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天元魔術師と白詰草 ~孤独な最底辺魔術師、訳あり無気力剣士と大森林の異変に挑む~  作者: 藍川葵
銀貨二十枚の護衛

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12/25

広場の魔術師

 セルディアに向かって四日目。

 朝の冷えがまだ地面に残るうちに「銀の鹿亭」を発ち、隊商は再び街道へ出た。


 午後、街道が広くなり始めた。

 踏み固められていた土に石が混じり、やがて轍が幾筋も刻まれているのが見える。すれ違う馬車の数が増え、馬の息と革の軋む音が途切れなく続く。

 やがて、石造りの屋根が重なり合う影が見え始めた。風に乗って、人のざわめきと荷車の軋みが一つの塊となって流れてくる。乾いた街道の匂いに、煙と油の気配が混ざった。


 昨日までの宿場町とは規模が違う。

 夕刻にもかかわらず、人の流れは途切れない。広場に足を踏み入れた瞬間、熱気が肌にまとわりついた。屋台が軒を連ね、炭火の上で肉が焼ける。脂が弾ける音が耳に跳ね、香辛料の刺激的な匂いが鼻を刺す。甘い菓子の匂いがそれに絡みつき、空腹を無理やり引きずり出してくる。

 活気という言葉がよく似合う町だった。


 ゴランは到着早々、積荷の確認と明日の行程を詰めるため、宿の奥へ消えていった。

 護衛の出番は、ひとまず途切れている。


 広場中央の噴水の縁に腰を下ろし、グレンは行き交う人々をぼんやりと眺めていた。水音が規則的に耳に届き、冷たい飛沫がわずかに頬にかかる。

 金がない。やることもない。

 魔道具店の看板が視界の隅で揺れる。磨かれた金属の反射が、やけに眩しく感じられた。冷やかすだけでも惨めな気分になるので、視線を逸らす。


 指先で石の縁をなぞる。ざらついた感触と冷えだけが、現実を繋ぎ止めていた。


 そのとき、広場の隅で声が上がった。


「だから関係ないだろ! 俺はただ通りかかっただけだ!」


 若い男の声だった。ざわめきの中でも、棘のある響きだけが浮き上がる。

 視線を向けると、露店の前で揉め事が起きていた。

 二十歳前後の痩せた男が、露店の主人と客の男に詰め寄られている。男の腰には小さな杖が差してあった。

 魔術師だ。


「昨日からうちの品が減ってんだよ。お前みたいなのが通るたびにな」

「みたいなの、って何だよ」

「魔術師だろ。手も触れずに物を盗れるんだろうが」


 露店主の声には確信があった。

 根拠は見えないのに、断定だけが硬く残っている。

 客の男が腕を組み、ゆっくり頷く。


「この辺じゃ最近そういう話が多いんだ。魔術師が通ると品物がなくなるってな」

「知らねえよそんなの! 濡れ衣だ!」


 若い魔術師が声を荒げる。だが周囲の人間は、わずかに距離を取るばかりで、誰も口を挟まない。視線だけが集まり、音のない壁のように取り囲む。

 露店主が若い魔術師の胸を押した。布越しに鈍い音が響き、男の体が後ろに崩れる。背が木箱にぶつかり、積まれていた果物が崩れ落ちた。硬いものが石畳に当たる乾いた音と、潰れる柔らかな音が混ざる。


「ほら見ろ! 品物を台無しにしやがって!」


 自分で押しただろうが。

 グレンの奥歯がわずかに軋んだ。


 噴水の縁から立ち上がる。

 考えるより先に足が動いていた。


「おい」


 喉を通った声は、思った以上に低く、冷たかった。


 露店主と客の男が振り返る。

 黒いローブと杖を見て、二人の視線が値踏みするように上下した。


「なんだ、お前も魔術師か」


 露店主の声に、警戒と苛立ちが混じる。

 グレンは若い魔術師には目もくれず、露店主の顔をまっすぐ見た。


「今の、お前が押したよな」

「はあ?」

「商品が落ちたのはお前のせいだろ。なのに弁償しろだと。当たり屋か?」


 灰青色の瞳に浮かぶのは怒りではない。冷え切った軽蔑だった。温度を持たない視線が、相手を値踏みする。


「てめえ、何様のつもりだ」


 客の男が一歩踏み出す。体格はグレンの倍近い。

 グレンは動かなかった。


「何様でもない。見たまま言ってるだけだ」

「見たまま、だと?」

「証拠もなく人を泥棒呼ばわりして、突き飛ばして、落ちた品物の責任を擦りつける。それを大の大人が二人がかりでやってる。よくもまあそんなみっともない真似を」


 最後の言葉が、火種に油を注いだ。


「このガキ……!」


 胸倉を掴み上げられる。布がきしみ、足が地面から浮きかける。

 グレンは表情を変えなかった。


 ただ、杖を持つ手に微かな熱が集まる。空気が震え、皮膚の表面がひりついた。


「やめとけ」


 横から伸びた手が、男の手首を掴んだ。

 シャムロックだった。

 眠たげな目のまま、男の腕をゆっくりと引き剥がしていく。

 力を込めている様子はない。それでも、指が一つずつ強制的に開いていく。


「そいつは俺の連れだ。離してくれ」


 声は穏やかだった。

 だが拒否という選択肢を与えない響きをしていた。


「連れだぁ? こいつが先に――」

「見てたよ。仕掛けたのはお前さんだろ」


 シャムロックの目が、一瞬変わる。

 眠気が剥がれ、その奥に沈んでいた何かが顔を出す。

 客の男は、反射的に手を引いた。


「……チッ」


 舌打ちを残して身を翻す。

 露店主も口を開きかけたが、視線を受けた途端、言葉を飲み込んだ。


 二人が去ると、広場に歪んだ静けさが残る。ざわめきが戻るまで、一拍の間があった。


 若い魔術師が呆然と立ち尽くしている。

 グレンはそちらを見ずに、転がった果物を拾い始めた。

 石の上に転がる感触を確かめながら、一つずつ拾い上げる。潰れたものは脇に避け、無事なものを木箱へ戻す。


「あの……ありがとうございます」


 若い魔術師が頭を下げた。グレンは手を止めなかった。


「別に。ああいうのが我慢できないだけだ」


 素っ気ない返事に、若い魔術師は困ったように笑った。

 それから小走りに去っていく。


 シャムロックが隣に立った。腕を組み、わずかに眉を寄せている。


「お前なあ」

「何だよ」

「あのまま殴られてたら、撃ってたろ」

「撃たない」

「嘘つけ」


 図星だった。グレンは顔を背ける。


「……ちょっと驚かせる程度だ」

「仕事中に揉め事を起こすな」

「起こしてない。巻き込まれただけだ」

「自分から突っ込んでいっただろうが」


 言い返せなかった。


「……見てたのか」

「最初から」


 シャムロックは小さく息を吐いた。

 その吐息に、わずかに呆れが混じる。


「止めに入る暇があったから良かったものの」

「別に頼んでない」

「知ってる」


 歩き出す。

 グレンはその場に立ち尽くした。


 ――連れ、と言われた。


 その言葉の意味を、正確に掴めている気がしない。

 友人。仲間。そういったものの輪郭が、自分の中では曖昧に滲んでいる。

 里にいた頃から、そういうものを持ったことがない。

 冒険者になってからも同じだった。


 シャムロックの背中が遠ざかる。

 人波の中に紛れかける。


 グレンは走った。


 人と人の間をすり抜け、息を整えながら追いつく。半歩後ろに並び、歩調を合わせる。

 何も言わない。

 シャムロックも何も言わない。


 それでも、距離はわずかに縮まっていた。

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