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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
銀貨二十枚の護衛

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過去との邂逅

 耳を引き裂くような金属音が炸裂した。衝突の瞬間、空気そのものが弾け、見えない波となって周囲へ押し広がる。

 シャムロックの腕が激しく震える。骨の奥まで軋む感覚が伝わるほどの衝撃。踏みしめた足が砂にめり込み、地面を掴むように力を込めているにもかかわらず、じりじりと押し返されていく。


「ぬぅ……ッ!」


 喉の奥から絞り出すような呻きが漏れる。敵の膂力は常軌を逸していた。まるで巨大な獣に顎で噛み砕かれかけているかのような圧力。肩口の裂傷から熱い血が流れ落ち、鎧の内側を伝ってぬるりと服に滲む。それでも一歩も退かない。背後にいる存在を守るために、全身を楔のように打ち込む。


「重い……!」


 グレンはその背後で、杖を掲げたまま意識を極限まで絞り込む。視界は細く狭まり、シャムロックの肩越しに見える敵の姿だけを捉えていた。フルヘルムの奥に潜む視線を想像する。あの声。あの気配。確かに知っている。

 だが、思い出すことを拒む本能が、思考の奥で強く抵抗していた。

 それでも記憶は滲み出る。


 暗い地下。湿った石壁にこびりつく黴の匂い。鎖が引きずられる音。誰かの叫び。冷えきった床に押しつけられる感触。逃げ場のない閉塞。


 違う。


 ここはヴェルンハイトの屋敷ではない。今、目の前にいる敵を見ろ。シャムロックが命を削って作り出した時間を、無駄にするわけにはいかない。


「燃えろ!」


 詠唱が空気を震わせる。喉を焼くような熱を伴って言葉が放たれる。シャムロックが瞬時に飛び退く。

 杖の先端から蒼い炎が噴き上がった。空気を巻き込みながら螺旋を描き、唸り声のような低音を伴って膨れ上がる。炎はやがて形を取り、牙を剥く竜の如き奔流となって敵へ襲いかかった。

 熱が一気に膨張する。皮膚が焼けるような感覚。空気が歪み、視界が揺らぐ。

 灼熱の渦が重装鎧を包み込む。金属が一瞬で赤熱し、焼けた鉄の匂いが鼻腔を刺す。鎧板が軋み、悲鳴のような音を立てながら歪んでいく。


「ちぃっ!」


 初めて苦痛の声が漏れた。装備の重量が逃げ場を奪っている。動きが鈍る。間髪入れずに次の術へ移る。魔力を引き裂くように引き上げ、温度を反転させる。

 炎が消えた直後、世界が凍りついた。

 空気が急激に収縮し、肌を刺すような冷気が吹き荒れる。呼吸が白く弾け、肺の内側まで冷やされる感覚。

 空中に生じた氷柱が、乾いた音を立てて砕け散る。その破片が鋭利な刃へと変わり、全方位から襲いかかる。一つ一つが魔力を帯び、触れれば内部から組織を凍結させる致死の刃。


「小賢しい真似をォ!」


 男が大斧を振り回す。風を裂く音が連続し、いくつかの氷刃が砕け散る。だが、数が多すぎる。死角から滑り込んだ刃が鎧の隙間へ突き刺さる。


 鈍い手応え。


 直後、内部で凍結が走る。鎧の一部が砕け、鮮血が噴き出す。夕日の中でそれが鈍く光る。


「効いてる!」


 シャムロックが声を上げる。だがその表情はすぐに引き締まる。敵の気配が変わった。怒気が膨張し、空気が重く沈む。

 次の瞬間、首領が踏み込んだ。


「調子に乗るなァ! ガキ共がァ!」


 怒号が炸裂する。大斧が唸りを上げ、空気を切り裂く。衝撃音が鼓膜を叩き、頭の奥が痺れる。

 狙いはグレン。

 シャムロックが割り込む。剣を水平に構え、真正面から受け止める。


「ぐううッ!」


 衝突。

 音が爆ぜる。腕から肩へ、さらに背骨へと衝撃が貫く。


「ぬううんッ!」


 敵がさらに押し込む。骨が悲鳴を上げる。筋肉が引き裂けそうになる。それでも踏み止まる。だが。


「ぐ、あ……ッ!」


 限界が来た。

 圧力に押し潰され、シャムロックの身体が宙に浮く。次の瞬間、地面に叩きつけられた。鈍い衝撃音とともに砂塵が舞い上がる。呼吸が強制的に吐き出され、そのまま数メートル転がる。

 その隙を逃さず、首領がグレンへ突進する。


「まずはお前からだ!」


 声が空間を圧し潰す。巨体が迫る。大斧が頭上で旋回し、空気を巻き込んで唸る。地面が震え、足裏から振動が伝わる。

 一歩ごとに距離が消える。

 心臓が暴れる。視界が狭まる。思考が白く飛びかける。


「やめろぉ!」


 シャムロックの叫びが割り込む。彼は身体を起こそうとするが、動きが鈍い。

 間に合わない。

 巨影が目前まで迫る。


 刹那、グレンの思考が加速する。防御か、反撃か。冷静な判断と、内側を這い回る記憶がぶつかり合う。地下室。鎖。声。痛み。選択は一瞬だった。


 死んでたまるか!


 汗で滑る杖を握り直し、恐怖を押し殺して術を紡ぐ。


「グレン!」


 叫びと同時に、世界が止まった。首領の動きが、わずかに硬直する。

 その一瞬が、グレンの命を長らえさせた。


 杖先から青白い光が奔る。空気を裂き、無数の氷柱が生まれる。それらは意思を持つかのように軌道を変え、巨漢の顔面へと殺到する。

 狙いは正確だった。精密だった。ただ、内側から湧き上がる衝動に従った一撃だった。


 殺せ、と。


 氷刃が防御の隙を突き、叩き込まれる。


「がはっ!」


 フルヘルムに亀裂が走る。蜘蛛の巣のように広がり、次の瞬間、砕け散った。破片が弾け、乾いた音を立てて地面に散らばる。

 夕日が、その下に隠されていた顔を照らし出す。


 視線が交差する。

 その瞬間、グレンの意識が凍りついた。


 頭蓋の内側を稲妻が走る。音が消える。色が褪せる。世界が遠のく。時間が引き延ばされる。呼吸ができない。


「嘘だ……」


 声が掠れる。喉が張り付き、唾液が飲み込めない。手の震えが止まらない。視界が揺れ、焦点が合わない。


 赤茶けた髪。血走った眼。額から顎へ走る古傷。歪んだ笑み。忘れようとしても消えなかった顔。地下室で、自分のすべてを踏みにじった男。


 ベオルン・ブラッドベイン。

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