飯代と寝床代
振り返ると、男が立っていた。
緑の短髪。陽に焼けた肌と、眠たげにまぶたの落ちた琥珀色の瞳。だがその奥に、鈍く光るものが潜んでいる。
腰には使い込まれたロングソード。革鎧は擦れ、油の匂いをわずかに漂わせていた。無駄のない立ち姿は、長い旅と実戦の積み重ねを物語っている。
「なんだよ、急に……」
グレンが剣呑な視線を向ける。男はそれを受け流すように、浅く息を吐いた。
「あんたらが騒ぐからみんな怯えてるだろ。ちったぁ周り見ろ」
低い声だった。抑揚はないのに、不思議と耳に残る。
言われて、グレンはようやく気づいた。
広場のざわめき。遠巻きに立ち止まる人々の視線。不安げに鼻を鳴らす馬の気配。
ゴランも我に返り、頭を掻いた。乾いた髪がざり、と音を立てる。
「すまん、つい興奮して……ところで君は?」
「通りすがりだ」
男はそっけなく答え、視線をゆっくりとグレンへ移す。
「そっちの兄ちゃん、ガキみてぇに喚くなよ」
「ガキじゃない!」
反射的に声が跳ねる。その瞬間、男の口元がわずかに歪んだ。
「悪ぃ悪ぃ。魔術師のお兄ちゃんだったな」
わざとらしく言い直す声音に、グレンの頬に熱が集まる。掴みかかりたい衝動を、奥歯で噛み潰す。
「まぁ落ち着けって。で?」
男は肩を軽く回しながら、気軽に言う。
「何で揉めてんだ?」
ゴランが息を整え事情を話し始めた。とは言え、声にはまだ熱が残っている。
「この若者がウチの護衛依頼を受けると言うんだが、単独というのが心許なくて……」
「ほう?」
琥珀色の瞳が、細くなる。グレンに向けられたその視線には、侮りはない。だが、値踏みするような冷たさがあった。グレンは無意識に睨み返す。
「あんたは何人雇いたいんだ?」
「出来ればあと一人」
「目的地は?」
「セルディアだ」
男はわずかに首を傾げる。考える仕草は緩慢だが、視線は鋭いままだ。
「報酬は?」
「銀貨二十枚」
金額を聞いた瞬間、男の口元が、ほんの僅かに歪んだ。
「随分と渋いな」
「仕方ないだろう、これが限界なんだ」
ゴランの声に、焦りが混じる。
「だからその金額なら人数に文句付けんなって言ってんだよ」
グレンが食ってかかる。
「どっちも落ち着け」
男の声が、間に割り込む。大きくはない。だが、その一言で場の熱がわずかに引いた。
彼は大きく息を吐くとゴランに向き直り、片手を軽く挙げる。
「なら俺が同行してやってもいいぜ」
風が、一瞬止まったように感じられた。ゴランの目が丸くなる。
「本当か? だが報酬は増やせないぞ」
「折半で構わん」
即答だった。グレンの胸の奥が、冷たく沈む。
――半分。
頭の中で、銀貨の割れる音がした気がした。
「待て、俺は認めてないぞ!」
抗議の声をあげるが、男は涼しい顔で言い放つ。
「そうだな、納得できないなら断ればいい」
グレンが言葉に詰まる。逃げ道の形をしているが、逃げ道ではない言葉だった。断ればどうなるかは分かっている。罰則。評価の低下。そして――今夜の寝床もない。
選択肢は、最初からなかった。
「……わかった」
絞り出した声は、ほとんど呻きに近かった。男はそれ以上何も言わず、ゴランに手を差し出す。
「話はまとまったな。よろしく頼むぜ」
「ああ、こちらこそ。俺はゴランだ」
分厚い掌同士がぶつかり、鈍い音が鳴る。
「妻のエレナと、従者のマークとジョーだ」
紹介を受けた女が柔らかく微笑む。従者たちは控えめに頭を下げた。
「シャムロックだ」
短い名乗り。グレンはその様子を、黙って見ていた。荷馬車の陰から覗く視線。ひそひそと交わされる声。
空気が、自分だけを残して進んでいく。
その時、かすかな吐息が、耳に触れた。視線を向けると、緑髪の男がわずかに肩を竦めている。
「まったく……めんどくせぇな」
独り言のような呟きに、グレンの眉が寄る。
(面倒なら、なぜ首を突っ込む)
問いかけるより早く、男がこちらを向いた。
「で? 魔術師のお兄さんは何て名前だ?」
改めて問われ、グレンは顔を逸らしたまま答える。
「……グレンだ」
「よろしくな」
差し出された手を一瞥し、一瞬だけ迷い、やがて掴む。節くれだった大きな掌は固く、温かい。生粋の戦士の手だ。
短い握手を終えると、男は改めてゴランに向き直った。その目が、わずかに細まる。
「さて、ゴランさん。一つ確認だ」
「ああ、なんだ?」
「給金は銀貨二十枚をこいつと折半。それでいいな?」
「ああ」
ゴランが頷く。その返事を受けて、シャムロックは静かに続けた。
「道中の飯と寝床はそっち持ちで頼めるんだよな」
空気が止まる。
「……は?」
ゴランの表情が固まる。彼の目には明らかに戸惑いが浮かんでいた。
「待て、それは……」
「普通だろ」
シャムロックは肩をすくめる。
「護衛を雇って、飯も寝床も自腹で賄えってのは、さすがに聞いたことがないしな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
ゴランが口ごもる。額に汗が浮かんでいた。
「い、いや……その分も含めての銀貨二十枚だと思ってもらえれば……」
「銀貨十枚で一週間働いて、その中から飯代と宿代も出せって?」
シャムロックが首を傾げた。計算するまでもない、という顔だった。
「それだとこっちの手元に何も残らんだろ」
「だ、だからそれは……こっちも厳しくて……」
「厳しいのはわかった」
シャムロックは肩をすくめた。
「じゃあ交渉決裂だな。悪いが、他を当たってくれ」
「おい、待ってくれ!」
ゴランの声が裏返る。彼は必死に説得しようとした。
「護衛料が安いのは分かる! だがこっちにも限界があるんだ!」
「限界ね」
シャムロックが振り返る。その笑みは、わずかに冷たい。
「つまりあんたは、命を懸ける護衛にまともな対価も払わずに済ませたいってことか」
「そんな言い方はないだろう!」
ゴランの顔が赤くなる。
「俺たちは慈善でやってるんじゃない! 利益を出さなきゃ生きていけないんだ!」




