食い違う功績
部屋の空気が沈んだ。
誰かが何かを言ったわけでもないのに、呼吸がわずかに引っかかる。胸の奥に、鈍い圧がかかる。
ナッシュたちが討伐者。
言葉だけは理解できる。しかし、意味が噛み合わない。
「なんで?」
自分の声が、思ったより低く出た。喉の奥で擦れるような音だった。
頭の中に、掲示板の空欄が浮かぶ。あの空白。何も書かれておらず、妙に目を引いた場所。
あれと、今の話が繋がる気がした。
ナッシュが口を開く。さっきよりも抑えた声だった。だが、視線はまっすぐ二人に向いている。
「誤解を生んでしまった。決してあなたたちの手柄を横取りするつもりはなかった。説明させてもらえないだろうか」
言葉は整っている。迷いもない。だが、どこかで詰まっている感じがした。
ルドガーが小さく頷く。
ナッシュが息を吸う。そのとき、乾いた喉が小さく鳴った。やけに耳についた。
「僕たちは、あなた方がベオルンを討伐した二日後に、宿場町エルドンに立ち寄った。そこで護衛を探している商人に会った」
その瞬間、グレンの中で何かが嵌まった。音がした気がした。歯車が噛み合うような感覚が、はっきりあった。
「報酬は安かったが、僕たちの目的地もセルディアだった。ついでだと思って引き受けた」
「ゴランか」
隣から、シャムロックの声が落ちる。低く、揺れない声音だった。
ナッシュが頷く。
「道中で知った。彼の隊商がベオルンに襲われたこと。護衛が返り討ちにしたことも」
「……あのケチが」
グレンの口から、乾いた笑いが漏れた。
顔が浮かぶ。金を出し渋り、得になることなら途端に饒舌になる男だ。
「セルディアに着いた後、彼は――まあ、感動していた。僕たちを素晴らしい冒険者だと言って回ったようだ」
グレンはシャムロックと目を合わせた。
シャムロックの目が、わずかに細まる。眠気の色が消えている。同じ結論に至った顔だった。
「ベオルン討伐の報せも同時期にセルディアに届いていた。ベオルンに襲われた隊商。護衛の冒険者。ゴランと一緒にセルディアに着いた僕たち。情報が、勝手に繋がった」
空気が、さらに重くなる。
「否定したんです」
小さな声が差し込んだ。白ローブの女――ミレイアだった。
「でも、誰も信じてくれなくて」
弓手のリーナが頷く。その動きに疲労が滲んでいる。
「謙遜だと思われた」
ナッシュが言う。苦味が混じっていた。
沈黙が落ちた。音が消える。誰も動かない。呼吸の音だけが、やけに近く感じられる。
グレンはナッシュたちを見る。
嘘はない。少なくとも、この場で嘘をついている顔ではない。
筋は通っている。誰も悪くない。
それでも胸の奥に、何かが沈んでいる。
昨晩、掲示板を見たときと同じものだった。言葉にもならない。ただ、沈んでいる。
重さだけがある。
「なんだそれ」
口から出た声は、思ったよりも軽かった。力が乗らない。
その直後だった。
「お前がゴランに『口を出すなら金も出せ』とか噛み付くから……」
シャムロックが言った。
低い声だったが、そこに明確な棘があった。
グレンが一瞬固まる。理解が追いつかなかった。だが、わかった。
自分たちが“まともな護衛”ではなかったから、名前が残らなかった。
「俺のせいかよ!」
反射だった。考える前に口が動く。
「お前だって『道中の食費と宿泊費はそっち持ちでないと無理っすね~、まさか自腹とか言わないっすよね~』とか言ってただろ!」
「だってそうしてもらわんと俺何も食えなかったし」
あっさり返ってくる。悪びれない。どこまでも平坦だ。
「お前そこまで金なかったの!?」
声が上擦る。自分でも少し驚くくらいに。
「お前も似たようなもんだったろ」
「し、食事代くらいあったわ!」
つまらない言葉がぶつかる。中身は無いに等しい。だが、止まらない。
さっきまで胸に溜まっていたものが、別の形で抜けていく感覚があった。
「当初から相談を受けていてね」
ルドガーの咳払いが入る。空気がわずかに揺れる。
視線が行き来する。状況を整え直す目だった。
「どうしたものかと思っていたが、当事者に直接会えてよかった。掲示板の空欄も見ただろう。あれは保留にしてある。当事者が不明だったからだ。追って、正式に記録を整理する」
グレンは何も言わなかった。言えなかった。
ただ、「保留」という言葉だけが、はっきりと残る。
頭の中で、その言葉が静かに沈んでいく。
あんな、死にそうな目に遭ったのに。よくわからないからと、存在をなかったことにされている。軽んじられている。その原因は自分にある。
ルドガーが壁の振り子時計を見る。規則的な振動音が、今さら耳に入ってくる。
革靴の踵が床を打つ。乾いた音が、小さく響いた。
「では、登録の話をしよう」
空気が切り替わる。
「シャムロックくんの登録手続きだが……その前に、ランクの話を一度させてほしい」
説明は簡潔だった。条件、例外、制限。
グレンは隣を見る。
シャムロックの顔は変わらない。朝からずっと同じ、気の抜けた表情のままだ。
面倒ごとを嫌う顔だ。
「ということで、実力の確認をさせてほしいんだが」
グレンは、断るだろうと思った。
「いや~……別にいいっす」
予想通りの声だった。力がない。やる気もない。
「えっ、なんて」
ルドガーの声が揺れる。初めて、表情が崩れた。
「銅級でいいです」
シャムロックは平然としている。
「今の説明、聞いてた?」
「聞いてました」
肩をすくめる。
「でも普通はそこからですよね」
グレンは黙って見ていた。
意外ではない。むしろ、らしい選択だった。
昨夜の時点で、もう面倒くさかったのだこの男は。
ベオルン討伐の証明書は持ち歩いていないから銅級スタートでいい、と落し所を提示したのに、ギルドの都合を押し付けられた。
証明書を見せたら見せたで「実力を確認させろ」という。
シャムロックの妥協案がすべて無視されている形だ。
ルドガーの目が細くなる。今度は別の意味で。
「この手の稼業が本当に初めての人はね。でもきみ、絶対何かの経験者でしょ」
「いやいや、冒険者のノウハウなんてこれっぽっちも……」
シャムロックはそこで、グレンを見た。
視線が、上から下まで滑る。
「お前も別にノウハウなさそうだな」
「急な飛び火で火傷させてくんのやめろ。ぶっ飛ばすぞ」




