第7話 看板娘
ルビが入っていったのは、大通りから一本脇にそれて、さらに奥深く進んだところにある店だった。看板を見上げたジェラルドは思わず声に出して読んでいた。
「『大鍋亭』……?」
「兄ちゃん何ぼさっと突っ立ってんだよ。邪魔だ、退きな」
繁盛しているらしく、次から次へと店の中にひとが吸い込まれていく。ジェラルドに威勢のいい声をかけてきた男も同様にドアを開けた。開いた隙間から、つい、中のようすをうかがってしまう。
「ルビーちゃん、こっち魚定食ひとつ!」
「はいっ、マスター、魚定食いちです!」
客から注文をとり、厨房に向かって声をかけていたのは、先ほどジェラルドの目の前を歩いていた部下だった。どういうことだ、と呆然としていると「入るんなら入りなよ」と後ろに来ていた客に背を押され、つい店の中に足を踏み入れてしまった。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
どうやらルビはジェラルドに気がついていないらしい。花がほころぶような笑顔をこちらに向けてくる——そんな顔はルビが騎士団の見習いとして入ってきて、半年のあいだ、ただの一度も見たことがない。
それより、なぜ俺だと気づかない……?
そこまで考えたところで、そういえば自分が変装していたことを思い出した。
とっさにジェラルドが人差し指を一本立てて一名の意を示すと、ルビは「かしこまりました、こちらのカウンターへどうぞ」とにこやかに案内をしてくれる。
いや、これは本当にルビなのか?
ふだんの態度との違いに内心動揺していると「ご注文はお決まりですか?」と笑顔を浮かべたまま尋ねてきた。
注文……注文も何も、おまえがなぜここにいるのか知りたいだけなのだが……しばらく間が空いてしまったせいで、迷っていると勘違いしてくれたらしい。
「おすすめはこちらの定食メニューですね! お魚、お肉、お野菜メインのお料理とパンとスープがついてきてお得です」
テーブルの上に置いてあったメニューはどれも庶民的な価格で、ふだんジェラルドが利用する店とは桁がひとつ違いそうだ。どんな料理が出てくるのか不安しかないが、肉や魚よりは無難だろうと、野菜定食をジェラルドは指さした。
「野菜定食ですね! 今日のお料理はごろごろ野菜のグラタンです。焼き上がりに少々お時間かかりますがよろしいですか?」
ジェラルドが頷くと、ルビは厨房に「野菜定食いちー!」と元気よく声をかけていた。そしてすぐにジェラルドの元を離れていってしまう。
「ルビーちゃん、こっち麦酒ひとつ」
「ライダさんまだお昼ですよ?」
「今日は飲まなきゃやってられんのだよ」
おーいおいおい、と泣き真似を始めた客の相手をしたり、出来立ての料理を運んだりと忙しなく店の中を動き回っている。調理場のシェフらしき頑固そうな中年男の他に、店員らしき人員はいない。ルビが給仕をひとりで担っているようだ。
そういえば——ルビは、寮の食堂の配膳がやけに手慣れていたような気がする。
「お待たせしました、野菜定食です」
そんなことを考えているうちに、ルビが相変わらずの晴れやかな笑顔をジェラルドに向けていた。
根菜がごろごろ入った具沢山のスープに、付け合わせのパン。そしてこんがり焼けたチーズがとろけたグラタン。ふわりとただよう香ばしいにおいに、思わず唾を飲み込んだ。
そっと匙を手に取って、グラタンをつつく。持ち上げれば、とろけたチーズがまとわりついてくる。おそるおそる口元に運んだところで、ルビが「あっ」と小さく叫んだ。
「あっづ!」
「も、申し訳ありません! 熱くなっておりますのでお気をつけください!」
それを早く言え! まあ、グラタンとはそういうものなので、考えなしに食べようとしたジェラルドに非がある。舌を火傷しかけたが、なんとか口の中で冷まして飲み込んだ。
差し出された水の入ったグラスを受け取り、喉を潤すとようやく落ち着いた。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ああ、問題ない……」
「あれ、この声どこかで聞いたことがあるような……」
ルビの呟きに内心ぎくりとしながらも、ジェラルドは黙々と食事を続けた。グラタンは濃厚なチーズとホワイトソースの旨味、そしてほくほくの芋が溶けあってもはや背徳的ですらある味わいだ。スープもあっさりとしているのに、野菜たっぷりで食べ応えがある。たかが下町の食堂と侮っていたが、店主の腕は確かなようだ。賑わっているのも頷ける。
だが……この賑わいの理由は、食事の美味さだけではないように思えるのはジェラルドの気のせいだろうか。
「ルビーちゃん! 今日も可愛いねえ。仕事終わるの待っててもいいかな?」
「なあ聞いてくれよ、うちの娘が口聞いてくれなくって」
「ルビーちゃんは働き者だねえ、うちの倅と結婚して義娘にならないかい?」
客の半数近くが、ルビに絡んで反応を楽しんでいるように見える。いわゆる看板娘という立ち位置になっているようだ。それを笑顔で受け流しながら仕事を続ける姿は、騎士団の見習いとして、先輩たちの細々とした手伝いを請け負っている姿に重なる。
それにしてもルビは何故、此処でたまの休日に食堂の手伝いなどしているのか——しかも、あんなに嫌がっていた女装までして。
考えながらもいつの間にか食べ終わっていた。どうやら外には待っている客もいるらしい。これ以上、長居ができそうにもなかった。グラスの水を飲み干すと、ルビを呼んで代金を渡した。
「えっ、多すぎますよ!」
「きみへの手間賃だ。取っておけ」
店を後にしたジェラルドが元来た道を辿ろうとしたときだった。
「部隊長!」
はっきりと己を呼ぶ見習いの声に、思わず足を止めてしまった。このまま歩き去れば知らぬ存ぜぬで通せたものを、自分でも愚かだと思う。
駆け足で近寄ってくるルビが「やっぱりカルセドニ部隊長ですよね」と声をかけてきた。
「説明、させてください。もうすぐお昼どきが終わるので、少し此処で待っていてもらえませんか?」
ジェラルドが答えるより早く、走り書きのようなメモを押し付けるとルビは店へと戻っていった。




