眠りからの目覚めと呼び込みし悪夢
「ふわぁっ......んにゅ? あぁ~、自分で目が覚めるなんて久しぶりだぁ」
ふわふわの雲を模した空間の中で、一つの存在が柔らかいあくびを吐き出した。一見すると微笑ましい光景に思えるが、これは凶兆そのもに他ならない。
なぜなら目覚めた存在は、現世の侵略を企む夢の魔王 空虚。自ら目覚めたという事実は、彼女が夢の世界を繋ぎ止める仕事に、余裕が生まれたという事に他ならないからである。
「えっとぉ、今は何が必要なんだっけぇ? う~ん......あぁ。そろそろ悪魔殺しの気配が、漂ってきているんだったぁ」
夢と現の狭間で役割に徹していた空虚にとって、突然の覚醒は自身の目的を一時的に忘却する程の出来事であった。
しかし、生存能力が低い悪魔が、魔王を名乗って生き永らえる筈が無い。空虚はすぐさまやるべき内容を思い出し、段取りを頭で整理し始める。
「追駆は頼まれた仕事に忠実だしぃ、導入は頼まなくたって一番必要な仕事をこなしてくれるぅ。亡羊は甘さと傲慢さが玉に瑕だけどぉ、ニンゲンのおかげでキツイお灸が据わってくれたぁ」
夢の国は魔界においても、特に治安と政治体制が整った国である。
空虚が判断すべきは、国家存亡レベルの外敵や同盟国家に対する判断だけ。それ以外の政治については、夢の国が誇る三幹部に全てを任せる事が出来ている。だからこそ空虚はこんな大それた侵略計画を実行し、正否はどうあれ形にする事が出来ていたのだ。
同じ国家に所属する悪魔と言えど、そのスタンスは様々だ。魔王に完全な服従を誓う者、虎視眈々と頂上の景色を望む者。名を遺す事に貪欲な悪魔の本質を考えれば、魔王の位はいつ狙われてもおかしくはない砂上の楼閣である筈なのだ。
だが、空虚はそんな悪魔の事情を知りつつも、三幹部には莫大な権限を与えている。
それは三幹部の求める大欲が、何の先にあるか分かっているからもあるだろう。けれど同時に、空虚は三幹部如きが束になって逆らっても負けないという確信を持っている。事実、遠い過去に彼女は、導入と追駆を暴力によって傘下に加えている。
「ここで首を狙ってくる悪夢は最悪だけどぉ、それがどれだけ国益を損なうか分かってるのが三幹部だからぁ。弁えて仕事はしてくれるだろうなぁ」
絶対にありえない事態であるが、ふと遊び感覚で三幹部が裏切った場合のもしもを考えてみた。流石の空虚もこんな制約の中で反逆に会えば、現世における活動をあきらめざるを得ないからである。
しかし、三幹部は国家の運営を担える程の頭がある。そんな事をすれば、未来でどんな末路が待っているかが想像出来る。
此度の計画失敗は、夢の国の評判を下げるだけには留まらない。新たに発足された国家間同盟、新世界の評判を致命的に下げる可能性が高いのだ。
仮に魔王の座を手に入れても、待っているのは盟主である第七位の憤怒。部下の管理を誤った空虚にも怒りは降り注ぐであろうが、暴挙に走った馬鹿は灰すら残さず消し飛ばされるに違いない。
三幹部はそれが分かっている。そして、優秀な子飼いにはよくよく言い聞かせている。だから夢の国の治安レベルは高い。彼らの魂に叛意が芽生えていようと、実行に移さなければ存在しないも同義だからだ。
「逆らうとすればぁ、これで草の根も生えないほどニンゲンにけちょんけちょんにされた場合だぁ」
三幹部も悪魔であるのだから、向上心は存在するであろう。そして、彼らは政治が分かる故に、空虚が決定的なミスを冒さない限りは忠実であり続けるだろう。
ならば、この場における決定的なミスとは何か。それは本気で積み上げた計画を、真正面から打ち砕かれる事。格下の存在である人類に、全てをひっくり返される事である。
そうなった場合、空虚の信頼は地に墜ちる。
後ろ盾である第七位が積極的に反逆へ手を貸すだろうし、国内の悪魔も多くが同調して暴れ回る事だろう。騒ぎが外部まで漏れ聞こえれば、国名が変わるほどの大乱に発展する可能性もあった。
「悪魔殺し時代の荒天に負けてからぁ、いよいよ国内の締め付けを強めないとと思ってんだよねぇ。だから提案された計画はぁ、渡りに船だったぁ。例え失敗した先がぁ、世界を維持するだけの歯車だとしてもぉ」
仮に反逆で失脚したとしても、空虚は世界を有する創造魔法使い。魔界に存在する夢の国だけに留まらず、世界そのものが彼女の居場所であり逃避先となるのだ。
これまで空虚の世界で甘い汁を吸ってきた悪魔達にとって、魔界以外の領土の喪失と相性の良い魔力供給源の喪失は避けたいだろう。逃げ出された上で世界の出入り口を閉じられれば、どれだけの大損か分かっているだろう。
だからよっぽど反逆が過熱しない限り、空虚の命だけは安泰だ。彼らも今後を考えて、国内でそれなりのポストを残すに違いない。しかし、空虚にとってそれは敗北と同義だ。名誉を真っ黒に汚されるのと同義だ。
だから空虚は失敗出来ない。失敗したとしても、成果は残さないといけない。抜けた話し方と身内への甘さで誤解されがちだが、彼女も一つの国家を収めるにふさわしい器を備えているのである。
「あっちの創造魔法使いは、いったいどんな根源を持っているのかなぁ? いったいどこまで世界を広げられるのかなぁ? 見ないで済むなら越したことはないんだけどぉ、ある前提で動かさないと待っているのは馬車馬暮らしだぁ。国民には頑張ってもらわなくちゃねぇ」
人類側の創造魔法使いに対抗するため、空虚が用意したのは国内でかき集めた創造魔法使い達。大多数が悪魔未満で、中には魔人にすら届かない程の弱者も含まれるくらいだ。だが、どれだけ未熟だろうと、効果的な戦力には変わりない。
そもそも創造魔法使いそのものが、魔界では希少種なのだ。簡単に魔力切れを起こし、単純な魔法すら発動が叶わない弱い獲物に過ぎないのだ。
だから保護する前に狩られる。保護しても一端の戦力に数えられず、タダ飯喰らい同然の無能もいる。それでも保護を続けていたのは、こういった事態に備えるため。空虚に頼らずとも、創造魔法使いと渡り合うための投資だった。
「まぁ~、それでも上手くいかない時もあるからぁ......」
知恵を用意した。陣形を整えた。三幹部への信頼は厚く、戦略そのものが空振りに終わる可能性は皆無だろう。それでもこの世に絶対は無い。特に創造魔法使いは、簡単に絶対の壁を超えてくる。
だから空虚は用意したのだ。自分自身が戦う準備を、理想とする戦場を整える準備を。
「その時はよろしくねぇ? 憐れで無力なニンゲンさん?」
「ゆめ、はイヤだ......眠るのは、も、もうイヤだ......」
ふらふらとした足取りで現れたのは、かつて日魔連五大派閥の一派を率いていた風祝と呼ばれていた男。しかし、その様相には権力者としての影は残っておらず、餓死寸前の枯れ木の様な男がいるだけだった。
「元気があってよろしいよぉ。それじゃあ本番で頑張れる様にぃ、夢の追加サービスと行っとこうねぇ」
「イヤ、イヤだあぁぁぁ......!」
男の憐れな悲鳴が、不釣り合いな部屋で木霊する。だが、残念ながら彼の助けに耳を傾ける者は、すでに伊勢神宮内には残されていなかった。
次回更新は10/22の予定です。




