第2話 見習い騎士の変身
ソファに座ったままうとうとしていた。どうやら疲れが溜まっていたらしい。ルビとロベルトが話す声が遠く聞こえてくる。
「ひえっ、あっあのマージョリーさん……!」
「ふふ、観念なさいっ。あたしの手にかかれば、もとが地味な男の子だなんて誰が見てもわからないようになるんだからっ」
まったく、何を騒いでいるのやら。安眠妨害もいいところだ。ふあ、と欠伸をひとつこぼしてからジェラルドは目を開けた。
そして、呆然とした。
「……は?」
「あ、ああああの、たいちょ、違うんです。僕は反対したんですけどマージョリーさんが強引に」
ジェラルドの目の前に立っていたのは咲き初めの薔薇のように瑞々しく、可憐な娘だった。ふわふわと軽い素材のドレスを纏う姿はまるで花の妖精のようだ。
「……いったいどこのどなただ、此方のご令嬢は?」
ぼやけた頭で問えば、ロベルトが腹を抱えて笑った。
「ジェリーったら、可愛い見習いちゃんの顔を忘れちゃったわけ?」
「なん、だと……お前、ルビ、なのか?」
困ったような顔で頷いた娘――見習い騎士(男)をジェラルドはまじまじと見つめた。居心地が悪そうに俯いたルビの顎を掴んで仰かせる。
「カルセドニ部隊長……」
「黙れ。じっとしていろ」
ルビは意外と可愛い顔をしている。そう思ってはいたが、服装と化粧でここまで変わるとは予想外だった。ふだんは飾り気のない見習い騎士用の隊服を着て、長い前髪で顔が隠れがちだからだろうか。
綺麗な緑の瞳が困惑ぎみに瞬きをする。薄く頬紅をのせたおかげで頬を染めているようにも見えて、ジェラルドはなぜだか妙に落ち着かない心地になった。だいたい女嫌いの自分が嫌悪感をおぼえないのが不思議でもある。ただくねくねしているだけで見た目はほぼ男性のロベルトとは違い、ルビはいかにもジェラルドが苦手とするやわらかくて線が細い、かよわい女性然としていた。
「……合格、ということにしてやる」
「とーぜんでしょ? あたしの手にかかれば騎士団の全員をかわい子ちゃんに変身させちゃえるわよ」
「それは結構、ルビだけで十分だ」
しげしげと眺めていると、居心地悪そうにルビは俯いた。
「……おい、少し外を歩いてきても構わないか?」
「あら、もう見せびらかしたくなっちゃった? じゃあこの子の着替えは預かっておくわね」
ロベルトに礼を言って店を後にしようとすると、ま、待ってください、と震える声が背後から聞こえる。振り返れば、ルビが泣きそうな顔で扉の影に隠れていた。
「何だ? いまさら怖気付いたとでも?」
冷ややかな声音で言い放つとルビの腕を掴んだ。触れるとその細さがありありとわかる。食事を摂っているのか、疑わしく思うほどだ。
ルビは慌ててジェラルドの手を振り解いた。
「あの、隊長、この格好で外を歩くのはちょっと」
「ちょっと、何だ?」
「困る、というかなんというか、ええっと恥ずかしい……ですし」
「はっ、これは上官命令だが――? そんな理由で拒めるとでも思っているのか」
びゃっと悲鳴を上げたルビの手をふたたび掴むと、店の外へと一歩踏み出した。人気のない路地裏を離れ、大通りへと向かう。昼下がりの王都はにぎわっていて、さかんに人々が行き交っている。
「見て、あれジェラルド・カルセドニ様じゃない? 相変わらず素敵だわ」
「ねえ、となりのご令嬢はどなたかしら? まさか恋人ではないわよね」
「そんな……いままでカルセドニ卿が特別な方をおつくりになったことなんてなかったのに」
ジェラルドの姿を見つけた女性たちが、声をかけようとして逡巡している。その理由はジェラルドの隣にいる謎の娘のようだ。ルビが、騎士団の見習いとは思いもしていないらしかった。
「誰もルビが男だとは思っていないようだな。くく、ふだんは取り囲まれて身動きが取れなくなる頃合いだというのに」
「あの……楽しそう、ですね」
「まあ悪くはない気分だな。お前は虫除けとしてなかなか優秀なようだ。褒めてやろう——よくやった」
びくびくしているせいで猫背になりがちなルビをさりげなく引き寄せて、親密ぶりを周囲に見せつけると、ジェラルドを見つめていた女性たちから悲鳴が上がった。悪くない気分だ。このまま騎士団の宿舎に連れ帰りでもしたら、部隊長が女を連れ込んだと騒ぎになるだろう。それくらいルビの外見は年頃の娘そのものだった。
ロベルトがマージョリーを名乗り、経営している店「ロザリー」は「どんな方でも素敵なレディに」をモットーに、化粧や服装まですべてをコーディネートすることを売りにしている。ただ店主がアレなせいもあって、利用者は限られていた。しかも秘密厳守をうたっているおかげで、とても口には出せないような大物も密かに通っているとの噂なのだが……あまり深くを知らない方が身のためだろう。
ロベルトが騎士団を辞めて始めたのがこの店で、ジェラルドは理解に苦しんでいたところだったが、なかなかどうして悪くない仕事ぶりだ。
ジェラルドの給金を知っているから、代金はふっかけられそうだが仕方がない。ルビの仕上がりにはそれだけの価値があった。
「ええっと隊長……もう帰りませんか? 僕、もう限界です」
「こら、恋人を呼ぶのに『隊長』だなんてふさわしくないだろう。そうだな……俺のことをきちんと呼べたら今日のところは終いにしてやる」
淑女らしい振る舞いさえ叩き込めば、すぐに社交の場にも連れ出せそうだ。腕組みをして、ジェラルドはルビの言葉を待った。頬を真っ赤に染めているルビを見ていると、なんというか、もうすこしいじめてやりたくもなる。
「……ううっ」
「早くしろ。俺がさほど辛抱強くはないことぐらい知っているだろう」
「わかりました! わかりましたから、その……」
すう、と息を深く吸い込む気配がした。
「ジェラルドさま」
喧騒の中でルビの澄んだ声だけがはっきりと耳に届いた。数拍、時が止まったような錯覚を覚える。もしくは、この世界にジェラルドとルビのふたりきりになってしまったかのような、馬鹿げた空想が頭をよぎった。
「どうかしましたか、隊長?」
「……隊長に戻っている」
「し、失礼しました、ジェラルドさま」
手で顔を覆い、嘆息しながら来た道を戻る。こっそりついて来る面倒な連中がいないことを確かめたうえで、もとのロベルトの店へと戻った。
「お帰りなさい……あら? ジェリー、どうしたの? 顔が少し赤いようだけど」
「……今日は暑い。日差しが強すぎる」
「そう? 今日は初夏とはいえ涼しい風が吹いてると思うんだけど……ふうん。まあ色々あるわよねえ。さあお着替えしましょうか、ルビちゃん」
ロベルトに連れられて、ルビが店の奥へと消えていった直後。
「はぁ」
ジェラルドは深いため息を吐いたのだった。




