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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
銀貨二十枚の護衛

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13/25

蟲の夢、白い夜

 実験は加速していった。痛みも恐怖も、慣れる前に次の段階へと押し上げられる。

 ヴェルンハイトが持ち出したのは、魔蟲と呼ばれる極小の生物だった。


「これを埋め込めば、魔力容量は数倍になるはずだ」


 薄いガラス瓶の中で、黒い点がゆっくりと蠢いていた。液体の中を漂いながら、時折、内側から叩くように壁へ触れる。そのたびに、かすかな音がした。湿った何かが擦れるような音だった。蓋が開けられた瞬間、鉄のような匂いが鼻を刺した。

 埋め込まれた少年少女は、次々に命を落とした。悲鳴は長く続かない。途中で途切れ、代わりに喉の奥で潰れる音が残る。


 生き残ったのは、グレンだけだった。


「やはり君は特別だ」


 ヴェルンハイトが笑う。

 その声は、興味深い標本を前にした研究者のそれだった。


 胸の奥で魔蟲が脈動していた。鼓動とは異なる、異物のリズム。内側から壁を叩き、押し広げ、位置を変える。

 腹膜の裏側を、何かが這いずる。爪のない指で内臓をなぞられるような不快感が、じわじわと広がる。

 次の瞬間、激痛が弾けた。


 全身の血管に、沸騰した鉛を流し込まれたかのような熱が走る。皮膚の下で何かが膨れ上がり、内側から破裂しそうになる。喉が焼け、肺が縮む。叫ぼうとしても、声は形にならない。歯の隙間から、掠れた息だけが漏れる。

 それでも死ねなかった。

 死ねないことが、何よりも恐ろしかった。


 ある夜、屋敷の獣が酒に潰れた隙を突いて逃げ出した。足音を殺し、息を押し殺し、暗い廊下を駆ける。

 追い詰められたのは、崖の上だった。風が強く、冷たい空気が肺に刺さる。

 捕まれば、また地下に戻される。


 古い文献に記された禁術が、脳裏に浮かんだ。

 次元を跳躍する術。失敗すれば、肉体は崩壊する。


「捕まるくらいなら——」


 術式を組み上げた瞬間、世界が歪んだ。

 空間が捩じれ、輪郭が崩れる。

 色彩が溶け、境界が失われる。


 上下も前後も分からなくなり、感覚が裏返る。


 すべてが白に塗り潰されていく。


 最後に感じたのは、内側から食い破ろうとする魔蟲の熱だった。


 ◆ ◆ ◆


 冷たい感触が皮膚に触れた瞬間、目が開いた。


 視界は暗く、天井の輪郭が揺れている。焦点が合わないまま、影だけが滲む。

 喉がひくりと鳴る。息を吸い込もうとして、空気が胸まで届かない。思わず上体を起こす。肺が浅く震え、呼吸が細かく途切れる。心臓が耳の奥で叩きつけるように鳴っていた。


(……逃げ……)


 脳裏に浮かびかけた言葉を、慌てて噛み殺す。

 視線が無意識に胸元へ落ちる。

 指が服越しにそこを押さえた。

 皮膚の下で、何かが蠢いた気がした。錯覚だと分かっていても、背筋が粟立つ。


 耳の奥で、ざわりと音がした。

 蟲同士が擦れ合うような、低く湿った蠕動音。


「……っ」


 反射的に耳を塞ぎかけ、寸前で止める。

 指先が震えていた。

 拳を握り締める。爪が掌に食い込み、鋭い痛みが現実を引き戻す。


 何もいない。


 ここは地下でも、森でも、崖際でもない。

 冷たいシーツが肌に触れている。硬い寝台の軋み。

 宿特有の埃と乾いた木の匂い。


(……夢)


 そう結論づけるまでに、数拍かかった。

 安堵はすぐには訪れない。

 代わりに胸に広がったのは、鈍い恐怖だった。


 そっと、隣のベッドへ視線を移す。

 シャムロックは背を向けたまま、静かな寝息を立てていた。

 規則的に上下する背中。

 一定の間隔で繰り返される呼吸音。

 グレンはそれを、無意識に数えていた。

 一つ、二つと、確かめるように。


(……よかった)


 胸の奥で、ようやく何かが緩む。

 手を伸ばせば触れられる距離に他人がいる。その事実だけで、現実に繋ぎ止められている。

 だが、手を伸ばすことはしなかった。


 起こしてしまったら、何と言えばいいのか分からない。

 グレンはゆっくりと横になり、目を閉じた。

 まぶたの裏に、赤黒い残像がまだ焼き付いている。

 それを意識の底へ押し沈めるように、深く息を吸い、吐く。


 過去のことなど、話せるわけがない。


 だから明日も、何でもない顔をする。

五日目。旅路最後の一日が始まります。

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