第5話 月明かりの下で
「あらぁ、そのまま唇でも奪うつもりかと思ったのに。残念、見逃しちゃったわぁ」
靴音を響かせ近づいてきたのはロベルトだった。
店にいる時とは違い、今晩は男ものの服を着ている。ただし、ブーツの踵がひどく高いうえに先が鋭く尖っていた。そんな靴でよくまっすぐに歩けるものだと呆れてしまう。
「へえ、見違えたな。これがあの見習いちゃんとは……」
よく見るとユージーンもロベルトの傍に立っている。顎に手をやりながら繁々とルビを観察しているようだ。
「ふっふーん、どう? あたしの手にかかればどんな子だって可憐な美少女に大変身よ。ユージーンも興味があるならやってあげましょうか」
「俺は遠慮するよ。ロベルトみたいな美人にはなれないだろうし」
「ま、お上手ね」
繰り広げられる呑気な会話に、頭を抱えて唸りたくもなる。ルビは慌ててジェラルドの背に隠れた。
「どうした」
「……ユージーン様にもこの姿を見られてしまった」
深いため息を吐いて、ジェラルドの上着の裾を掴む。しわになるだろうが。減点してやりたいところだが、今回は不問とした。いまのルビを見ているとどうも採点が甘くなりがちだ。
「何の用だお前たちは」
「何って、俺のところにもこの夜会の招待状が届いていたんだよ」
ユージーンは胸元から取り出した招待状をひらひらと振ってみせる。
「同伴者一名、連れてきていいっていうからさ。ロベルトを誘ったんだ」
「よりによって……」
「何よっ、失礼しちゃう! あたしがユージーンのパートナーだっていいじゃないのよ。今日がルビちゃんのお披露目だって知ってたから、あんまり目立つのもどうかと思ってドレスを控えてあげたってのにさ。ふふ、会場の盛り上がりぶりをこの目で確かめられて満足だわ」
ロベルトの目が、ジェラルドの背後にいるルビを捉える。いっそう縮こまるルビの腕を掴み、ロベルトの前に突き出した。
「だめよ、ルビちゃん。淑女たるものいついかなるときも姿勢よくいなくてはね」
「は、はい……」
ぴし、といまにも敬礼でもしそうなほどの勢いでルビは背筋を伸ばす。やりすぎではあるが素直なのは評価に値する。
「なあ、ジェラルド」
ルビがロベルトの指導を受けている間、すっとユージーンが近づいてきた。
「さっきのってさ、妬いてたんだよな?」
「……焼く? 何の話だ」
夜会の場で何を燃やすというのか。ああ、確かに人の視線は煩わしいし、すべて焼き尽くしてしまうというのは悪くない考えかもしれないが、さすがに物騒すぎる。マグノリア王立騎士団の部隊長にふさわしい思考とは言えない。
「あー……まだそんな感じか。あのさあ、下心だらけの男どもに囲まれた見習いちゃん見てて何か思わなかったわけ?」
「何か……? 面倒だな、とは感じたがそれがどうかしたか」
こりゃだめだ、と言わんばかりにユージーンはわざとらしく肩をすくめて見せた。わけのわからないやつだ。
「ルビ」
「はい……!」
ジェラルドが呼ぶと、ルビはゆったりとした足取りでこちらに近づいてくる。ロベルトに注意されたことを意識しているのだろう。姿勢や仕草が女性らしいものに変わっている。
「やっぱりルビちゃん、筋がいいわね。飲み込みが早いし、素直だし」
「そ、そうですか……ね、わっ」
ルビが躓いたので、さっと手を差し出して転ばないように身体を支えた。間近で目が合うと、へらりと気の抜けたような笑みを見せる。
「ありがとうございます」
「足元が暗いから気をつけろ」
すると、そのまま一歩踏み出そうとしたルビの表情が苦痛に歪んだ。だがそれは一瞬で掻き消えてしまって、それに気付いたのは最も近くにいたジェラルドだけだった。
すぐ近くにあったベンチにルビを座らせ、声をかける。
「どうしたルビ」
「えっ……あ、いえ何でもありません、ひゃっ」
ルビの正面に跪くと、ドレスの裾をつまんで持ち上げ、足首に触れる。はめていた手袋を外してじかに触れて確かめたが、熱を帯び腫れているようにも思われた。
「捻ったか」
「すみません、ジェラルド様……」
「何故謝る」
「今晩はもうダンスは難しいかと……ご期待に応えられなくて、申し訳ありません」
しゅん、としおれて項垂れる姿を見ていると、無性に胸がさざめいた。
「ロベルト、店までルビを連れて行く。馬車を準備してきてくれ」
「俺もロベルトと行くよ。ジェラルドは余計なのに絡まれないように、しっかりルビについていること」
「言われずともそんなことはわかっている」
二人の気配が離れていくと、初夏の庭園はしんと静まり返った。ふわりとどこからか花の香りが漂ってくる——これは、薔薇だろうか。
月光だけがジェラルドとルビを見守っている。
「よくやった」
「えっ」
戸惑いの声を上げたルビのとなりに、ジェラルドは腰を下ろした。
「今宵は上出来だった、と言っている。褒めているのだから素直に受け取れ」
「でもまだ、僕、一曲しか踊ってないですし……」
「それでも俺の恋人として鮮烈な印象を残すことに成功した。お前のおかげだ」
自分の声がどことなく甘く響いているような気がした。ぽん、とルビの頭を軽く撫でてやる。整えた髪が乱れるかもしれないが、いまはそうしてやりたい気分だった。
「……ルビ?」
こてん、と小さな頭がジェラルドの肩にもたれかかってくる。そして、すうすうと小さな寝息がすぐとなりから聞こえてきた。朝から夜会に向けてロベルトの店で準備をしていたから疲れたのだろう。呼びかけても反応がないし、完全に眠ってしまったらしい。
「俺の肩を枕にするなど……まったく、図太いやつだ」
ため息混じりの笑みがこぼれたところで、ロベルトが足早に戻ってきた。
「ジェリー、馬車の準備ができたわよ」
人差し指を唇の前に立てて「静かにしろ」と意思表示すると、ロベルトは笑みをはらんだ小声で「まっ、カワイイ寝顔」とささやいた。




