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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
銀貨二十枚の護衛

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救援、夜を駆ける

 夜気が鎧の隙間から忍び込み、シャムロックの裂傷を容赦なく撫でた。冷えた風が肉を刺すたび、肩口の傷が鈍く疼く。鼻先には、乾きかけた血と湿った土の匂いが混じっていた。隣に横たわる男の呼吸は細く、かろうじて続いている。星明かりも乏しい漆黒の天蓋の下、篝火ひとつない街道では、待つことしかできなかった。


「くそ……」


 歯の隙間から漏れた低い呻きは、森のざわめきに吸われて消えた。背後の藪では梟が掠れた声を落とし、枝葉がかすかに擦れ合う音が絶えず続いている。風のせいなのか、誰かが潜んでいるのか判別しづらい。野生の獣であればまだいい。盗賊の残党であれば、傷ついた二人では到底持たない。


「しっかりしろ……」


 自分に言い聞かせるように呟き、シャムロックは痛む腕を押してグレンの脈を確かめた。指先に触れる拍動は弱々しいが、途切れてはいない。だが、脂汗で額に張り付いた前髪の奥にある顔色は、蝋を塗ったように青ざめていた。救援が来なければ、二人ともここで終わる。


 その時だった。低い響きが大地を這うように届いた。蹄鉄が土を踏みしめる音に、人の掛け声が重なる。最初は風が運んだ幻聴かと思えたが、音は次第に確かな重みを増し、やがて前方の藪が揺れ、いくつもの灯火が躍り出た。


「シャムロック殿! グレン殿! おられますか!」


 聞き慣れない男の声だった。自分たちの名が呼ばれたと理解した瞬間、シャムロックは肺の奥に溜まっていた重いものを吐き出した。安堵なのか、死の縁から引き戻された反動なのか、いずれにしても肩から力が抜けるのを堪えるのがやっとだった。


「こっちだ……!」


 腹の底から絞り出した声は、乾いて掠れていた。それでも充分だった。灯火を掲げた一団が、揃ってこちらへ駆け寄ってくる。先頭の男が鞍から滑り降りるように地面へ飛び降りた。精悍な顔立ちで、吊り上がった眼差しが一瞬で状況を見抜く。そのまま迷いなく部下へ号令を飛ばした。


「重傷者二名を発見! 一名は意識不明、即時搬送を要す! 他一名も同行させる!」


 衛兵たちが一斉に動いた。グレンの周囲へ膝をつき、折れた右腕と左脚を添え木と粗布で固定していく。布を裂く音、木片が触れ合う音、薬草の匂いが暗い街道に広がる。シャムロックもまた、若い衛兵に半ば抱えられながら立たされた。濡れた革鎧は肌に貼りつき、一歩踏み出すたび、肩の傷が脈打つように痛んだ。


「シャムロックさん……!」


 荷馬車の上からゴランが叫んだ。顔から血の気が引き、目尻には涙がにじんでいる。


「よくぞ……よくぞご無事で……!」

「無事とは程遠いがな」


 笑おうとしても、顔の筋肉がうまく動かない。


「礼なら後だ。今は急いでくれ」

「もちろんです! すぐに町へ!」


 半ば悲鳴のような返事に、衛兵隊長らしき男が頷いた。


「ビクトルと申します。エルドン衛兵隊長です。僭越ながら指揮を執ります」

「シャムロックだ」


 短く刈り込まれた金髪が松明の灯を鈍く返す。ビクトルは周囲を一瞥すると、淀みのない声で指示を飛ばした。


「荷馬車に二人を移し、町へ戻る。道中の警戒は厳となせ」


 若い衛兵が恐る恐る手を挙げる。


「隊長……この、死体は……どうしましょう……」


 街道沿いには、数十体の屍が散らばっていた。その中心には、血に塗れた巨大な斧と、憤怒の形相を残したまま絶命した巨漢の遺体がある。死してなお漂う凶暴な気配に、兵の声が震えていた。


「最優先は怪我人の搬送だ」


 ビクトルは即答した。


「主要道路の封鎖だけを行い、残りは明朝改めて対応する。だが……」


 藍色の瞳が巨体を鋭く射抜く。


「この巨大な一体だけは、街へ持ち帰る。手配書と照合する」


 隊員たちは恭しく頷き、手際よく動き始めた。重鎧の巨漢は数人がかりで担架に乗せられ、その他の遺体は即席の穴へ投げ込まれ、土を被せられていく。血の匂いと、腐敗の兆しを孕んだ夜風が鼻の奥を刺した。

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