第20話 エメリー
散策を終え、客室へと戻ろうとしたときのことだった。
「……ルビ?」
高すぎず低すぎない、静かな声音が耳朶を打った。すぐ隣にいたルビの肩が揺れる。そして、ゆっくりと、声の方に振り返った。
「エメリー……兄、さま」
黒のワンピースドレスに白のエプロン姿の——女性が、廊下の端に立っていた。彼女……否、彼の姿を見てジェラルドの記憶が一気に蘇った。
『申し訳ありません、僕には……部隊長のご期待には応えられないようです』
新人騎士だったエメリー……エメラルドは、控えめな性格だった。誰も彼もが部隊長であるジェラルドに、自分の能力を見せつけようと躍起になっている。そんな中で、自己主張をしないエメラルドは埋没していった。特別目をかけていたわけではない。ただほかの隊員とおなじように助言をし、立派な騎士として王国のために心血を注げ、と命じてきただけだ。
——このままでは、お前は退団させられるかもしれない。
そう、書類を見ながら口にしたジェラルドはエメラルドのことをまるで考えてやれていなかった。ただ粛々と、上からの評価を伝えたにすぎない。
未熟で、愚かだった。
ルビに、ジェラルドがエメラルドを死に追いやったと言われたとき、本当に心当たりがなかったのか。気がつかないふりをしていただけじゃないのか。
彼が姿を消したとき、数多の騎士たちとおなじように郷里に逃げ帰ったものと思い込んでいた。真剣に行方を探そうともしなかった——ただ、そういうものと諦めて、気にも留めなかった。
——それが俺の、罪だ。
「カルセドニ部隊長、ご無沙汰しています」
深々と頭を下げたエメリーは、ジェラルドが知っていたエメラルドとは別人だった。姿もそうだが、立ち居振る舞いも徹底して「女性」であるし、纏う雰囲気もかつてと異なるような気がした。どこにでもいる見習い騎士だったエメラルドは、いまは面影の中にわずかに残るばかりだ。
「兄様、どうして……」
メイドとして働いているというのは、ロベルトから聞いてはいたが、すっかり女性らしく振る舞っているエメリーを見て、ルビは驚きを隠せないようだった。
「ロベルト……マージョリーさんのおかげなんだ」
エメリーは儚げな笑みを唇に載せた。
「このまま騎士団に残っていても、僕はいずれ退団処分を受けることになっていただろう。騎士の家系に生まれた軟弱者、と謗りを受けることは免れず、実家のブラックフィール家に迷惑をかけてしまう。それくらいなら、いっそ……そう思って王都の橋の欄干を握りしめていたときに、マージョリーさんに声をかけられた」
『ちょっとそこのアナタ! 死んじゃうくらいなら人生をドラマティックに変えてしまった方が楽しいしお得よ! どーお、うちのサロンでしばらく住み込みで働いてみない?』
そのままエメリーはロベルトのサロンで、しばらく匿われたという。その間に、ものは試しよ、とばかりに押し切られて女性らしく見える化粧と女装のコツを教わったらしい。
『性別なんて関係ないの! 綺麗なお洋服を着ると楽しくなるでしょう? そのお洋服に似合う自分でいられるように努力するのって悪くないと思わない?』
最初こそ抵抗があったものの、ロベルトの姿を見ているうちに、そういう生き方もあるのかと思うようになったという。
サロンでドレスの仕立ての手伝いやらモデルやらをしてお金を貯めた後、ロベルトの伝手でこのホテルでの仕事を見つけたのだそうだ。
「ホテルの支配人も、仕事仲間たちも僕が男だってことは知ってるんだ。すべて裏方の、部屋の掃除、食事やお茶の準備が主な仕事だけどすごく充実している……ようやく、本当の自分になれたような気がする。毎日が楽しいんだ」
「兄様……」
ルビが潤んだ瞳で見つめると、エメリーはそっと妹の頭を撫でた。
「心配をかけてごめんね、ルビ」
「ううん、いいの……兄様が元気でいるのなら、私」
ところで、とエメリーがジェラルドとルビの顔を見比べて言った。
「部隊長とルビ、ふたりはどんな関係? どうして、ふたりで僕を訪ねてきたの?」
「そ。それは……」
もごもごルビが言いにくそうにしていると、エメリーは「ああ」と訳知り顔で頷いた。
「ふたりは恋人同士……」
「断じて違います」
ルビがはっきりと否定したことにより、傍にいたジェラルドの胸にぐさりと言の葉が突き刺さった。
それは、そうなのだが、すこしは躊躇いとか、恥じらいとかそういうものを交えての否定を期待していただけに衝撃が大きい。
いままでの経緯をルビが説明しているとエメリーの顔がみるみる青ざめていった。
「え……男装して、王立騎士団に入って、カルセドニ部隊長にそれがバレた……?」
「そうなの! しかも男装しているときに、女装して夜会に出たりして大変だったんだから」
困惑気味にジェラルドを見上げたエメリーに、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
「でも、部隊長が親切にしてくれて……エメリーを探すのを手伝ってくれたの。本当に感謝してる」
「ルビ……そうか、よかった。カルセドニ部隊長、妹が大変お世話になりました」
「いや——エメラルド、俺は、その……」
お前に何もできずにすまなかった、その言葉を言おうとした瞬間に、エメリーはにこっと微笑んだ。その笑顔は妹のルビのものとよく似ていたので、思わず引き込まれた。
「僕はいま幸せです。だから、大丈夫ですよ」
エメリーの言葉に、ジェラルドは「かなわないな」と息を吐いた。




