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異人  作者: 蒼蕣
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思想の継承

純粋無垢な目を向けて、この子は私にソレを向けた。

放任主義を貫いていた。子供の自由を尊重したい。これが正しい行動であって、これが間違った行動であると明確に区別するのは良くない。それは自分の考え方であって、他の人では違うかもしれない。自分の価値観を押し付けるのはかわいそうだ。あくまで自分でこの行動が正しいのか正しくないのか決めて欲しかった。

判断基準はいくらでもあった。私たちの教えもさることながら、学校で教わったこと、周りの子達の反応、そのようなものをかき集めて総合的に判断して欲しかった。

失敗は成功の元だ。失敗が悪いわけじゃない。その失敗でどんな感情が芽生えたか。それが大事なのだ。他人に迷惑をかけた。相手が怒った。もちろん親としてそこはちゃんと責任を肩代わりする。私が相手に頭を下げているのをまじまじと観察したこの子はどんな感情が芽生えたのだろう。私が真剣な顔で相手に頭を下げているのを見て、自分の犯した行動が悪いことだと気づいてくれただろうか。相手の怒った目がこの子には怖く映っただろうか。もうこんな目を見たくないと思ってくれただろうか。

その後、成功も失敗も繰り返した。成功すると、相手が褒めてくれる。笑った顔、和む場。これが成功。相手が感情をむき出しにして怒ったり、悲しむ。その一部始終を見ていた野次馬が飛ばす冷たい視線。これが失敗。どうやらどんなことが良くて、どんなことが悪いのか自分で判断できるようになっていた。

この子は頭がいい。一度これは失敗だと感じたものを二度と起こすことはなかった。

ある日、私の書斎にこの子が入ってきた。後ろに何か隠しているようだ。一体なんだろう誕生日はまだ先だし…まあ、そんなことはどうでもいいか。そんなことより若干八歳にしてもうそんなことができるのかと感心した。私を驚かせようとしているのだろうか。ならばここは一世一代の演技を見せるべきだろうと張り切った。大根役者ではあるが幼い子供の目を欺くぐらいはできるだろう。私の反応次第で、この子にまた新たな知恵が授かる。そう思った。

この子はゆっくりとした足取りで私の方へ近寄った。私は席を立ち目線を合わせるためにその場に跪いた。その子の純粋極まりない、好奇心に満ち溢れた目をじっと見つめることは、私のような一度絶望を身に宿した者にとって太陽を崇めるような気持ちそのものだった。


その子は私にソレを向けた。

私は戸惑った。準備していたはずの感情が違う感情に書き換えられた。

しかしこの子の目はまだ光り輝いていた。その光に思わず身が竦んだ。

そうか。この子はまだ知らないのか。これが正しいことなのか、それとも間違ったことなのか。どこから仕入れたのか、この新しい知恵を自ら試そうとしているのだ。そしてそこから感情を学ぼうとしているのか。

私は諦め、その子を受け入れることにした。

その子は笑いながら、ソレを私に差し込んだ。的がいいな、と感心してしまった。

すまない。苦労をかける。そう思った。この場にはいない棗に対してもそうだったが、この子を一瞬にして絶望の淵に叩きつけてしまうのではないかと不安もだった。

ソレの先端が私に入ったにも関わらず、この子は尚前進する。この子が一歩また一歩と向かってくるたび、ソレが深く、深く突き刺さる。

この子がここまで近寄ってきたのだ。抱きしめてあげたくなったが、今の私では力の加減が効かない。この子を傷つけてしまうと思い、やめた。

私の今の表情、見せまいと私は彼女の顔を見なかった。どんな感情を得たのだろうか。流石の私も思考の限界だった。

ソレが根元まで私の中に入りきったのに、この子はソレを抜こうとはしなかった。これはこの子の優しさなんだと捉えておこう。

私はどんどんと力抜けていき、ついに倒れた。上目でなんとかこの子の顔が見えたのだから、この子も私の表情が見えたはずだ。どう感じたのだろうか。私はこの子に絶望を味合わせまいと笑顔を貫いていたが、彼女にはどう映っただろう。ちゃんと失敗と捉えてくれただろうか。ソレなら彼女がこんな行動を起こすことはもう二度とないのだ。安心して逝ける。

だがもし彼女がこれを成功と捉えてしまったのなら、彼女は私と同じ危険分子となってしまう。そうすれば私と同じ道を辿ってしまう。それだけは何としても阻止せねば。彼女のこの純粋無垢な目を汚すわけにはいかない。

そう思っても、私にはもう何もできなかった。

太陽が眩しく、ぼやけて映る。

何としても…

棗…


社会にいれば色々学ぶことがあるだろう。

そして社会というものは様々な形を要する。

一歩でも元いた社会からに出ればそこで学んだ教えは通用しないこともある。

温故知新というやつだ。いくつもの社会で新しい教えを次々に学び、それを昔の知識に上書きする。

社会の流動に身を任せていかないとその場に取り残され、文字通り社会的不適合者になってしまう。

信念を捻じ曲げてでもマジョリティに入らなければ、今の私たちに生きる術はない。

マイノリティはマジョリティによって迫害を受ける。民主主義にとってマジョリティは絶対的正義。それ以上考えない。それがいかに非人道的であっても、多くのものに支持されれば常識となる。そしてその常識に抗うものを容赦なく排除する。

ユダヤ人、魔女、黒人、女、些細な理由で迫害され、死に追いやられた人は数え切れない。

それはなぜか。マジョリティが今いる自分の立場がどれだけ快適かを身にしみて感じているから、その立ち位置を譲らせたくないのだ。

いつか来るであろう、マイノリティがマジョリティに打ち勝ち、自分たちを蹴落として来るんじゃないかということに恐怖し、力をつける前に先手を打ったのだ。

それに世の中は奇しくもマジョリティは理由もなく正しいという概念が存在する。

今まで正しいと信じて来たその概念が突如として否定されることは人間にとってはなんとも耐えがたい。

それは自分自身が否定されているに等しいだろう。

だからこそ彼らはマジョリティに属し、その立場を死ぬ気で守り抜くのである。

たとえ、そのために人を貶そうとも。

たとえ、そのために自分の道理や意義を捨ておうとも。

たとえ、そのために自分の理性を失おうとも。

たとえ、そのためにどんな犠牲が伴うとしても。

私も他とは違った環境で育った。異なる教育を受け、他よりも特殊な思想を持っている。きっと私もマイノリティだろう。残酷で非道徳的は差別の理由にはならない。要はそれが大勢に認められているかどうかだ。

しかし私はそれほど民主主義の圧力を感じていない。まだ幸運な方だろう。

見た目ではわからない。ただただその思想を表に出さなければ誰も気づきはしないのだから。

みなさん。これにて『異人』、無事完結いたしました。随分と長くなってしまいましたね。やはりこういう大どんでん返しは気合が入ります、ので自然と長くなってしまいます。楽しんでいただけたでしょうか。よかったら、感想をお聞かせください。来週は『あとがき』で、この作品書いたきっかけ、参考にしたものは何かなどを紹介して、一週あけた六月十日から『ピースメイカー』を投稿し始めます。

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