第3話 不機嫌と出陣
「カルセドニ隊長、少し相談事が……」
なんだか妙に苛々する。胸にちくりと刺さった棘が抜けない気分でいると、背後から声がかけられた。反射的に引き抜いた剣を喉元に突きつけると、新人隊員と思しき青年は真っ青な顔で硬直した。
「……何の用だ?」
「ひっ、なんでもありません、失礼します」
脱兎の如く立ち去っていった新人を睨み、ふんと鼻を鳴らすと、すぐ隣から軽やかな笑い声が聞こえて来た。
「はは、ずいぶんと怖いもの知らずじゃないか。ご機嫌斜めのジェラルドに声をかけるなんて」
ぽんと肩に置かれたユージーンの手をジェラルドは勢いよく振り払う。「おおこわ。毛を逆立てた猫みたいだな」などと緊張感の無いたとえであらわされて、苛立ちはさらに募った。
「ああ、猫なんて可愛いものじゃないか。猛獣だよ、きみは」
「猫だろうが何だろうが知ったことではない。ユージーン……」
「おや、どこか具合でも悪いのかな? 珍しいね、ジェラルドは人一倍健康管理には気を配っているのに」
す、と伸びてきた手がジェラルドの額に触れようとしたところで咄嗟に後ずさった。
「何をするつもりだ」
「何って熱でもあるんじゃないかと」
「やめろ。妙な噂が立ったらどうする」
「はあ、意外と他人の視線を気にしがちだよね、君は」
余計なお世話だ。ジェラルドの苛つきがいっそう増していったときのことだった。
「おはようございます」
「おはよう、ルビ」
大きなバスケットを抱えたルビが洗濯場の方へ歩いていく。よほど重いのか、時にふらつきながら進んでいくのを見かねてか、通りがかった見習い……たしかクロードと言ったか、が途中から代わりに持ってやっている。
そのさまを見て、無性に舌打ちしたい気分に駆られたが直前で正気に戻った。何を考えているのだ、俺は。
「へえ」
ユージーンはジェラルドに意味ありげな視線を送ってきた。
「何だ——言いたいことでもあるのか?」
「うわ、内容によってはただじゃ済まない、って顔してる! おお怖」
わざとらしく腕をさすったユージーンが「きみの不機嫌の原因になんとなく見当がついた、ってこと」と囁くように言った。
「何のことだ?」
「もう、とぼけなくたっていいのに。女嫌いのジェラルドにもようやく春が来た、というのは友人としては非常に喜ばしい! 恋愛は自由だからね、たとえ同性であっても」
「とぼけてなどいない。貴様はさっきから何を言っているんだ……?」
ルビを見て、刺さった棘の存在を強く感じた。じくりと疼くような感情の正体はわからずとも、何か関係はあるのかもしれない。苛立ち、焦燥、渇望……そのどれも似て非なるもの。
ジェラルド自身よくわからない感情に振り回されているのだから、他人のユージーンに言い当てられるわけなどない。
「そうだね、野暮なことはしたくないからこれ以上はやめておくよ」
ユージーンは肩をすくめ、息を吐いた。
◇◇◇
昼下がりの執務室に呼び出されたルビは、仔兎のように震えていた。ドアを背にいつでも逃げられる体勢を取っている。
「何だ、その顔は。べつに噛みつきやしない、此方に来い」
「えーっと、あの」
「来い、と言っている。聞き分けのない兎には仕置きが必要か?」
「ひえっ、わかりました、わかりましたから……」
机を挟んで向かい合うと、ルビは目を伏せたり、室内を見回したりと落ち着かないようすだった。廊下ですれ違えば挨拶などは交わすが、個人的な呼び出しは控えていたから警戒しているのだろう。ますます小動物じみている。笑いを堪えたせいでやや、凶悪な顔つきにでもなったのか、ルビは怯えたようにびくっと肩を揺らした。
「お前の初陣が決まった」
「初陣、というと……」
「俺の『恋人』としてのお披露目だな」
机の上に置かれた封筒を指差し、開けるように示す。おそるおそる手を伸ばして内容を黙読したルビがそっと元の位置に戻した。
「無理です」
「俺の辞書に『無理』は存在しない。よってお前も俺の方針に従ってもらう」
「で、でも観劇とか散策とか、そういうところから始めるのかと思いきやいきなり夜会、って! ひともたくさん集まるし……ダンスもあるということでしょう?」
「落ち着け」
狼狽えるルビを制止し、ジェラルドはにっこりと微笑んだ。この笑顔で多くの女性を失神させてきたのだが、ルビには効果はなかったらしい。しらけた顔でジェラルドを見つめ返している。
「ダンスの経験は?」
「あ……僕はマグノリア王国の端っこにある小さな村の出身ですし、その手のことよりも剣術とかのほうが慣れていて」
「安心しろ。俺がみっちり教えてやる。どこに出ても恥ずかしくないような淑女に仕立ててやろう。俺のパートナーとして、な」
ルビの鍛練のようすからすれば勘所は悪くないはずだ。動きにそつがなく、抜きん出てはいないがまあ合格と言える。運動が得意なのだろう。基本のステップさえ習得すれば、あとはジェラルドがリードしてやればいい。
「お手柔らかに、お願いします……」
「ああ、厳しく躾けてやる」
項垂れたルビを前に、ジェラルドは「覚悟しておくように」と命じたのだった。




