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第二章 天明三年 冬 (七)

 

 同時に目の前で和之助が後頭部を頭巾を被った何者かに細長いもので殴りつけられた。和之助は「うっ」という短い一声をあげ、前のめりに崩れるように倒れた。

 ――兄上!

 と叫びたかったが、口が開かずもごもごにしかならなかった。

 丸みのある筒が康二郎の左腰に当たっている。

 ――鐺?後ろにいるのは二本差し?なんてことをするんだ!

 康二郎は自分を羽交い締めにしてきたことよりも、和之助に危害を加えたのが許せなかった。羽交い締めしている相手を後ろ蹴りしようと、勢いをつけるため前へ足を振り上げようとした。とたんにその両足がガシッと捕まれた。右足は左手に、左足は右手に捕まれてしまっていた。和之助を殴り付けた奴だ。頭巾のせいで顔がわからない。

 ――誰だ、こいつら!くっそー

 必死にもがいて己に絡みついている四本の腕を振りほどこうとした。

 視界の隅に見える和之助はピクリとも動かない。

 ――茂吉さんは?

 その時、声が聞こえた。


「あれだけしごかれたあとでも元気がいいな、棟割長屋育ちは。佐々師範代にずいぶん気に入られているが、佐々さんも我ら同様、稚児がお好きと見える。品の良くない稚児が。ま、我らは女子も好きだがな」

 頭巾の下から下卑た笑いが漏れた。

 その声に康二郎は聞き覚えがあった。

 和之助が前に「気を付けろ」と言った、中居道場の評判の良くない兄弟子三人のうちの一人の声だ。


 三人は二千石、千五百石、千二百石という高禄の旗本の子息で、道場では師匠と師範代が目を光らせているからおとなしいが、道場の外では何をしているかわからないという噂だった。騒ぎを起こしても、親が揉み消しているのだという。

 そんな噂を康二郎はどこまで本当かわからないと、あまり信じていなかった。

 道場でも挨拶したくらいの覚えしかないから、そんな高禄の御家の子息達が、その他大勢の弟弟子の二人に過ぎない自分達を夜陰につけこんで襲ってくるとは、予想していなかった。

 ――棟割長屋育ちが道場にいるのが気に入らなくて、こんなことを?

 そんな素振りを道場では見せなかったのが、噂の「道場では」「おとなしい」だったのか。

 ――それなら、俺だけでいいじゃないか!なんで兄上まで!それに誰が稚児だ!もうすぐ元服だぞ!

 口を思うように動かせないので、心の中で反論しながら、康二郎は必死に身体を捩り、捻って、もがき続けた。

 突然、横から手が延びてきて腰から二刀の重みが消えた。

 ――もう一人いる……

 康二郎の上半身と足をそれぞれ持ち上げた二人は、倒れている和之助をそのままに、移動を始めた。


 ――離せ!離せってば!

 必死にもがく康二郎を二人はもて余し始めたらしい。動きがギクシャクしてきた。

「おい、一発殴って気を失わせろ。これじゃ押さえているのが大変だ」

 康二郎の口を塞いでいる男が言った。状況からして三人目の人物に言ったはずだが、康二郎の視界にこれまでのところ手しか入ってきていない。

 ――三人目はどこにいるんだ?

「顔は傷つけるな。品はよくないが、なかなか愛嬌のあるかわいい顔をしているのだからな。フッフッフ」

 足を捕まえている奴が言った。

 ――かわいい?

 常なら康二郎をムッとさせる言葉だ。だがこの時はムッとするより、まさかの襲撃者のセリフに一瞬気が抜けた。……と、ドサッと地面に下ろされた。湿り気のある土のうえだった。畑を越えて溜池のほとりに出たようだ。

「ここで良いだろう」

 康二郎の上半身を抑えこんでいる男の力が更に強くなった。苦しい。

「どれ……」

 次の瞬間、康二郎の股間を何かが不気味に触れてきた。

「んびゃっ」

 思わず変な声が口を塞がれていても出たが、触れたのが足をつかんでいた男の手で、手ではなく今度は足で康二郎の足を押さえようとしているのを瞬時に見てとると、押さえ込まれる前に

 ――お返しだ!

 相手の急所と予想した箇所をおもいきり蹴りあげた。

「ぎゃあっ」

 濁った悲鳴を上げて男が股間を押さえて転がった。

 蹴った時の感触にはちょっと予測を誤ったかもと思わないでもなかったが、とりあえず、とにかく、効果は覿面だった。相手はその一撃で気を失ってしまった。

「照之助!」

 口を押さえている男の力が緩んだ。その隙を逃さず、康二郎は手に噛みついた。

「うわっ!何しやがる、このガキ!」

 男は思わず手を康二郎の顔から離して立ち上がり、康二郎はほんの一瞬だがすっぽんのように手にぶら下がった。手から歯を抜いたと同時にもう一方の手が首を絞めにきた。康二郎は首に回された手をとっさに引っ掻いた。昔、年上のガキ大将相手に喧嘩で鍛えた反応の良さだ。

「このくそガキが!」

 康二郎の目から火花が散った。大きな手に張り手をくらい、地面に頭を叩きつけられた。


「いってぇ……」

 康二郎はすぐに起き上がった。頭がくらくらしたが、なんとかこらえた。

 そこへ別の方向から第三の男が康二郎に襲いかかってきた。

 間一髪、転がって逃げる。

 そこへ刀がシャッと振ってきた。これまた間一髪、慌てて反対方向へ転がる。転がりながら思った。

 ――刀?本気かよ!

「おい、卓!刀はやり過ぎじゃないか?」

「許さん!叩っ斬ってやる!照之助の仇だ!」

 ――そっちから襲ってきておいて仇たぁ、なんだよ。勝手すぎらぁ!


 かわいさ余って憎さ百倍になったのか、刀が康二郎に向かってブンブン振り回された。

 康二郎はあちこちに転がりながら、必死に避けた。羽織の裾や袂に何度か切り込みが入り、鬢のほつれ毛が散った。

 だが、なんとか機会を捉えて立ちあがり体勢を整えると、そのあと刀を避けるのは簡単だった。日頃見慣れている佐々師範代の木刀の振りや突きの鋭さに比べたら、なんと生ぬるい。これくらいならどうってことないと、縦横に振り回される刀を康二郎は最小限の動きで交わしていった。

 自分の刀を易々と交わされ、卓と呼ばれた男が苛立つのがよくわかった。


 ――ふん、剣士としては佐々師範代の足元どころか、姿も見えないくらい、遥かに及ばないや。

 心のなかで康二郎は相手を罵った。

 しかし、避けることはできても大柄な男相手に丸腰では反撃ができない。柔術も道場である程度習いはしていたが、いざ白刃を目の前にしてはやりきれる自信が持てなかった。

 ――いつまでもこうやって避けてばかりもいられない……なんか手はないか……

 だんだん相手が疲れてきているのはわかったが、刀が振れなくなるほどバテるにはまだかなり時間がかかると思われた。

 ――俺が差していた刀はどこだ?

 康二郎が腰に指している二刀は子供用の少し小ぶりな刀と脇差で、抜き身でどれだけ役立つかはわからないものの、あるとないとでは大違いだ。


 いくぶん刀の動きが鈍ったとき、康二郎は突然がっしりと足を捕まれた。もう一人いたのをすっかり忘れていた。大失態である。

 おそらくあまりにブンブン刀を振り回すから危なくてしばらく加勢できなかったのが、少し動きが落ちついたところで文字通り手を出してきたのだ。

「よくやった!勝蔵」

 卓は大きく刀を振りかぶった。

 康二郎の右足首は勝蔵とやらにしっかり捕まれていた。勝蔵を足蹴にして刀を避けることができるかどうか。康二郎は刃に身体のどこかが斬られるのを半分観念しつつも、まっとうに斬られてなるものかと賭けに出ようとした。


 ごん!

 まさにその瞬間、重い音がして卓の動きがおかしくなった。

 ――『ごん』?

 勝蔵も卓の様子に動きを止めたようだった。

 二人が見守るなか、ゆらりゆらりと左右に二揺れしたあとで、卓が刀を振り上げたまま、康二郎に向かって倒れ込んできた。

「うわーっ!」

 康二郎は後ろへ下がれず、尻餅をつきながらも勝蔵の手を()()()()と足の刷り蹴りで振りほどき、咄嗟に両足を身体に引きつけた。卓の頭が引き付けた足元に、刀は康二郎の左に落ちてきた。大柄なだけに、倒れるのも迫力があった。

 康二郎が倒れた卓から目を離して見上げると、そこには和之助が立っていた。長径が一尺(約30㎝)近い大きさの四角い石を両手で掴み、肩で息をしている。

「康二郎、大丈夫か?」

「兄上!」

 康二郎は動いている和之助を見てホッとするあまり涙が滲んだ。

 ――良かった。大怪我してなくて。それにしても、俺はやっぱり泣き虫だなぁ……

 だがまだ勝蔵がいる。

 康二郎の側に唖然とした顔つきで座り込んでいた勝蔵が我に返り、立ち上がりながら刀を抜こうとしているのに気づいた和之助は、

「危ない!」

 と手にしていた石を勝蔵に向かって投げた。

 石は当たらなかったが、石を避けたために立ち上がりそこねた勝蔵の顎に、康二郎は全身のバネを使った渾身の頭突きを喰らわせた。

 後ろにばったりと勝蔵は倒れた。


 勝蔵が気を失ったのを見届けると、

「康二郎!」

 和之助は卓を踏み越え、康二郎に駆け寄った。

「その顔は……殴られたのか?」

「一発だけですよ」

 和之助は康二郎を前から後ろ、頭から足元まで点検するように確認した。

「兄上こそ大丈夫ですか?頭、痛くないですか」

 点検されながら、康二郎は康二郎で和之助に問いかけ、注意深く様子を見ていた。

「それにしても兄上、あんな大きな石で殴るなんて……」

 そこで兄弟はハッと顔を見合わせた。

 和之助と康二郎は、二人がかりでうつぶせに倒れている卓をひっくり返した。

 和之助は卓の頭巾をとると、顔を確めてから、口の辺りに手を近づけ、康二郎は左胸の辺りに耳をつけた。

「生きてる……」

「良かった……」

 再び顔を見合わせた二人は少し顔がほころんだ。 そして次の瞬間、

「逃げろ!」

 和之助の一言を合図に、一目散に野田屋敷に向かって駆け出した。

 相手はいずれも野田家より三倍以上も高禄の旗本の子息だ。相手が全面的に悪いのだが、それなりの怪我を負わせた以上、それで簡単に話がつかないのがこの時代である。ここはとにかく現場を去るのが一番だった。


 しばらく走り続け、新町に入ったところで、二人はようやく足を緩めた。

 康二郎が言った。

「茂吉さんはどうしたんだろう?見かけませんでしたか、兄上」

 少し前を歩いていた和之助は立ち止まり、康二郎に向いた。

「茂吉のことも気になるが、まずはいったん屋敷に戻ろう。探すなら人手は多い方がいいしな」

 和之助の考えにわかりましたと頷いてから、康二郎ははたと思い出した。

「刀……俺が差してた……」

「……目につかなかったな。奴ら、どこへやったんだろう?刀を探すのもいったん屋敷へ戻ってからだ」





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