音が消える。ルドガーの顔が上がる。
目が光っていた。
子供のような、澄んだ光。緑の瞳がまっすぐにグレンを射抜く。
グレンは息を呑んだ。やってしまった、と理解したがもう遅い。
「見たい見たい見たいい! ベオルン討伐コンビの実力をこの目で見たいい!」
拳が卓を叩く。一定のリズムで、何度も。振動が壁に伝わる。地図が震える。留め具がかすかに鳴る。
ナッシュが三度目の「支部長ッ!」を叫ぶ。ミレイアは口を押さえたまま動けない。ドーランだけが、ゆっくりと首を横に振った。リーナは笑いを止められない。ついに咳き込み始める。
時間が、妙に長く感じられた。やがてシャムロックが息を吐く。
「……わかりました」
その一言で、音が止まる。
「一回だけ」
静寂が落ちる。
ルドガーがゆっくりと顔を上げる。
目が、落ち着いていた。
さっきまでの無垢さが消えている。
背筋が伸びる。動きに無駄がない。椅子の背から上着を取り、袖を通す。襟を整え、前を合わせる。
一連の動作が、異様なほど滑らかで、別人のようだった。
「感謝する」
短く言う。それで終わりだった。グレンは動けなかった。
胸の奥が、じわりと冷える。
理屈ではない。
ただ、理解した。
怖い。
なりふり構わない大人というのは――怖い。




