修練は原点に立ち返り
太陽がゆっくりと傾き出し、差し込む陽光によって照らし出された道場の床。
本来なら道場全体を陽光が包み、なんともノスタルジーな風景となっていただろう。しかし、そんな風景は二つの障害物が陽光を遮る事で、また別の風景へと変化していた。
障害物の正体は人。それぞれの名前は翔と大悟。人生が一変したあの日の様に、二人は随分と久方ぶりに道場の中心で向き合っていた。
「そんでまたまた時間を持て余したせいで、今度は俺の方に顔を出したってか」
「大悟は大悟で、目標があるのは知ってる。生半可な覚悟では済まない事も、結局は最後に天運頼みになるのも聞かされた。けど、せっかく契約を手に入れたとしても、その間に日本が似ても似つかない姿に変わってたら? 俺達が揃っていなくなるかもしれないんだ」
「......だからこうして、貴重な時間を割いてやってるだろうがっ」
会話だけでは時間を浪費するばかりだと感じたのだろう。大悟は鋭いステップで距離を詰めてくると、そのまま翔の腹に向かって正拳突きを繰り出してきた。
「っ......! いや、ほんと......! マジ、サンキュな!」
翔は正拳突きに潜り込む形でインパクトから逃れると、反撃とばかりに木刀の柄で大悟の腹に殴りかかる。
「おう。貴重な修行の時間を削ったんだ。せめて、何かしらの収穫を持ち帰られねぇと承知しねぇからな」
しかし、大悟とて初動は、当たれば儲け物程度の軽い打撃だったのだろう。腹に迫る柄は残る片手で受け止め、そのまま得物を奪い取らんと万力の力で回転を加えてくる。
「善処する!」
小さいながらも明確な怒りを隠しもしない大悟と、そんな彼に謝罪交じりで向かい合う翔。久方ぶりとなる立ち合いは、血の気が多い大味なものとなっていた。けれど、それについては仕方が無かった。
なぜなら、本来のスケジュールであれば、今頃の大悟は日本を離れて遠い地で修行に明け暮れていただろうから。そして翔も、そんな彼を止めたりはしなかっただろうから。
ならばなぜ、彼らはこうして道場で向かい合っているのか。それは、翔の奥義習得訓練が、またしても足止めを食らってしまったからだった。
「その域に辿り着いてない俺が言うのもなんだけどよ。凛花に神崎さん。次から次へと他人頼りなのは、流石に男としてどうなんだ?」
木刀を奪われる訳にはいかない翔は、相手が片手の力である点を利用して、両手を使って一気に木刀を引っ張った。
「とっくの昔に、全身が情けなさで満たされてるっての。だけど、俺は天才じゃないんだ。せめて手本の一つでもないと、次の一歩が踏み出せなかったんだよ!」
しかし、大悟も翔の動きから行動を予測したのだろう。素直に木刀から手を放し、結果として飛び退いた翔によって距離が生まれた。
「......まぁ、そこは何事もか」
第一段階の奥義構想を終了させた事で、翔の奥義習得は第二段階へと移行した。しかし、次なる壁として立ちはだかったのは、結界生成とは名ばかりの現世に擬次世界をねじ込む修行。
擬井制圧 曼殊沙華のような似非結界しか生み出せない翔にとって、世界創造の数歩手前など別次元の難易度。加えて、この奥義習得には、夢の住人達の再始動という明確なタイムリミットもある。
ダンタリアの助言と数時間の努力程度では感覚すら掴めなかった翔は、逸る気持ちもあって仲間達に助力を願った。そして、マルティナとニナはお手上げ状態だったが、唯一姫野だけは彼の求めに心当たりがあったのだ。
「いつぞやのお勤めで向かった場所に、赴いて貰ってるんだっけ?」
姫野の魔法は、日本の神々に対価を捧げる事で力の一片を借り受ける契約魔法だ。
魔法を発動するためには、厳密な契約の取り交わしが求められる。しかし、この時に重要だったのは、姫野が多くの神と知己の中であるという点だった。
「あぁ。そこで目当ての神様に交渉を持ち掛ける気で、って!? 危ねぇっ!」
会話に意識が傾いたと感じたのだろう。またも大悟は鋭い踏み込みで距離を詰めると、今度は上段に蹴りを差し込んでくる。だが、翔も一度目で学習は終えていた。
蹴りを木刀で受け止めて、そのまま軸足に向かって木刀を振り下ろす。
「おっと......」
しかし、大悟も蹴りが不発に終わると見るや否や、半身になって腕で木刀を受け止めた。硬質ながら間違いなく肉を叩く感触が伝わってくるが、それに反して彼の表情から痛みや不快感は感じられない。
なにせ、十数年も立ち会い続けているのだ。木刀でひっぱたかれた事なんて星の数ほどあるし、拳や蹴りが突き刺さった事だって星の数ほどある。
急所でも無いのに痛がって隙を晒せば、その数倍の痛みが続けて飛来する事になる。だから大悟は痛がらないし、翔だって逆の立場なら笑みすら浮かべる覚悟があった。これは経験則に基づいた強がりなのだ。
「なんだよ。見ない内に我慢が上手くなってじゃねぇか」
ここで下手に木刀を引っ込めれば、小回りの利く拳や蹴りで手痛い反撃を貰う可能性がある。故に翔は木刀に力を込め、そのまま大悟のバランスを崩してやろうと押し込んでいく。
「そりゃあ、本物の刃物と比べればな......お前も一回、本物の殺意と一緒に刃物を向けられてみろ。木刀でぶっ叩かれるのなんて、カワイイもんだったって実感出来るぞ」
そんな翔の思惑に気が付いたのか。大悟も応じる様に、ガッチリと身体を固めて抗ってくる。そうして、変則的な鍔迫り合いが数秒程度継続した時だった。
「しかも、反撃すれば絵面が最悪になる女児が相手だろ? そんなの、頼まれたって御免だっての!」
翔はふっと力を抜き、いきなり大悟へ向けて前蹴りを放った。
「ごふっ!?」
流石の大悟でも、全身を固めていた状態からの対処は難しかったのだろう。そのまま仰向けに一回転しながら道場を転がり、大の字になりながら倒れ込む。
「生きてるかー?」
「チッ、タイミングを読み間違っちまった」
派手に倒れ込んだ大悟だったが、その被害に反してダメージを負った様子は無い。
大悟は全身の筋肉を固めていたせいで、翔の行動に対処が間に合わなかった。しかし、同時に全身の筋肉を固めていたおかげで、鍛え抜かれた腹筋が前蹴りの威力を吸収したのだ。
「頑丈さに磨きがかかったか?」
「向こうで無邪気な化け物の遊び相手を強制される内にな。それで、原点回帰してみて何か掴めたのかよ?」
されど、衝撃でどうしようもない隙を晒したのには変わらない。大悟は負けを認めて寝転がったまま、翔へと問いかけてくる。
「......悪い方向に掴んじまったかもしれねぇ」
「どういう意味だよ」
そもそもこの立ち合いは、奥義習得の手がかりを得るために翔が提案したもの。姫野の帰りを待つ間に、少しでも結界のイメージを固めるためにセッティングした舞台だった。
一対一を強制する結界と聞いて、翔が真っ先に思い浮かんだのは大悟との立ち合いだった。ならば創造魔法で生み出す具体的な結界の風景は、この場所こそがふさわしいと思った。
武道へ真摯に向き合い、お互いに高めあい、競い合う様に実力の階段を駆け上がった道場。この場こそが風景として一番だと思っていた翔だったが、立ち合いを終えた後に去来したのは違和感ばかりだった。
「いや、お前と本気で立ち会った回数は数え切れねぇけど、殺すつもりで立ち会った事なんて一度も無いだろ?」
「そりゃあそうだ。ってより、そんな危ない思考で武道に臨んでいたんなら、早い段階でどっちかの爺さんが止めに入ってただろ」
「......だからだよ。この場で悪魔と殺し合いをするイメージがちっとも湧かない。仮に、ここをベースとして結界を生成しちまったら、一体の悪魔を隔離するだけの檻で終わっちまう可能性がある」
創造魔法は、術者のイメージが何よりも重視される。子供の夢を具現化したようなお菓子の家一つとっても、純粋無垢な子供が生み出せば見た目そのままに。けれど、邪悪なる魔女が生み出せば、それは命を誘い込んで奪い取るための誘蛾灯たる権能を手に入れてしまう。
十数年という歴史と経験が刻み込まれた道場は、翔にとっては木刀と同じくらいに慣れ親しんだ場所だ。されど、その親しみのままに奥義へ反映してしまえば、そこには殺傷厳禁の縛りが加わってしまうかもしれないのだ。
そうなれば、翔の奥義は自身と悪魔を空間の消滅時まで隔離するだけの結界になってしまう。彼自身が狙われる事で、擬井制圧 曼殊沙華が崩壊する事だけは防げるだろう。けれども、それだけだ。頭数を減らせない様では、いずれ限界が来るのは人類側なのだ。
だから翔は首を横に振った。自分が奥義の核としてイメージしていた風景は、根本的に悪魔との戦いでは利用出来ない風景であったのだと。
「クソッ、こっちにも壁が出来上がんのかよ」
ただでさえ足踏みだらけな奥義開発だというのに、ここにきて新たな壁が発覚してしまった。その絶望感はぐらりと翔の足元を揺らがせ、大悟の様に床へと倒れ込んでしまいという衝動に誘ってくる。
「別に、その形でいいんじゃないのか?」
「はあっ?」
けれど、ここで翔の絶望に待ったをかける者がいた。それは、ようやく床から起き上がった大悟だった。
「聞こえなかったのか? だったらもう一度言うぞ。別に、この形で_」
「聞こえてるっての! ちげぇよ! そこじゃねぇ! お前こそ俺の話を聞いてたのかよ!? 倒せねぇんだぞ! 出来る事なんて、せいぜいが弱らせるだけで終わる役立たずの結界が出来るかもしんねぇんだぞ! そんなのが出来上がった日には、日本がどうなるか分かってんのか!」
翔の怒りはもっともだった。なんせ心情を吐露していた相手が、まるで話を聞いていない反応を示したのだから。加えて、なし崩し的にとはいえ、大悟とてベリトの悪逆非道は目にしていた筈だ。悪魔を取り逃がした事で生まれる絶望を、しっかりと目に焼き付けていた筈だ。
だからこそ翔は失望した。悪魔殺しを目指すと言いながら、ここまで考え無しの意見が生まれるのかと憤慨した。そして、どうせ頭の出来はお互いにお粗末なのだ。ならば分かるまで懇切丁寧に怒鳴り入れてやろうとさえ思っていた。
けれど、そうして見据えた大悟の顔を見て気付く。そこにあったのは無知で考え無しの顔では無く、しっかりと己の意見を携えた男の顔であると。
「お前こそ分かってんのかよ。その奥義、だったか。どんなルールでも付けようと思えば付けれるんだろ?」
「何を言って_」
「いいから聞かせろ。出来んのか、出来ねぇのか?」
「......一応は」
「だったら命の取り合いに限定せず、勝ち負けを決めればいいだけだろうが」
「はっ......?」
それはあまりに単純明快ながら、悪魔との戦いで自然と失われてしまう意見であった。命を掛けた戦いに軽い忌避感を持つ翔ですら、無意識の内に除外してしまった選択肢だった。
「俺は今さっき、敗北を認めたぞ? まだ手足はピンピンしてるし、身体にも全くダメージは乗っかってない。それでも降参の姿勢を取った。何でか分かるだろ?」
「あそこから俺が追撃すれば、大悟に勝ち目が無かったから」
今しがた大悟は、無言の降参をした。確かに本人の言う通り、ダメージは軽微。だが、その体勢はあまりにも無防備となっており、どんな攻撃だろうと確認前に叩き込まれる事は確実だった。
「そうだ。動きにはなってない。けど、俺と翔。お互いに勝負が決まったって確信があった。だから何も言わずに止まれたし、そのまんま気楽な会話モードに移れた。この感覚を、悪魔相手に落とし込む事は出来ねぇのか?」
それは凛花と同様に、あまりにも魔法を知らない者の意見と言えた。落とし込むべき制約は多く、実際に空間内のルールとして成立するかも怪しい内容であると言えた。
「あっ......」
だが、裏を返せば不可能では無かった。突き詰めていき、隙無く敷き詰めていく。そうする事で、達成可能かもしれないと思わせるだけの納得感があった。
ダンタリアは言っていた。人魔大戦に招かれた百体とは異なり、夢の住民には魔界へと帰還するルートは存在しないと。魔力切れがそのまま死に繋がると。
いくら大義のためとはいえ、夢の住民とて多くが死など望んでいないだろう。そして翔だって、邪悪なる悪魔でさえも死んでしまえとは思っていない。
だからこそ意見が一致する。両者の間で、死の直前で踏み止まれるルールが有効となる。
「いけるかもしれない......」
魂の敗北。その概念が存在するかは定かでは無いし、存在しても奥義に取り入れられるかは未知数である。けれど、これならばイメージが損なわれる事は無い。この風景だからこそ生まれた思想が、奥義を通して色付こうとしていた。
次回更新は7/30の予定です。




