救援、夜を駆ける
夜気が鎧の隙間から忍び込み、シャムロックの裂傷を容赦なく撫でた。冷えた風が肉を刺すたび、肩口の傷が鈍く疼く。鼻先には、乾きかけた血と湿った土の匂いが混じっていた。隣に横たわる男の呼吸は細く、かろうじて続いている。星明かりも乏しい漆黒の天蓋の下、篝火ひとつない街道では、待つことしかできなかった。
「くそ……」
歯の隙間から漏れた低い呻きは、森のざわめきに吸われて消えた。背後の藪では梟が掠れた声を落とし、枝葉がかすかに擦れ合う音が絶えず続いている。風のせいなのか、誰かが潜んでいるのか判別しづらい。野生の獣であればまだいい。盗賊の残党であれば、傷ついた二人では到底持たない。
「しっかりしろ……」
自分に言い聞かせるように呟き、シャムロックは痛む腕を押してグレンの脈を確かめた。指先に触れる拍動は弱々しいが、途切れてはいない。だが、脂汗で額に張り付いた前髪の奥にある顔色は、蝋を塗ったように青ざめていた。救援が来なければ、二人ともここで終わる。
その時だった。低い響きが大地を這うように届いた。蹄鉄が土を踏みしめる音に、人の掛け声が重なる。最初は風が運んだ幻聴かと思えたが、音は次第に確かな重みを増し、やがて前方の藪が揺れ、いくつもの灯火が躍り出た。
「シャムロック殿! グレン殿! おられますか!」
聞き慣れない男の声だった。自分たちの名が呼ばれたと理解した瞬間、シャムロックは肺の奥に溜まっていた重いものを吐き出した。安堵なのか、死の縁から引き戻された反動なのか、いずれにしても肩から力が抜けるのを堪えるのがやっとだった。
「こっちだ……!」
腹の底から絞り出した声は、乾いて掠れていた。それでも充分だった。灯火を掲げた一団が、揃ってこちらへ駆け寄ってくる。先頭の男が鞍から滑り降りるように地面へ飛び降りた。精悍な顔立ちで、吊り上がった眼差しが一瞬で状況を見抜く。そのまま迷いなく部下へ号令を飛ばした。
「重傷者二名を発見! 一名は意識不明、即時搬送を要す! 他一名も同行させる!」
衛兵たちが一斉に動いた。グレンの周囲へ膝をつき、折れた右腕と左脚を添え木と粗布で固定していく。布を裂く音、木片が触れ合う音、薬草の匂いが暗い街道に広がる。シャムロックもまた、若い衛兵に半ば抱えられながら立たされた。濡れた革鎧は肌に貼りつき、一歩踏み出すたび、肩の傷が脈打つように痛んだ。
「シャムロックさん……!」
荷馬車の上からゴランが叫んだ。顔から血の気が引き、目尻には涙がにじんでいる。
「よくぞ……よくぞご無事で……!」
「無事とは程遠いがな」
笑おうとしても、顔の筋肉がうまく動かない。
「礼なら後だ。今は急いでくれ」
「もちろんです! すぐに町へ!」
半ば悲鳴のような返事に、衛兵隊長らしき男が頷いた。
「ビクトルと申します。エルドン衛兵隊長です。僭越ながら指揮を執ります」
「シャムロックだ」
短く刈り込まれた金髪が松明の灯を鈍く返す。ビクトルは周囲を一瞥すると、淀みのない声で指示を飛ばした。
「荷馬車に二人を移し、町へ戻る。道中の警戒は厳となせ」
若い衛兵が恐る恐る手を挙げる。
「隊長……この、死体は……どうしましょう……」
街道沿いには、数十体の屍が散らばっていた。その中心には、血に塗れた巨大な斧と、憤怒の形相を残したまま絶命した巨漢の遺体がある。死してなお漂う凶暴な気配に、兵の声が震えていた。
「最優先は怪我人の搬送だ」
ビクトルは即答した。
「主要道路の封鎖だけを行い、残りは明朝改めて対応する。だが……」
藍色の瞳が巨体を鋭く射抜く。
「この巨大な一体だけは、街へ持ち帰る。手配書と照合する」
隊員たちは恭しく頷き、手際よく動き始めた。重鎧の巨漢は数人がかりで担架に乗せられ、その他の遺体は即席の穴へ投げ込まれ、土を被せられていく。血の匂いと、腐敗の兆しを孕んだ夜風が鼻の奥を刺した。




