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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
銀貨二十枚の護衛

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劣勢の刃

 要求は短く、刃のように鋭かった。言葉は少ないが、その場の空気を切り裂く圧力を帯びていた。もはや交渉という余地は残されていない。


「断る」


 低く濁った声とともに、ベオルンが大斧を掴み上げる。鉄塊が擦れる重い音が耳に残り、柄を握る指の軋みがわずかに響いた。視線はすでにグレンから外れている。地に伏した魔術師はもはや脅威ではないと切り捨てた判断が、その動作の無駄のなさに表れていた。

 代わりに向けられるのは、目の前に立つ剣士ただ一人。

 斧を肩越しに担ぎ上げたベオルンの筋肉が膨張し、鎧の隙間から汗の匂いと鉄の臭気が立ちのぼる。対するシャムロックは歩みを止めない。靴底が地面を踏みしめるたび、乾いた土と砂利が小さく弾けた。


「どうしても欲しけりゃ、力ずくで来いよ」


 ベオルンが歯を剥き、挑発の笑みを浮かべる。舌が歯列をなぞり、湿った音がかすかに漏れる。大斧が振りかぶられ、空気が重く沈む。


「ああ」


 その応答は短い。だが次の瞬間、シャムロックの身体が地を蹴った。風を裂く鋭い踏み込み。視界の端で土煙が弾け、間合いが一息で潰される。

 斧が唸る。重い軌道が空気を押し潰し、低い風鳴りを生む。剣がそれを迎え撃つ。鋼と鋼が衝突した瞬間、耳を打つ鈍音とともに火花が爆ぜ、焦げた鉄の匂いが鼻腔を刺した。

 両者は互いの力量を読み切っていた。シャムロックの刃は速く、鋭い。しかしベオルンの一撃は質量そのものだった。受ければ骨に響き、内臓にまで震動が届く。


「ふんッ!」


 ベオルンが押し込む。斧の重みが剣にのしかかり、金属が軋む悲鳴を上げる。シャムロックの足元で地面が削れ、砂と小石が靴の裏から弾き飛ばされた。

 均衡は長く続かない。

 シャムロックは刃をわずかに傾け、力の流れを逸らす。滑るように斧の軌道を外されたベオルンの巨体が、一瞬だけ重心を失った。

 その刹那、シャムロックの身体が反転する。柄頭が弧を描き、側頭部へと打ち込まれる。しかしベオルンは首をわずかに傾け、風を切る音だけを残してそれを避けた。

 直後、肘が唸る。空気を圧縮する鈍い音とともに突き出された一撃。


「チィッ!」


 シャムロックが跳ぶ。足裏に伝わる衝撃とともに地面を蹴り、間一髪で軌道を外す。着地と同時に再び踏み込み、低い姿勢から突きが放たれる。

 だがそれも、斧の柄が打ち払った。乾いた衝突音。手首に伝わる反動の重さ。

 再び質量が迫る。


「しぶとい奴だ……!」


 ベオルンが低く唸る。吐息には鉄と血の臭いが混じっている。シャムロックは答えない。ただ剣を構え直し、呼吸を整える。互いの荒い息だけが、暗く沈み始めた空間に浮かび上がった。

 刃を交えながら、シャムロックが叫ぶ。


「おい! 寝てる場合か!」


 声が地面に転がるグレンへと叩きつけられる。返答はない。だが、泥にまみれた指先がわずかに震えた。


「立て! お前がやらなきゃ終わりだぞ!」


 言葉は激しいが、その声は自らを奮い立たせるように響いていた。

 斧が横薙ぎに唸る。空気が裂け、皮膚を撫でるだけで粟立つ風圧。シャムロックは身体を捻り、紙一重で回避する。

 しかし次の瞬間、鈍い衝撃が左肩を打った。柄頭による打撃。骨に直接響く重さ。


「ぐっ……!」


 傷口から血が滲み、衣服を濡らしていく。温かい液体が皮膚を伝い、冷たい外気に触れて急速に冷えていく感覚。それでも動きは止まらない。

 再び踏み込む。刃と斧がぶつかり、火花が散る。衝突のたびに空気が震え、周囲の木々がざわめいた。


「グレン! 聞こえるか! こいつは俺一人じゃ倒せん!」


 それでも、シャムロックは退かない。位置を変えず、壁のように立ちはだかる。

 金属音が連続する。衝撃が腕を通して骨に蓄積し、筋肉が悲鳴を上げる。それでも剣は落ちない。


「ふん、若造が粋がるのもここまでだ」


 嘲りとともに、ベオルンが踏み込む。シャムロックは両手で柄を握り、その一撃を全身で受け止める。

 衝撃が膝を沈める。地面が割れ、振動が足裏から脊髄へと突き上げた。歯を噛み締める音が、自分の耳にもはっきりと響く。


「グレンッ!」


 叫びが裂ける。

 その直後、横へ転がるように離脱する。鎧の隙間へ刃を差し込むが、浅い。肉の厚みと筋肉が侵入を阻む。刃先に伝わる鈍い手応え。


「チッ……!」


 距離を取る。呼吸が荒い。肺に入る空気が焼けるように熱い。それでも視線は逸れない。


「聞こえてるんだろ! 起きろ!」


 その声はもはや命令ではなく、祈りに近かった。


「無駄だ」


 ベオルンが笑う。喉の奥で濁った音が転がる。


「あいつはもう立ち上がれねぇよ」


 口角が歪み、歯の隙間から湿った息が漏れる。


「あいつはなぁ、地べたを這いずってるのがお似合いなんだよ」


 その言葉に、空気が冷える。シャムロックの動きが一瞬だけ鋭さを増す。


「貴様……!」


 怒りを乗せた一撃。しかし斧はそれを受け流す。軌道は読まれ、力は空を切る。


「おっと危ない。慌てるなよ」


 余裕がある。動きに無駄がない。長年積み重ねた戦場の経験が、その差として露呈していた。


「さて……もう飽きたな」


 ベオルンが重心を落とす。筋肉が膨れ、空気が張り詰める。周囲の温度がわずかに下がったように感じられるほどの圧力。


「そろそろ死ね」


 次の瞬間、巨体が飛び込んできた。地面が震え、衝撃が足元から伝播する。これまでとは比較にならない速度。

 シャムロックは咄嗟に剣を構える。だが間に合わない。


「ぐっ……!」


 衝突。両腕に稲妻のような痛みが走る。剣が軋み、骨が悲鳴を上げる。衝撃に身体が浮き、視界が反転する。

 背中から地面に叩きつけられた。肺の空気が一瞬で押し出され、呼吸が止まる。


「ガハッ……!」


 喉から掠れた音が漏れる。空気が入らない。胸が焼ける。

 立ち上がろうとするが、脚が応えない。地面の冷たさだけがやけに鮮明に伝わってくる。


「ほら見たことか」


 足音が近づく。重く、確実な一歩一歩。ベオルンの影が伸び、視界を覆う。


「これで終わりだ」

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