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第三章 天明四年 春 (十一)

 

「ごめんよ。おきよ姐さんはいるかい」

 伊兵衛は慣れた風に、引き戸をがらりと開けて、中に声をかけた。

 縦格子の隙間から康二郎には奥の上げ床に女が二人、ちらりと見えた。

「あら!伊兵衛さんじゃないの」

「え?伊兵衛さん?嘘……」

 康二郎が伊兵衛の後ろからそっと中へ足を踏み入れる間に奥から何人か人の出てくる気配がした。

「おやおや、ずいぶんおみかぎりだったのに!」

「まぁ!良い男じゃないの。あたしは初めてだよね」

 康二郎は、女達が口々に喋りたてる声が雨霰のように降ってきて、思わず耳を塞ぎそうになった。

 伊兵衛の影からそっと様子を窺うと、落ち着いた色めの着物を着ているが、大きめに襟を抜いて、下から覗く襦袢は派手めという女が四人見えた。更に奥からは地味な着物を着た五十近いと思われる女も出てきた。


「騒がしいと思ったら……前に見たとことあるね?ええと……確か、伊兵衛さんだ。お前さんのような男が、わざわざこんな店に女を買いにくるわけがないから、今日は何用だね?」

 伊兵衛は女将に顔を向けると、にっこりと笑いかけた。

「女将さん、お久しぶりです。おきよ姐さんに聞きたいことがあるので、ほんの少しだけお目こぼし願いします。手間はとらせません」

 女将は少し不満そうだったが、さっさと終わらせておくれとだけ言い残してまた奥へと消えた。伊兵衛の後ろに潜む康二郎には一瞥もくれなかった。気がつかなかったらしい。


「おきよ姐さんは変わりませんなぁ」

 伊兵衛の様子から、真正面にいるらしいおきよ姐さんだが、おかげで康二郎からは姿が見えない。

「ふん。本音はどうだか。あんたはどんどん良い男になってるね。悔しいけど。あぁ、悔しいったら!」

 第一声が「おやおや、ずいぶんおみかぎりだったのに」だった声だ。かなりの馴染みらしい。

 ――なんで悔しいんだ?


「あら、後ろにいるのは誰?」

 伊兵衛を取り巻いている女の一人がとうとう康二郎に気がついた。時間の問題だとは思っていたが、一人気がつけば、あっという間に皆気づく。

「まぁ、かわいいお侍さま!」

「え、どれどれ?やだ、なにこの子!かわいい!……あ、ごめんなさい。ちっちゃくてもお侍様なのに」

「そんなところに隠れてないで、こっちへいらっしゃいましな。かわいいお侍さまはいつでも大歓迎でございますよ」


 康二郎は普段ならかわいい、かわいいにムッとしたろうが、この時はそれどころではなかった。

 眼前に広がる光景は、最近色気づいてきた康二郎にあまりに眩しすぎた。つい大きく開いた胸元に目が行く。それが一つ、二つではないのだ。

 ――さっきより一段と開いてないか?

 そうして、ちょうど康二郎から真正面に見える女は片膝立てていて、割れた裾からむっちりした白い太股が見える。

 ――目のやり場が無い……

 康二郎は顔が火照ってきた。これは後ろを向くしかないと観念したのだが、後ろを向こうとしたら、

「静かにしろ。この若様はお前たちが相手になれるお人じゃない」

 伊兵衛の声が響いた。

 かわいいを連発してきゃぁきゃあ言っていた女達が急に静かになった。一斉にうつむき、伊兵衛の方を窺ったところをみると、伊兵衛は怒鳴っただけでなく女たちを睨み付けているのかもしれない。


「なにをかわいい、かわいいと騒いでんだい……おやまぁ、ホントにかわいらしい!耳まで真っ赤になっちゃって、あははは!こんなかわいい子を連れ歩いてるなんて、伊兵衛、あんたとうとう『宗旨替え』したのかい?」

 目の前に現れた「おきよ姐さん」は康二郎が声から想像していたより若くて綺麗だった。年は三十手前に見えるが、少し越えているのだろうか。実のところ、女の年はよくわからない康二郎である。


「姐さん、あんた、わかってて言ってるだろ。相も変わらずタチ悪いよ」

「だってさぁ、蔭間としてあれだけ鳴らしたあんただもの、後れ馳せながらそっちに目覚めても誰も驚かないよ」

「へーぇ、俺は蔭間として鳴らしてたんだ。初めて知ったよ。あんたと違って初めから『旦那』持ちだったんだぜ?おとなしく屋敷に囲われてたってのに」

「『旦那』となりゃ、あたしは選ぶからね」

「選んでたら、誰にも選んでもらえなくなったわけだ……」

 おきよ姐さん以外の女達はクスクス笑っていた。

「あんた、相変わらず口が減らないね!いつかの金払いな!タダ乗りしたやつ!」

「また古い話を……要らないって言ったのは姐さんじゃないか」

「おや、そうだったかい?気が変わったってことだ」

「最近は稼ぎが少ないからかい?」

 ぶんとおきよ姐さんが伊兵衛めがけて足を蹴り出した。伊兵衛は笑いながら避けた。

 双方さばさばしたもの言いだから、この時はさらっと聞き流してしまった康二郎だったが、後からじっくり思い返すことになる。


「そろそろ本題に入るよ。おきよ姐さんとけなしあうために来たんじゃない。ちょいと聞きたいことがあるんだ」

 おきよ姐さんは黙って伊兵衛の前へ掌を上にして、手を差し出した。「駄賃をくれ」ということだ。

「こっちの聞くことに正直に答えてくれたらな」

 伊兵衛はその手を握った。

「ほら、久しぶりに現れて、ぬけぬけとこんなことしやがるんだからね」

 おきよ姐さんは女郎仲間に向かって言った。そう言いながら、しっかり伊兵衛の手を握り返している。

 女心というのか、女の言動の組み合わせがよくわからないと思った康二郎である。 


「……で、何を聞きたいんだい?」

「俺たちが来る少し前に、ここへ入ってきた若侍がいるだろう?よくここへ来るのかい?」

「ああ、佐太郎さんのこと?うちのおよしっていう子に惚れてるみたいでね、ここ何月か……かれこれ半年くらいになるか……よく来てるよ」

「およしの方には、どんな客なんだ?」

「おまち、どうなんだい?」

 おきよ姐さんは、いきなり隣にいるまだ十代ではないかと思う女に振った。

「え?およし姐さんが佐太郎さんに惚れてるかどうか、ですか?……うーん…あたしのカンじゃ、本気じゃないと思うけどなぁ……およし姐さんの好い人って、吾一さんじゃないかな。ねぇ、おこま姐さん、どう思う?」

 おまちも隣の女に聞いた。

 おこまと呼ばれた女も隣に聞くのではないかと、康二郎はちょっと身構えた。


「あたしはあの子とは挨拶くらいしかしないから、わからないよ。お前がおよしと一番仲良いんじゃないか。お前にわからなけりゃ誰にもわからないよ」

 おこま姐さんで止まったのには、康二郎だけでなく、伊兵衛もホッとしたようだ。


「佐太郎さんがどうかしたのかい?」

「ちょっと知り合いに頼まれてね。今どこに住んでいて何やってるか……なんてことは知らないよな?」

「知らないね」

 おまちもおこまも、おきよ姐さんの答えに相槌をうった。

「でもまぁ、堅気じゃないことだけは確かだね。真っ昼間からここへ現れるんだからさ」

「そうかい。ありがとうよ。俺も堅気じゃないと言われないうちに退散するとしよう……っと、その前にもうひとつ。定九郎はそこの置屋で今もまわしをやってるのかい?」

「やってるよ。昨日も日野屋へ布団を運んでたよ。あの男に何させようってんだい?」

「人聞きが悪いなぁ。せっかくだから挨拶しておこうと思っただけだよ。今じゃなかなかこの辺りに来ることがないからね。邪魔したな」

「あんた、今はどこに住んでるんだい?」

 伊兵衛は康二郎を促して戸口へ向きかけたのを、顔だけおきよ姐さんに向け直すと、口に指を当てて言った。

「内緒」

 不思議な茶目っ気に溢れた表情と仕草だった。

「何(しな)つくってんだい、三十路手前の男が!気色悪い!」

 おきよ姐さんの笑いを含んだ声が外に出た康二郎にもよく聞こえた。


 伊兵衛の方も、おきよ姐さんの声を背中に、明るく笑いながら康二郎と並んで外へ出た。そして、出たとたんに表情を変えた。考えこむような顔つきだ。

「どうしたんだ?」

 康二郎の問いかけに、伊兵衛はまた穏やかな雰囲気に変わった。

「そこの茶屋で一服しましょう。美味しい餅を売ってるんですよ。お食べたになったことはありますか?あ。その前に参拝しないといけませんね。ここまで来て神明様にご挨拶しないのは、無礼極まりない振る舞いです」




  本殿に参拝し、水茶屋の奥の方にある腰掛けに落ち着くと、伊兵衛は康二郎と年はあまり変わらないような茶屋の小女になにやら使いを頼んだ。小女はこっくり頷くと、楼門の方へ駆けていった。

 伊兵衛が小女と話している間、康二郎はまだ熱い耳や頬を両手で押さえていた。手の方が冷たい。


「大丈夫ですか?まだ穏やかな会話で済んだのですがね。女たちも控えめだったし」

「あれで控えめだったのか?目のやり場がなくて参ったよ……こんな俺だから、からかわれたって仕方ないんだけどさ。あの子に何を頼んだんだ?」

「定九郎を呼びに行ってもらいました。康二郎様を蔭間の置屋へお連れするわけにまいりません。和之助様に叱られます」

「兄上に?どうして?」

「変な虫がつかないか心配だからでしょう。康二郎様は素直すぎますから……」

「変な虫?」

 康二郎は置屋の近くへ行ったくらいで、「変な虫」がつくわけないだろうと思ったが、使いは出た後である。


「わざわざ呼び出すということは、やっぱりおきよ姐さんが言ったとおり、定九郎という人に何か頼むんだね?」

「康二郎様やわたくしの代わりに佐太郎さんを見張ってもらうのです」

「定九郎さんは勤めているのだろう?どうやって見張るんだ?」

 伊兵衛が康二郎の耳元に囁いた。

「定九郎がまわしをやっているのは趣味を兼ねた世間への目眩ましでして、常に何人か若いのを家に寄宿させており、何かと彼らを顎で使うのが本業なのです」

 ――?まわしが趣味で、若いのを顎で使うのが本業?

 康二郎はあまりにわけがわからず、真顔で伊兵衛を見つめた。








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