第18話 ホテルの部屋は……
馬車を降りて真っ先に向かったのが、エメリーが働いているというホテルだった。ポーターがにこりと笑顔で、ジェラルドが持っていた二人分の荷物を預かった。そのまま受付へと案内される。
元は貴族の別荘だった建物を改築したというホテルは重厚感があり、高い位置にある窓から差し込む光がゆらゆらと床に波のような模様を描いていた。
「二名で予約したカルセドニだが」
「はい、承っております。本日から三泊、一室二名様ですね」
「ああ——何?」
うっかり聞き流しそうになったが、重要な誤りがあったことに気づいた。
「二部屋頼んだはずだが」
「え……いえ、確かに一部屋で予約を承っております」
受付担当が困惑したように予約帳を確かめていたところで、ルビが「あの……」と申し訳なさそうに口を開いた。
「申し訳ありません……私が一部屋で予約しました。だめ、でしたでしょうか?」
「っ、おまえ、何故」
「いつも同室で過ごしているのでホテルの部屋も一室で構わないかと。その方が部屋代も浮きますし」
ジェラルドがぱくぱく口を開閉させていると、ルビはぐっと拳を握りしめて力説する。そういえば今回の旅行に際して、ホテルや馬車の手配はふだんから秘書官を務めているルビに任せきりにし、ほとんど確認をしていなかった——完全に、ジェラルドの失態である。
すると申し訳なさそうに受付係が言った。
「当ホテルは本日満室で、空きがない状況でして……」
「む、致し方、ないか……」
鍵を受け取ると、先ほど荷物を預かってくれたポーターが二階の客室まで案内してくれた。
幸いにも予約した部屋は寮室よりもずいぶん広かった。ベッドも二つあったことに心から安堵していると、ルビが窓を開け放った。無邪気に「部隊長、見てください! 湖が見えますよ」と華やいだ声をあげる。
「ふむ……眺めは、悪くないな」
窓枠に手をかけ、ルビの背中越しに眺めたリア湖は陽光を浴びてきらきらと水面が輝いていた。水中に黄金でも隠しているかのようにも見えることから、幾人もの冒険者が湖底に潜り、宝探しをしたという伝承が残っている。さすがにいまとなっては、そのような真似をする者はいないだろう。
ふ、とした拍子にルビが振り返り、間近で視線がぶつかり合った。
「……部隊長、その」
「ああ、何だ」
ルビの呼吸が浅くなっているのが聞こえる。緊張しているのだろうか。
「どうして、一緒に来てくれたんですか?」
「迷惑だったか?」
「とんでもない! あの……心強いです。不思議ですね、部隊長が一緒にいると、何もかも上手くいくんじゃないかと思えてしまう」
どくん、と心臓が跳ねる。
ルビはやわらかく微笑んだ——それはジェラルドが見たい、と思っていた表情そのもので、いっそう胸が締め付けられた。この時間が永遠に続け、時よ止まれ……そう願ってやまないほどの幸福が、波のように押し寄せてきた。
「ルビ——俺は、」
「そろそろ行きましょうか、カルセドニ部隊長」
言いかけたジェラルドを遮るようにしてルビは促した。その瞳は普段どおりの澄んだ緑で、ジェラルドが感じているような耐え難いような熱を帯びてはいなかった。
まったく、何を浮かれているのか。自分に呆れ、うんざりしてしまう。緩んだ頬を引き締めると「ああ、そうだな」と低く呟いた。
「エメリーですか? 今日は買い出しを頼んでいて、ホテルの外に出ているんです。夕方には戻ってくると思いますが……」
フロントでエメリーの所在を尋ねると、そんな返答があった。ルビはがっかりしたような、ほっとしたような表情を浮かべている。
「よろしければリア湖周辺をおふたりで散策されてはいかがですか? エメリーが戻ってきたら、お客様のことを伝えておきますので」
「あ……そう、ですね。それではお願いします」
「承りました」
少し沈んだ面持ちのルビに「行くぞ」と声をかけると、ちょこちょこと小走りでついてきた。
「ドレスなんだから走らなくてもいい」
「あ。つい習慣で……」
移動は常に駆け足、が癖になっているのだろう。淑女としては相応しくない行動だが、騎士団員としては賞賛に値する。
「ひとまず楽しめ。せっかくの休暇なのだから」
「はい! そうですよね……私、この辺り来たことがないので新鮮です。楽しみだなあ」
数歩ひらいた距離は埋まらないまま、ジェラルドとルビはホテルの外に、一歩踏み出したのだった。




