密室の告白
狭い馬車の中に、ガイヤと二人きり。
それだけで、エナの心臓は破裂しそうだった。彼の衣服から漂う、雨の水滴と微かなシダーウッドの香りが、狭い空間に満ちていく。
ガイヤは対面の座席に腰掛け、濡れた髪を軽く手で払った。その一挙手一投足が絵になる男だった。
「感謝する、セシル嬢。……いや、まずはそのフードを取っていただけないだろうか。不躾なのは百も承知だが、やはり、顔を見て話したい」
その言葉に、エナは凍りついた。
フードを取れば、偽物だとバレてしまう。セシルとエナは瞳の色は同じものの髪の色が少し違う。セシルは輝くような金髪、エナの金髪は齢を追うにつれ落ち着いた色になった。顔立ちだって、セシルが華やかな大輪の薔薇なら、エナはひっそりと咲く桔梗のようだと言われる。
「……申し訳ありません、レオンハルト様」
エナは頭を垂れ、フードの縁を固く握りしめた。
「私は本日、酷い風邪をひいておりまして……顔が酷く腫れぼったく、お見せできるような状態ではございません。それに、この病を貴方に移してしまっては、近衛騎士団長としての公務に支障をきたします。どうか、このままでお許しください」
苦し紛れの嘘だった。しかし、ガイヤはそれを疑う風もなく、むしろ痛ましげに目を細めた。
「そうだったのか。そのような体調でありながら、私の遅刻をここまで待ってくれたというのか……。なんと不義理なことをしてしまったのだ、私は」
彼は本当に、噂通りの誠実な男だった。エナの胸が、罪悪感でチクリと痛む。
「いえ、お気になさらないでください。それより……先ほど、どうしてもお伝えしたいことがあると仰いましたわね。それは、どのようなことでしょうか?」
エナは、早くこの対話を終わらせなければならないと思いつつも、彼がセシルに何を語るのかを聞き届けたいという誘惑に勝てなかった。
ガイヤは一瞬、躊躇するように視線を落とした。あの「氷の騎士」が、まるで恋する少年のように耳をほんのり赤くしている。その姿を見た瞬間、エナの胸は、言い知れぬ絶望感で満たされた。
やはり、彼はセシルを愛しているのだ。だからこそ、この縁談に前向きだったのだ。
「……セシル嬢。貴女は覚えていないかもしれない。だが、私は三年前の春、王宮の庭園で、迷っていた貴女に出会っていた」
「え……?」
エナは思考が停止した。
三年前の春。王宮の庭園。迷子。
その記憶に、猛烈な既視感があった。
「あの時、怪我をして自棄になっていた私に、貴女は自らも不安な身でありながら、小さな刺繍入りのハンカチを貸してくれた。『使ってください』と。私はその時の可憐な笑顔に、深く心を奪われたのだ。だが、当時の私は一介の騎士に過ぎず、侯爵家の令嬢である貴女に想いを伝えることなど許されなかった。だから必死に働き、勲功を挙げた。ようやく公爵家の跡継ぎではない身でありながら、貴女を妻に迎えられるだけの地位を得たのだ」
ガイヤは熱を帯びた瞳で、フードからほんの少し覗くエナの瞳を見つめた。
「今回の縁談は、私が父に願い出て、侯爵閣下に掛け合ってもらったものなのだ。貴女が無理に強いられた結婚だと思って嫌がっていると聞き、胸が痛んだ。だから、どうしても今日、私の口から伝えたかった。私は、政略で貴女を選ぶのではない。三年前から、貴女だけを妻にしたいと願っていたのだ、と」
ガイヤの告白は、あまりにも情熱的で、あまりにも一途だった。
しかし、それを聞くエナの体は、小刻みに震えていた。
悲しいからではない。
驚愕と、そして、ある一つの「決定的な真実」に気づいてしまったからだ。
(三年前の、春……王宮の庭園で、彼と出会ったのは……)
それは、セシルではない。
私だ。
当時、エナは叔父の付き添いで初めて王宮を訪れ、あまりの広さに迷子になっていた。その時、植え込みの陰で、怪我をした若い騎士を見つけ、声をかけたのだ。彼は泥と汗にまみれていて、顔もよく見えなかったが、エナは手持ちのハンカチを渡したあと、「頑張ってください」と励ました。
その時の騎士が……まさか、ガイヤだったなんて。
そして、何よりの悲劇的なすれ違い。
ガイヤが持っているというそのハンカチ。当時、エナが使っていたのは、親友のセシルとお揃いで作った、お互いのイニシャルを刺繍し合ったハンカチだった。エナが彼に渡したハンカチには、セシルから贈られた「C・M」のイニシャルが入っていたのだ。
ガイヤは、そのイニシャルを頼りに、あの時の少女が「セシル・モレ侯爵令嬢」だと思い込み、三年間、彼女を追い続けてきたのだった。
(なんてこと……。ガイヤ様が愛しているのは、セシルの名前を持った、私……? でも、彼はセシルがその少女だと思っている……!)
真実が、あまりにも残酷な形で目の前に提示された。
エナの心の中で、激しい葛藤が渦巻く。
「それは私です」と言ってしまえば、すべては解決するのだろうか?
いや、そんなことをすれば、今日、セシルの身代わりとしてここに来たこと、セシルが別の男と会っていること、すべてが露見してしまう。それは親友を裏切る行為だ。
それに、もし彼が「な何だ、セシル嬢ではないのか」と幻滅し、子爵令嬢である自分に失望したら?
エナが沈黙を守っていると、ガイヤは彼女の震えを「突然の告白に対する恐怖」だと受け取ったようだった。
「……すまない。体調が悪いというのに、自分勝手な昔話を長々と語ってしまった。私の気持ちは伝えた。どうか、今日のところはこれ以上無理をせず、邸に戻って休んでほしい」
ガイヤは切なげに微笑むと、座席から立ち上がった。
「縁談の返事は、急がなくていい。貴女の体調が戻り、前向きに考えてみようと思えた時に、教えてほしい。……それでは、失礼する」
彼は深く一礼すると、馬車の扉を開け、再び激しい雨の中へと消えていった。
パタン、と扉が閉まる音が、エナの心に重く響いた。
「お嬢様、大丈夫でございますか?」
ジャンの声が外から聞こえる。エナは、ようやくフードを外した。その顔は、涙で濡れていた。
「……ええ、大丈夫よ、ジャン。戻りましょう……ヴィルロワの屋敷へ」




