食い破られた内部の惨状
「......その、この件が私の口から出た事は」
人払いが施された一室にて、姫野は正面のテーブルに置かれた護符から発せられる声に耳を傾けていた。
「はい。心得ております。私達が知りたいのは、夢の魔王について。あなたやあなたの社に迷惑をかける事は、誓って致しません」
「......そうですか。それでしたら」
男の声から感じられるのは恐れ。けれど、その感情の中には小さな決意も見え隠れしている。
「お願いします」
護符を利用した通話の技術。
その秘匿性と今しがた行われた口約束を信じて、通話先の男は姫野に秘密を打ち明ける事を決めたのだ。
「発端は、風祝様が原因不明の睡眠障害を患った事です」
神祈派の長に様付けを用いた事から分かるように、男の所属は神祈派。その中でも、地方内では観光名所に数えられる神社の神主である。
そして、姫野が所属するのは人魔大戦対策課。立場を考えれば別派閥の姫野との会話は、余計な疑いをかけられかねない危険な行為。ましてや、自派閥の秘密を打ち明けるなど、弁明の余地が無い裏切りである。
「体調が芳しくない事は、各所のお勤めで耳にしていました」
だが、ここで姫野の特異性が活きてくる。
姫野は悪魔殺しでありながら、日ノ本の神からの寵愛を一身に受けている存在。本人の自覚無き祈り一つで、神からの加護をいくらでも引き出せてしまう存在である。
そのため信仰の対価に力を与ろうとする神祈派との親和性が高く、幼き頃から様々な神事に同席を依頼されていたのである。
構成員達の感情としては、すでに姫野は仲間のような扱い。むしろ、こちらからさらに歩み寄る事で、彼女から派閥を移籍する言質を取ってしまおうという動きすらあるくらいだ。
そういった縁もあって、姫野は大熊に調査を依頼されたのだ。主要な幹部が軒並み陥落した神祈派で、一体何が起こったのかを。
「えぇ。曰く、残虐な悪魔に想像を絶するような拷問を受ける夢。周囲の地面と一緒に大型悪魔に飲み込まれ、ゆっくりと滋養に変えられていく夢。悪魔同士の戦いに放り込まれ、抵抗も出来ずに殺される夢。それらを眠る度に見ていたのだとか」
「祈りや魔道具による防御などは、役に立たなかったのですか?」
姫野が神から得られる加護は、比べるのも馬鹿らしくなる膨大な量。しかし、風祝とて神を信仰する派閥の長に君臨していた男だ。信仰している相手にもよるが、遠隔発動の契約魔法程度は弾ける加護を得ていてもおかしく無かった筈。
加えて、日魔連五大派閥の一角という肩書は、国内ではトップクラスの威光を持っている。国内生産の最高品質魔道具を手に入れる事も、伝手を利用して国外の魔道具を買い漁る事も出来た筈なのだ。
「いずれも気休め程の効果すら、発揮していなかったと聞いています」
「なるほど。生半可な防御では、全く役には立たなかったという訳ですね?」
「その後の惨状を見るに、それが正しい認識かと」
だが、風祝の手にした威光は、彼を守る盾には成りえなかった。全ての守りはまるで機能せず、眠る度に地獄のような光景に放り込まれ続けた。
そんな拷問が続けば、どんな人間だって心を病んでしまう。体調に関する噂も、休息すらまともに取れない風祝が、どんどん余裕を失くしていったから漏れ出してしまった事柄なのだろう。
「そして、風祝様の容態から、次の長を決める機運が高まっていったと」
「そうです。いくら一派閥としてまとまっていようと、我らが祈りを捧げる先は多岐に渡る。長の所属によって露骨な贔屓が起こるのは明らかだったため、皆が風祝様を他所に票集めを始めていました」
神祈派は他の派閥とは異なり、内部では主導権争いが常に引き起こされている。
外から見ればくだらない争いだろうが、何せ八百万も信仰先があるのだ。誰がトップに立つかで待遇が変わるのなら、風祝を見捨てて票集めに走るのも無理はない。
「ですが、最終的に長となったのは、あなたも聞き覚えが無い者だったと」
「はい。姫野さんとは面と向かって話した事もありますし、私が古株であるのは年齢から見てもご存知だったでしょう」
「えぇ」
「そんな私が、一度も聞いた事が無い男が長となったんです。不満を口にするよりも、背筋に寒気が走る方が早かったのを覚えています」
どれだけ権力争いが過熱していても、同じ派閥である以上は、最低限の持ちつ持たれつが成立しているものだ。
冷や飯を食わせていた相手に、長の座を渡す事で恩を得る。力は強くとも新参者である連中が、落ち目の名門を担ぎ挙げて票を得る。そんな水面下の交渉によって、長の座はある程度コントロールされてきたのだ。
だが、今回はそんな道理が通らなかった。新参者が我が物顔でトップの椅子に座り、有力者達は陰口すら行おうとはしない。完璧な統制とスムーズすぎる代替わり。神祈派の望んでいた一丸は、大きな歪みと共に叶えられる事となってしまったのだ。
「誰かの血縁者という可能性はないのですか?」
「仮にそうだとしても、普通はもっと文句が出ます。社を預かる私のような立場からすれば、苦労を知らぬまま権力だけを手にしたようなものなんですから」
それでも有力者の隠し子などであれば、文句はあっても受け入れられる存在であっただろう。
しかし、次なる長には歩んだ歴史が無い。思想も、成すべき目標もまるで分からない。これで有力者の支持だけは欲しいままにしているのだから、男が不安がるのも不思議ではなかった。
「有力者の皆様が、長を譲るような出来事があったとか」
「いやいや。姫野さんにはまだ難しいと思いますが、大抵の人間が抱く欲には際限がない。中には自らを戒めて自制出来る方もおりますが、そんな方々は得てして権力から距離を置くものです。私の知る有力者達は、例え殺されようと長の座をあきらめなかったと思いますよ」
「でしたら、やはり夢の魔王の影響という事でしょうか?」
現世のルールで説明が付かない事の大半は、魔法世界では悪魔の仕業と関連付ける事が出来る。加えて、今回は実際に夢の魔王が顕現してるのだ。どんな手を使ったかは分からないが、風祝が陥落している時点で抗えるとは思えない。
夢の魔王陣営は、自らの支配する世界そのものすら顕現させている。それは夢の魔王本体だけでなく、他の夢の悪魔達が操る魔法にも注意が必要と言えるのだ。
精神汚染の魔法は、気付いた瞬間に手遅れとなっている場合が多い。これが権力者の手の平返し程度に利用されるだけならまだいいが、悪魔殺しにすら適用可能となれば脅威度は跳ね上がる。
そのため姫野は汚染の可能性は低く、同時に上を知る男から情報を得られないかと思っていたのだ。
「......魔王の台頭かは分かりません。ですが、代替わり以前に本部を賑わせていた話題が一つだけ」
そして、姫野の考えは間違っていなかった。
「聞かせてください」
「何でも、風祝様は度重なる神々への勤労を評価され、現人神への昇神が成されたのだと。また、手にした神力を同じ派閥の者達へ、分け与えているのだと」
「はぁ......なるほど」
神祈派に近しい姫野ですら、初めて聞かされた話題であった。
そもそも、姫野は神を視認出来る。会話が可能であるし、対等な立場での交渉が許されている。けれど、そんな彼女ですら、現人神になれるかと言えば否だ。なぜなら昇神に必要なのは、力ももちろんだが一番は自らへの信仰心なのである。
姫野は神に愛されてはいても、人に愛される存在ではない。風祝もまた、力はそれなりにあるだろうが、人に祈られる立場とは言えない。現代における信仰先は幅広く、人を神に変える程の信仰には知名度が圧倒的に足りないのだ。
故に男から伝えられた情報は、何かしらが歪んだ欺瞞であるのは間違いない。
夢の魔王が流した情報か、あるいは精神汚染された有力者達の言葉か。いずれにせよ精神汚染のキーを握るのは、一番に標的となった風祝である可能性が高い。
「風祝様の安否は、神祈派の存亡がかかった重大事項です。けれど、姫野さんの存在もまた、神祈派にとっては無くてはならない存在。お立場は重々承知ですが、ご無理はなさらぬよう」
「......はい。出来る限りの真実を手に入れ、事に当たる所存です。誰かの倒れる姿は、見たくありませんから」
「まさに」
その発言は神への供物としての姫野からは、絶対に生まれる事はなかった発言だった。彼女は人から感情を学び、そして悪魔からは喪失の恐怖を学び取らんとしている。
麗子が聞けば無言で姫野を抱きしめていた発言も、残念ながら縁薄い男には正論と受け取られるのだった。
次回更新は4/17の予定です。




