第4話 夜会
高い天井からこぼれ落ちるシャンデリアの輝きがホールを照らしている。上流階級のご夫人たちは棘を隠しながら、それとなく年若い自分の娘を自慢することに余念がない。くすくすと笑い声自体は軽いのに、ダンスホールに向ける視線ばかりはねっとりとまとわりつくようだった。
その視線が自身に集中していることを意識しながら、ジェラルドは自らがエスコートしている無垢な「少女」に声をかけた。
「シルビア、今宵も貴女は美しいですね。燦然と輝く星空から、地上に舞い降りた女神のようだ」
「あ、ありがとう、ございます……?」
困惑気味に首を傾げたルビは、ロベルト、もといマージョリーの手腕でしとやかな淑女に仕立てられていた。色白の肌に果実の瑞々しさを思わせる唇。長い睫毛は妖精の羽のようにひら、ひら、と瞬きのたびに幻想的なきらめきを魅せる。
身に纏った淡い水色の夜会用ドレスのフリルには薔薇をかたどったレースが縫い付けられ、ところどころにあしらわれた真珠色のビーズが淡い光を放っていた。
それにジェラルドが仕込んだおかげで、ルビはひととおりのダンスは踊れるようになっていた。勘所は良かったので、鍛錬終わりに個人レッスンだと言って何度か練習させただけであっさり習得してしまった。足を踏まれることぐらいは覚悟していたので、拍子抜けだ。
ちなみにシルビアというのは、人前でルビを呼ぶための名前である。
数多の視線を浴びながら、ダンスのステップを踏む。優雅にゆっくりとターンをして、見せつけるようにルビを引き寄せれば周囲からため息がこぼれた。
「悔しいけれどお似合いだわ……」
「カルセドニ様の恋人かしら」
ざわめきの中に混じる言葉に、思惑どおりの効果を実感して笑みを深くすると、ルビが「部隊長」と小声で囁いてくる。
「何か悪いことでも考えてるんですか」
「……失礼な事を抜かすその唇、塞いで差し上げましょうか」
ずい、と顔を近づければルビは勢い良くのけぞった。冗談に決まっているだろう、馬鹿者。一曲ダンスを終えたジェラルドの元に、待っていましたとばかりに令嬢たちが殺到した。
「カルセドニ様、次はぜひわたくしと踊ってくださいませ!」
「いえ、私と!」
「ジェラルド様ぁっ」
ご令嬢たちの甲高い声が重なり合い、不協和音を奏でる。思わず顔を顰めたくなるのをぐっと堪え、優雅な微笑みを口元に刻んだ。
「皆様、どうか落ち着いてください。まずは私のパートナーに了承を得なければ……シルビア?」
ちら、と視線を向けるとルビは練習どおりの言葉を口にした。
「ひ、ひとりじめするのは、よくにゃ……いですからどうぞ、踊っていらしてくださいませ」
緊張でもしているのかやけにたどたどしい。まあ付け焼き刃なのだから仕方がないか。初陣とはいえ、ルビの仕上がりにジェラルドは概ね満足している。
声をかけてきた令嬢たちの中で話し合いでもなされていたのか、さほど揉めることなく次の一曲のパートナーが決まった。何度か顔を合わせたことがある彼女の名前は確か——。
「こんばんは、リリアーヌ嬢」
「まあ……覚えていてくださったのですか?」
感激したとばかりに瞳を輝かせたリリアーヌに、ジェラルドはにこりと微笑んでみせた。
「美しい方の名を忘れたりはしません」
「ジェラルド様ったら、お上手ですわね」
くるりくるりとステップを踏み、お手本どおりの動きをこなしていく。そんな中、おとなしくジェラルドを待っている段取りだったルビが、困った顔で此方を見ているのが目に入った。どうやら紳士連中に取り囲まれているようだ。令嬢「シルビア」は、ジェラルドのパートナーとして連れてこられたというだけでも注目度が高い。そればかりではなく、この夜会に集う淑女たちの中でもルビの可憐な容貌は格段に目立っていたから仕方がないと頭ではわかってはいても、気分のいいものではなかった。
「気になりまして?」
少しムッとしたようにリリアーヌは頬を膨らませている。こういう仕草を愛らしいと思う男もいるのだろうが、ジェラルドにはただ煩わしいばかりだった。
「申し訳ございません、リリアーヌ嬢。私のパートナーはこういった場に慣れていないもので、つい、目で追いかけてしまいまして」
「あの方は……ジェラルド様とはどういったご関係なのですか?」
「彼女は身体が弱く、社交からも遠ざかっていたのですが……久しぶりに王都に来たので昔馴染みである私が案内役を買って出ているのです」
あらかじめ用意をしておいた説明をすると、リリアーヌは安堵したように息を吐いた。
身体が弱いどころか王立騎士団の見習いとして、日々厳しい訓練に耐えているのだからかけ離れているにもほどがあるのだが——いまの楚々としたルビの姿を見ていると、深窓の令嬢という言葉が似つかわしく思えてくる。ロベルトが化粧やドレスのコーディネートを手がけたおかげなのだろうが、それ以上に素地が良いのだろう。
——やはり俺の目に狂いはなかったか。
にや、と騎士にふさわしくはない悪辣な笑みを浮かべそうになったが際どいところで踏みとどまった。
「何にしても私にとって大切な女性であるのは確かです」
「えっ、それはどういう……ジェラルド様!」
リリアーヌと踊り終えると、ジェラルドはそわそわしている他の令嬢たちには目もくれず、素早くルビの元に向かった。
「シルビア、どうしましたか」
「た、じゃなかった、ジェラルド様、あの……此方の方々が、私とお話がしたいと仰って」
涙目になりながら助けを求める姿は、ルビが少年だとわかっていてもどきりとする。そもそも女のこういうわざとらしい仕草には苛立ちしか感じないというのに、どういう理屈だろう。自分でも疑問に思いながら、ジェラルドはルビの華奢な肩を抱いた。
「彼女にお話があるのなら代わりに私がお受けしましょう」
「それはひどいですよ、カルセドニ様。こんな素敵な方とお話しできる機会を我々から奪うつもりですか」
「申し訳ありません。シルビアのご両親からもくれぐれも娘をよろしく、と頼まれているもので」
不満を口にする男どもをさっと投げた視線で黙らせると、そのままルビを連れて庭園に出ることにした。周囲にひとけがないことを確認してから、ジェラルドは堪えきれずくつくつと喉を鳴らした。
「あの、部隊長?」
「見たか? あいつらの顔ときたら……しばらくは思い出すだけで愉快な気分になれそうだ」
声の調子を落としているから目の前にいるルビ以外には聞き取れないだろう。そのあたりも計算してのことだったが、ルビは慌てて周囲を見回していた。
「しーっ、静かにカルセドニ部隊長っ! 誰かに聞かれたら大変です」
「俺を誰だと思っている? 何年この外面を守り続けてきたと?」
ふっ、と軽く息を吐きながら笑うとルビは唇をギュッと引き結んだ。口紅をのせているらしく、月明かりの下で普段よりも血色が良く見える。まるで薔薇の花びらのようだ。
「そういうお前こそ、部隊長などと呼んでいては令嬢らしさが半減だぞ」
「も、申し訳ございません……っ、ひゃ」
顎をぐいと掴んで仰かせると、ルビが息を呑んだのがわかった。やはりロベルトはいい仕事をしている。どこをどう見てもルビは少女にしか見えない——潤んだ瞳、月光を浴びてきらきらと輝く肌。それでいて、ジェラルドには不快感を抱かせないとは。
「ルビ」
「な、なんでしょうか……?」
吐息が触れるほど近くで見つめ合えば、ぎしりと胸が馴染みのない軋みをおぼえてしまう。ルビの紅潮した頬がいっそう熱を帯びたように思われた。
「お前は本当に……」
そのとき、此方に近づいてくる気配を感じて、ジェラルドはルビから距離をとった。




