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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
交易都市セルディア

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測る視線

 朝の冒険者街は、夜と比べていくらか人の密度が薄い。宿から出てきた冒険者たちがまばらに石畳を踏みしめ、朝日がそれを白く照らしている。昨夜の酒場の喧騒が嘘だったかのように、音の層は低く、遠い。

 空気には夜の熱が残りながらも、朝特有の涼しさが混じっていた。肺に入る空気がひんやりと喉を撫で、わずかに乾いた感触を残す。路地を抜けてくる風が、グレンの黒髪を軽く揺らし、額を撫でていった。


 シャムロックが欠伸をした。三回目だった。大きく口を開け、喉の奥まで見せるような無遠慮な欠伸。顎が外れそうなほどに開き、肩が落ち、そのまま首を鳴らす。骨の擦れる鈍い音が耳に届いた。


「シャキッとしろよ」

「してる」

「してない。目が死んでる」

「生まれつきだ」

「嘘つけ!」


 思わず声が強くなった。静かな朝の空気に、やや鋭く響く。


「ちゃんと寝たのかよ」

「寝た。寝たから眠い」

「意味がわからん」

「寝ると眠くなるんだよ」


 言葉の繋がりが成立していない。論理として破綻している。グレンは反論を組み立てかけて、途中でやめた。この手の応酬は、結局いつも同じところで終わる。噛み合わないまま、どちらも納得しない。


 ギルドの扉を押し開けると、昨夜の受付が顔を上げた。机の上で紙を揃えていた指先が止まり、わずかに動きが鈍る。その一瞬の遅れが、彼女の内面の揺れを示していた。シャムロックがそれに気づいたのかどうか、表情からは読み取れない。


「お待ちしておりました」


 シャムロックが荷袋から紙を一枚引き抜いた。報奨金受領証。エルドンの町印が押され、討伐対象と金額が整然と記されている。紙はやや擦れており、手を渡るうちに生じた細かな傷が光を反射していた。それをそのまま差し出す。


 受付は受け取り、視線を落として文字を追い、印章に目を走らせた。表情は崩れないが、紙を支える指にわずかな力が入る。紙がほんの少しだけ撓んだ。


「お預かりいたします。少々お待ちください」


 丁寧に会釈し、カウンターの奥へ消える。昨日と同じ扉が閉じる。重い木材のはまる鈍い音が、耳の奥に残った。


「また待ちか」

「まぁそうだろ」


 壁際に移動する。昨夜と同じ位置だった。背を預けると、石壁の冷たさが衣服越しに伝わる。三十秒、一分と時間が過ぎるごとに、グレンの肩がわずかに落ちていく。無意識のうちに姿勢が崩れていく感覚がある。ただ、待たされる時間は昨夜より短い。五分も経たないうちに、受付が戻ってきた。


「確認が取れました。支部長がお二人にお話を伺いたいと申しております。お時間をいただけますか」


 グレンの眉がわずかに寄る。


「……支部長?」


 証明書の確認に、支部長が出てくる。通常の手続きではない。昨夜の時点で感じていた違和感が、輪郭を帯びる。ベオルン盗賊団の討伐は、この支部にとって単なる報告以上の意味を持っている。


「こちらへどうぞ」


 受付の後に続き、廊下を進む。靴底が床を打つ音が規則的に響き、壁に貼られた紙がわずかに揺れる。廊下の空気はロビーよりも冷え、紙とインクの匂いが濃い。


 扉の手前で足が止まった。その脇に、四人の人影がある。


 壁にもたれた軽装の青年。腕を組んで直立する大柄な重戦士。弓を肩に掛けた女。白いローブの女。昨夜、入口ですれ違った一団だった。


 グレンはわずかに歩調を緩めた。なぜここにいるのかがわからない。四人の視線がこちらへ向く。青い目の青年が、グレンとシャムロックの顔を順に見た。視線の奥に、戸惑いがある。敵意ではない。評価とも異なる。見慣れないものを確認しようとする視線だった。確かめるように、わずかに焦点が揺れる。


 ただ一人、重戦士だけが違う。


 視線が一直線にシャムロックへ向いている。昨夜すれ違った瞬間にも感じた、あの測るような目だ。動かない。逸らさない。何かを見極めようとしている。圧のようなものが、空気を通してじわりと伝わる。


 グレンは無意識に拳を握った。掌に爪が食い込む。

 偶然ではない。この男は意図して見ている。だが、その意図が読めない。敵意なのか、警戒なのか、それとも別の何かか。判断できないことが、余計に神経を逆撫でする。


 シャムロックは気づいているのかいないのか、欠伸を噛み殺しながらその前を通り過ぎた。視線を受けても、何の反応も示さない。頭を軽く掻き、ぼやく。

「眠い……」


 緊張感の欠片もない声音だった。


 受付が扉を開く。


「どうぞ」


 室内に足を踏み入れる。空気が変わった。紙の乾いた匂いと、香草茶の湯気が混ざり、鼻腔に柔らかく広がる。壁一面に地図と報告書が貼られ、細かな書き込みが視界を埋めている。卓の上には書類が山積みになり、角が揃えられた束と、崩れかけた束が混在していた。朝の光が窓から斜めに差し込み、紙の凹凸に影を刻む。その陰影が、ここで処理されている情報量の多さを物理的に示していた。


 卓の向こうで男が立ち上がる。


 灰色の短髪。整えられた口髭。緑の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。椅子から立ち上がる動作に無駄がなく、筋肉の動きが最短距離で収束している。それだけで、現場を知る人間だと理解できた。


「待たせてしまって申し訳ない。私はこの支部の責任者、ルドガーだ」


 低く、よく通る声だった。

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