雨上がりの真実
応接室の扉が開くと同時に、冷徹なまでの覇気を纏ったガイヤが歩み入ってきた。
今日の彼は騎士服ではなく、上質な黒の私服だったが、その眼光の鋭さは戦場に立つ騎士そのものだった。
「貴女が……エナ・ヴィルロワ子爵令嬢か」
ガイヤの声は低く、怒りを孕んでいるように聞こえた。
エナは彼に向かって、完璧な淑女の礼を捧げた。
「お初にお目にかかります、レオンハルト様。ヴィルロワ子爵が娘、エナでございます。この度は、我が不調法により、貴方様を深く欺くような真似をいたしましたこと、平にお詫び申し上げます」
エナは頭を下げたまま、言葉を続けた。
「セシルは……セシル嬢は、どうしても外せない事情があり、私が独断で彼女の身代わりを務めました。彼女に悪気はなかったのです。どうか、お怒りがあるならば、すべて私がお引き受けいたします。どのような処分もお受けいたします」
沈黙が室内に満ちる。
エナは、彼から罵倒されるか、あるいは冷たく突き放される覚悟をしていた。
しかし、聞こえてきたのは、予想だにしない「深い溜息」だった。
「……顔を、上げてくれないか」
その声は、先ほどの怒りに満ちたものとは違い、どこか微かに震えていた。
エナが恐る恐る顔を上げると、ガイヤは怒っているどころか、信じられないものを見るような目で彼女を凝視していた。その紫紺の瞳が、激しく揺れている。
「やはり……貴女だったのか」
「え……?」
ガイヤは懐から、一枚の古びたハンカチを取り出した。それは、エナが三年前、王宮の庭園で彼に貸した、まさにそのハンカチだった。
「私は今日、モレ侯爵から『身代わりを立てていた』という話を聞き、激怒した。だが、身代わりをしていた令嬢の名が『エナ・ヴィルロワ』だと聞いた瞬間、私の頭の中に、ある一つの可能性が浮かんだのだ」
ガイヤは一歩、エナに近づいた。
「三年前、私にハンカチを貸してくれた少女は、確かに『C・M』という刺繍の入ったハンカチを持っていた。だから私は彼女をセシル嬢だと思い込んだ。だが……今日、侯爵から詳しく話を聞くうちに、このハンカチは貴女がた二人がお揃いで作ったもので、お互いに贈り合ったものだと知った。つまり、セシル嬢が持っているハンカチには『E・V』、貴女が持っていたハンカチには『C・M』と刺繍されていたのではないか?」
エナは目を見開いた。
「そ、その通りです……。私はセシルから貰ったハンカチを、あの時……」
「やはりそうか」
ガイヤは、まるで重い呪縛から解き放たれたかのように、顔を綻ばせた。その笑顔は、エナがこれまで見たどの姿よりも、眩しく、美しかった。
「あの雨の日、馬車の中で貴女の声を聞いた時、フードの隙間から見えた貴女の、怯えるような佇まいに……私は、三年前のあの少女の面影を強く感じていた。身代わりを立てていた言われても、信じられなかった。私の心は、あの馬車の中で貴女に激しく惹かれていたのだから」
「ガイヤ様……」
「私は、セシル嬢という『名前』を愛していたのではない。三年前、絶望の淵にいた私を救ってくれた、あの優しく可憐な少女を、ずっと想っていたのだ。それが……貴女だったのだな、エナ嬢」
ガイヤはエナの前に跪き、彼女の冷たくなった手をそっと両手で包み込んだ。近衛騎士の硬く逞しい手が、今はひどく優しく、温かい。
「とんだ遠回りをしてしまった。貴女を混乱させ、傷つけたかもしれない。だが、改めて言わせてほしい。エナ・ヴィルロワ嬢。私は、貴女を妻に迎えたい。この身代わりの約束がもたらした奇跡に、私は心から感謝している。……私と、結婚していただけないだろうか」
エナの目から、大粒の涙が溢れ落ちた。
それは、悲しい涙ではなかった。遠くから見つめるだけだった憧れの人が、実は自分をずっと想っていてくれたという、夢のような真実に対する、歓喜の涙だった。
「……はい。喜んで、お受けいたします、ガイヤ様」
エナが答えると、ガイヤは嬉しそうに立ち上がり、彼女を優しく抱きしめた。
窓の外を見ると、いつの間にか雨は上がり、雲の隙間から暖かな太陽の光が差し込み始めている。
身代わりから始まった嘘は、最高の真実へと変わり、二人の未来を明るく包んでいた。




