耳に痛い同僚の言葉
「何か申し開きはあるか?」
薄暗い書庫の中に、重苦しい怒気が混じった声が響き渡る。声の発生源にあったのは、黒い肌に白い毛が特徴のデフォルメされた羊のぬいぐるみ。そう、夢の魔王の最側近である導入が、隠しもしない怒りを発していたのである。
大抵の悪魔なら、ましてや夢の国に所属する悪魔であれば、導入の怒りは死刑宣告にも等しい。だが、その怒りを一身に受け止める存在は、存外に余裕そうな表情をしていた。いや、むしろ不貞腐れている様に見えた。
「もう、だから遊びを優先したのは謝ったじゃなぁい」
その悪魔は、現世の伝承で言う所のアラクネに酷似していた。
セアカコケグモによく似た光沢を帯びた黒色の身体。本来の頭部が位置する場所からは、レース生地の衣服を身に付けた女性の上半身が生えていた。
その妖艶な瞳から溢れだす感情は不満。白人よりも白い肌とは対照的な黒髪を指で弄ぶ様は、まさに親に叱られている真っ最中の子供。
反省の色など欠片も見せず、かといって導入に粛清される気配も無い。この事から彼女が夢の国に必要不可欠な存在であり、国家の最上位悪魔すら恐れない位を持っている事が伝わってくる。
夢の国で側近に数えられるのは、導入の他には追駆と亡羊と呼ばれる悪魔だけ。そして、追駆が乱杭歯を覗かせる浮浪者の容姿を取っている事から、すでに彼女の正体は明らかであった。
「違う。腹立たしいが、最終的に住民の手配は刻限に間に合っていた」
「なら、何でプリプリ怒ってるのよぉ」
「捕えたニンゲンを用いた遊びに関しては、言いたい事はあるが大きな問題では無い。だが、貴様が子飼いに出した緩い綱紀。あれのせいでバカ共は暴走を起こし、挙句の果てにはニンゲン如きの逃亡を生んだのだ」
導入が怒りを隠しもしない理由は、夢の国から脱走者を生んだ緩い規律にあった。
夢の国は魔王である空虚に忠誠を誓う側近と近衛の除いて、全ての悪魔が前者の統制下に置かれる国家システムとなっている。導入の傘下は実務や外交を取り仕切り、追駆の傘下は軍と国家の統治、亡羊の傘下は教育や外部からの才能発掘と分けられているのだ。
最側近の導入が緩い規律を敷く筈も無く、追駆に至っては気に入らなければ平気で粛清。だが、亡羊の下には仕事柄未熟な悪魔が多く、その規律は統制出来るギリギリまで緩められていたのだ。
悪魔の契約は絶対だが、裏を返せば契約無しに縛り付ける事は不可能。ましてや当時の環境は、目の前にエサをぶら下げられた野良犬が如し。トップの亡羊が席を外した時点で、部下の暴走は目に見えていた筈だ。
「えぇー......それで私が一方的に怒られるわけぇ? だったら仕事を間に合わせたってのに、有無を言わさず呼びつけた導入も悪いじゃなぁい」
亡羊の言い分にも、いくらかの根拠はあった。導入が魔王の指示を遂行するために気を揉んでいたのは確かであるし、そのせいで遊びつつも仕事はこなしていた彼女を呼びつけたのも事実である。
亡羊にとっては、導入の呼びつけが無ければ起こらなかった事態。加えて、彼女だってニンゲンを取り逃がしたのは悔やんでいたし、何なら憂さ晴らしに一番の無能だけは粛清を終えていたのだ。
これこそが亡羊が不貞腐れている理由であり、導入へ素直に詫びを入れない理由でもあった。
「ハァ......そもそも貴様が迷宮を閉じていれば、こんな事にはならなかっただろうに。それを貴様は片手間の管理で場から離れ、部下への厳命すら行わん有様。それでこちらに八つ当たりをしてくるのだから、いっそ関心すら湧いてくる」
けれど、導入は亡羊の言い訳を一蹴した。彼女の何事も中途半端で放置する悪癖は百年単位で見知っていたし、此度ばかりは悪癖がどんな不運を呼び込むか分からなかったから。
お互いが空虚を敬愛している事は分かっている。だからこそ、下手な傲慢で全てを台無しにしてしまえば、その絶望は根源すら歪めかねない大きなものとなるだろう。
故に導入は怒りを隠さなかった。ここで叱責を入れておけば、単純な亡羊ならこれ以上に嫌な思いはゴメンだと考えるであろうから。
「もう分かったぁ、分かったからぁ。だからいい加減、辛気臭い説教を撒き散らすのを止めてくれなぁい? 所詮はニンゲン一匹が、虫カゴから飛び出しちゃっただけじゃぁん」
「確かに、ただのニンゲンであれば、それで終わりだ。だが、アレは魔獣以下の魔力でありながら、貴様の迷宮から逃げ出した。加えて、後先考えないバカの群れであったにしろ、悪魔の包囲を突破した上でだ」
「なぁに? 導入ってば、ニンゲン一匹すら警戒している感じってわけぇ? 空虚様に恥を掻かせる訳にいかないのは分けるけどぉ。いくら何でも、肩肘張り過ぎじゃなぁい?」
亡羊だって、理由もなく隙を晒す無能ではない。彼女は自身の魔法に信頼を置いていたし、故に魔法も使えないニンゲンが脱出に成功するとは思ってもいなかった。
脱出法が魔法由来であれば、亡羊とて導入と同じ警戒心を抱いただろう。しかし、その脱出劇は身内の恥。大欲に魂を焼かれた特大の無能が、ご丁寧に脱出路を生み出してしまったという笑い話だ。これでニンゲン側を警戒するのは、いくら何でも過剰な警戒と言えた。
「なら亡羊。悪魔における一番の死因は何だ?」
「傲慢」
「その次は?」
「手の内を知られることぉ」
「この短期間で、お前は二つの死因に該当したんだぞ? 警戒しない理由がどこにある」
「......」
そう言われてしまえば、亡羊も黙るより他は無かった。
「ニンゲンは無能であっても無知ではない。貴様が言う所の地を這いずる虫であるのならば、どうして我らが空虚様を含む魔王のお歴々は現世を占拠出来ずにいる?」
「はぁ~......分かりましたぁ......いくらお遊びの迷宮とはいえ、根源を晒したのは間違いでしたぁ......」
「分かればいい。そして、警戒を怠るな。私と追駆に比べれば、お前は誰よりも手の内を知られた可能性が高いのだから」
人魔大戦のルールで顕現が許された空虚とは異なり、導入や亡羊は彼女が国そのものを引っ張り出したおかげで顕現出来たおまけに過ぎない。その魂に代わりは存在せず、敗北はそのまま存在の消滅に繋がるのだ。
だから導入は警戒する。遥か昔に遠のいた死の恐怖が、この場では再び迫りつつある。魔界とは異なる組成の魔力が、容赦なく導入達の肉体を焼き焦がしてくるのだから。
「でもぉ、実際の所はぁ、どこまで割られたと思ぅ?」
その質問は逃げ出したニンゲンの魔法知識が、どれほどに及ぶかを聞いているのだろう。
「分からん。しかし、どれだけ粗雑だろうと迷宮は生み出したのだ。その特性と所属国家における特徴を照らし合わせれば、真名が抜かれずとも核心まで抜かれている可能性はある」
導入に取っても現世は未知の部分が多くあり、人間の魔法知識などまるで想像が付かない分野だ。けれど、現世には実績がある。いくら数で勝っていようとも、悪魔の仕掛けた大戦をどうにか退け続けた過去がある。
だから導入は最悪を想定する。自らと立場が近しい上位国家の側近であれば、魔法の発動一つで特性を見抜くなど造作も無い事なのだから。
「はぁ、めんどぉい。でもぉ、そのせいで変なやる気は出たかもぉ」
「ふん、なら良い事だ。やる気を出した時の貴様は、私よりもよっぽど勤勉なのだから」
不貞腐れた態度が残る宣言ながら、導入はようやく怒りの溜飲を下げるに至った。三体の側近は、いずれも魔王から国家運営の実務を任された信頼厚き存在。無能の入り込む余地など存在しないし、無能が残れるポストなど存在しないのだから。
次回更新は5/31の予定です。




