第105話:セリーナさんの選択
「もっぅ、無理です、これ以上は……本当に、死んで……しまい……ます」
セリーナさんが芝生の上でうつ伏せになり、汗で濡れているシャツが背中に張り付いている。シャツよりも厚い生地のスカートすらも、脚に沿って少しひっついている感じがしていた。
「大丈夫ですよ。普通の人であれば心配しますけど、魔術師の人は、普通の人よりなにかと死にづらいですから安心して下さい」
私の感覚でしかないけど魔力を扱うようになって、多少は血液の巡りも良くなっている気がする。
実際に確かめた範囲だと、傷口付近で魔力を意図して動かすと血が多く出て来る事があるというぐらいしか分かっていない。流石に他の人で実験もしてないし、人体に詳しい訳でもないから確かな事は言えないけど、内に対する意識が戦わない人達よりは強いのは間違いないと思う。
けどそんな真相は、今は関係ない。
「それで、セリーナさん、少しは頭が冷えましたか?」
うつ伏せのまま両手を地面に伸ばし、頭を起こしたセリーナさんが何度も縦に振っていた。
髪は汗でおでこにくっつき、結んでいた三つ編みもほどけている。
けど、怪我らしい怪我は何もなく、ただランニングした後の様にもギリ見えなくも……ない。
「意識を一度も失わなかったのは、良い事だと思いますよ」
「ほんとぉ、ですかぁ……?」
「はい。それで何ですけど、今からもう一度、同じ回数以上に吹き飛ばされるか、手枷をしたまま魔物の居る森に飛ばされるの、どちらが良いですか? 選んで下さい」
「えっと……冗談……ですよね?」
青ざめたセリーナさんの瞳が震えたまま私を見てくる。
「冗談に思いますか? どっちが良いですか? 生身で森に行くのと、空に行くの」
「お願いです、もう――」
手を広げると、セリーナさんの周囲にだけ私の魔力が纏う。
「もう? 何ですか? どっちが良いか選ぶだけですよ。空に上がるか、森に飛ばされるか。安心して下さい、数キロ先に安全に着地させるので、そこから街に帰って来たら良いので」
「魔術……は」
「使える訳ないじゃないですか、それだと簡単過ぎますよ」
それに、城塞都市に居た時だって街中だったから逃げた可能性が高い。
石畳などで地面が固められておらず、森みたいに土がある場所なら魔物とも戦えた筈だ。適材適所と言えばそうなのだろうけど、街の人を置いて逃げたのが難しい。
せめて一人でも一緒に逃げて、屋敷の周辺に壁でも配置しようとしてくれてたら良かったけど、そんな情報は他の人に確認したけど何も出てこなかった。
「どっちにしますか?」
頭を抱えたセリーナさんが、暫くして小さな声を出す。
「森に……お願いします」
とても弱々しく、今にも消え入りそうな声だった。
「良いんですね、森で? 魔術を使えない状態で走ってもらいますよ? もちろん、私達は門で待っているので、助けには入りません。遭遇したら頑張って下さい」
「……はい」
涙ぐんだ声で返されてしまう。
もっと叫んだり喚いたりしてよ。
その方が――何も考えないで、実行出来たかもしれないのに……。
「死なないで下さいね」
手を叩き合わせ、セリーナさんの身体が空に吹き飛ばされていく。
疲れていてもまだ慣れないのか、かすれる悲鳴が小さく響き渡っていた。そして――先程と同じ様に暫くしてセリーナさんの身体が私の前に着地する。
「おかえりなさい」
「へっ……? えっと……何が起こって……あれ、森に飛ばされるんじゃ……」
地面に座らされたセリーナさんが、不思議そうに首を動かしていた。
「空が良いって言ったら、とりあえず夜までは飛ばすつもりでしたけど、森って言ったので、これで終わりです」
「それって、森が正解だったって事ですか?」
どっちが正しいとかはその人次第だ。
選ぶ人にとって、楽ではない道。
もしかしたら空を飛ぶ方が辛いかもしれないが、死ぬ事は少ない。
けど、手枷をされたまま魔物の居る森に飛ばされるのは、死刑宣告と何ら変わりなかった。一度も空に飛ばされる前だったなら、彼女は空に飛ばしてほしいと即答していただろう。
それが変わっただけで――今は十分かもしれない。
「正解かどうかは分かりません。けど、選んでくれて良かったかなと。私は思っていますよ」
セリーナさんに近づいて屈んだ私は、両膝を付いていた。
「なのでこれからも、私の元で働いてもらえたと思います」
疲れているのか、混乱しているのか。
セリーナさんが困惑した様な表情を浮かべてしまう。
「もちろん、理由もなく子供を見捨てたりしたら次はありませんけど、どうしますか? ルイスさんの所に行きたいと言うのなら止めません。それか一般人に戻るという選択もありますが、二度とどこかの部隊や団には魔術師としては所属しないで下さい。それが最低条件です」
理由も知らない所に行かれて同じ事をされてしまったら、私だけでなくノエルさんやルイスさんまでに迷惑が掛かってしまう。
――何故、その時に処罰しなかったのかと。
逃げ出す者をとめる抑止力としての側面も勿論あるけど、そういった面倒事を避ける為に死刑か牢に放り込んでいる面もないわけではなかった。
誰だって、次はないと信じたいけど、そんな簡単な話でもない。
私とルイスさんを交互に見たセリーナさんが、ゆっくりと呟いた。
「私は……その……。殆ど役に立たないかもしれないですけど、許していただけるのなら……クローディア団長の近くに、……居たいです」
髪も乱れ顔もすごい事になっているけど、瞳だけは真っすぐ私を向いている。
目を見て真意が分かるかと言われたら分からないし、正直に言えば手合わせした方が何となく私は分かる。けど、嘘は言ってないと思いたかった。
「そっか。ならよろしくね」
私がそっと手を伸ばすと、セリーナさんが両手でしがみついて来た。
「はいっ! ぐぎゃ――」
「ちょっ――」
不安定な体勢のままセリーナさんの上半身の重さが私の片手に加わり、前に倒れる形で私の身体が動き出す。それを止める為に、左手を地面に突き立てていた。
「もう、気をつけてよね」
「はい……すみません」
怒られて落ち込んでいるセリーナさんを見て、一言だけ投げかける。
「次やったら、高い高いだかね」
「えっそんな!? それはあんまりかと思うんですけど、クローディア団長!」
高い高いで通じてしまうのもどうかと思うが、何にせよセリーナさんがこうして私の所、つまりは第三騎士団の一員となった。
これからは色々と頑張ってもらおうと思う。
まずは皆に、挨拶……は、後かもしれない。
ゆっくりと立たせた彼女のシャツには芝がいくつも引っ付いていて、薄い肌着が見えている。唯一の救いは下着が見えていない事だけど、全体的に衣服は泥などで少し汚れていた。
「ルイスさん」
「構わんぞ、屋敷に連れて行けば、メイド達がどうにかしてくれる」
私が何かを言う前にルイスさんが答えてくれる。
既にセリーナさんから顔を逸らしているから、同じ事を思っていたのかもしれない。
「ありがとうございます、ルイスさん。それじゃ私が――」
「いえ、私がお連れいたします」
後ろで控えていたブレンダさんが名乗り出て、セリーナさんに近寄る。
「色々と団についても、お話する事がありますので、団長さえ良ければ、私の方で対応させていただきます」
「えっでも」
私がセリーナさんの方を見ると、彼女も小さく頷いてくれた。
「それに帝国に帰る前に、やる事がまだ残っていると思います。そちらを優先させて下さい」
「そこまで言うのなら、セリーナさんの事はお任せしますよ?」
「はい、お任せください」
頼もしく答えてくれるブレンダさんに、私は任せる事にする。
私以外とも、初めから関わった方が、きっと良い事もあるだろう。
「セリーナさんも、ブレンダさんの言う事は聞いて下さいよ?」
「もちろんです、下っ端として、ご迷惑をかけないようにっ……存在感を薄くして、頑張ります」
「いや、そこまで下げなくて良いから。でも、まぁ大丈夫そうだから、お願いします」
「はい。それでは失礼いたします」
何か言いたそうなセリーナさんを連れて、二人が屋敷の方へ向かった。
「受け入れてもらえたようで、ひとまずは良かったのかな」
行く末を見守っていたノエルさんが、私と同じように離れていくセリーナさんの背中を目にする。
「どうでしょうね。でも恨まれるのなら――私を恨んでくらたら、それで良いので」
さっきの事だってそうだ。
彼女が誰かを恨むのなら、私になるだろう。
けど、その矛先が他の人に向かいないのなら何でも良い。
「そうは、ならないんじゃないかな?」
「どうして、そう思うんですか?」
「感かな。僕の感は当たるんだよ?」
「そういう事なら知ってますよ。ノエルさんの感が凄い事ぐらいは」
私がノエルさんを見て、ようやく硬くなっていた表情を少しだけ緩めた。
そして直ぐ近くに居るルイスさんとも顔を合わせる。
「さてと、ルイスさん」
「何だ? 美味しい食べ物を探しているのなら、テレンスが戻って来てからにしろ」
また私が考えている事を当てようとしたルイスさんだったが、今回は違う。
「そうじゃなくて、避難して来た子供達って、どこに居ますか?」
「何だ、そっちか」
それなら知ってると言わんばかりに、ルイスさんが場所を教えてくれた。そして向かおうとする前に、団員の女性魔術師二人に声を掛けて、ブレンダさんを手伝う様にお願いしていた。
――これで気兼ねなく、子供達の所に向かえる。
まだ街を離れるまで時間があるとしても、会える内に会っておきたい。
後で必ず会えるかなんて分からない。
それを考えたら、急いで損はしない筈だ。
「ノエルさん、その辺のお店でお菓子も買って行きましょう」
「それなら、何人か連れて行った方が良さそうだね」
「大丈夫ですよ。そんなに多くは買いませんし、ルイスさんにも手伝って貰いますから」
「何だと!? 貴様、私を誰だと思っている」
「子供に優しい伯爵様ですよ。大人の貴族は、子供に優しくするものです」
「ったく、何の為に場所を教えたのか、意味が分からなくなるだろう、無駄な事をさせるんじゃない」
文句を言いつつもルイスさんが歩き出したので、私達は三人で――子供達の居る場所へ向かった。




