第14話 リリアーヌ
広々とした玄関ホールに入ると、王都で人気の画家によって描かれた大きな肖像画がジェラルドを出迎えた。調度までもが派手好きの印象が強いケイン家らしい。東国からの輸入品と思われる壺が飾られているのを横目に案内されたのは、どうやらリリアーヌの私室のようだった。
扉の前に立ち、躊躇していると「どうぞお入りになって」と蜜を垂らしたような甘い声がかけられる。意を決して中に足を踏み入れると、そこにはルビがいた。
「ルビ、何があった」
ルビは騎士服を脱がされ、下着姿だった。思わず目を逸らしたジェラルドを見て、リリアーヌはくすくすと笑い声を上げる。
「あら、やはりジェラルド様はご存知でしたのね——貴方の秘書官さんが女性である、と」
「リリアーヌ嬢、どういうおつもりですか」
強張った表情のまま問いかけると、リリアーヌは小首を傾げる。
「あら、怒っていらっしゃるの? 怒っているのはわたくしの方なのに」
心外だ、とばかりに大きなため息を吐いた。
「ジェラルド様、貴方はわたくしに恥をかかせましたわね」
「——先日の、両親の前で婚約をお断りした件でしたら謝罪いたします」
深々と頭を下げたジェラルドを前に、リリアーヌは「気位の高い貴方が頭を下げるなんてよっぽどですわね」と満更でもなさそうに笑う。
「でも、わたくしは貴方に謝罪してもらいたいわけではございません。彼……いえ、彼女、シルビアと言ったかしら? 貴方の秘密の恋人であるこの方——伝統ある王立騎士団に性別を偽って女性が入団した、だなんて。ゴシップ誌が飛びつきそうな醜聞ですわね?」
リリアーヌは笑っている。何の躊躇いもなく、そうできることは明らかだった。ぐ、と奥歯を噛み締め、ジェラルドは低い声音で尋ねた。
「何がお望みなのですか」
「わたくしは、ジェラルド様を愛しています——わたくしの自尊心はさんざん傷つけられましたが、貴方が手に入るというのなら報われますわ」
自分の要望が聞き入れられると疑わない、純粋な眼差しが、ジェラルドに向けられている。
「わたくしたち、夫婦になりましょう。きっと幸せな家庭を築けるはずです」
「それが……ルビの秘密を守る条件ということですか」
奥歯を噛み締め、絞り出した声は思いのほか弱々しかった。両腕で肩を抱き、震えているルビを前に何を迷うことがある。
——俺の負けだな。
ジェラルドは笑い出したくもなった。
所詮は見目のいい見習いを利用するだけだったはずなのに、いつの間にか情がわいていた。健気で、無理難題を吹っ掛けてもいつも必死に食らいついてくる。
守ってやりたい、彼女の望みを叶えてやりたいと思い始めたのはいつからだろう。
いまとなっては、もう何もかも手遅れなのかも知れないが——と、そこまで考えたところで、
「待ってください」
ルビの澄んだ声音が思考を遮った。
「部隊長、だめです」
「ルビ?」
唐突な言葉に、ジェラルドは戸惑った。
ルビの性別を知った日から、彼女はジェラルドにとって守るべき対象だった。か弱い花のように、水を遣り、慈しむべき存在であるという意識に変わりつつあった。
それがどうだ。ルビはいま必死に、言葉を尽くしてジェラルドに訴えかけている。
「だめなものは、だめです——カルセドニ部隊長は部隊長の思うままに生きてください」
ルビは震えてなどいなかった。
衣服を剥ぎ取られても、ジェラルドに強い眼差しを向けている。
「貴方は……何者にも縛られず、自由な生き方ができるはずです。私のことなど気にしないでください」
きっぱりと言い切ったルビには迷いも逡巡もない。その姿はジェラルドの知るどんな騎士よりも勇ましかった。
「ルビ、お前には厳罰が下るかもしれないんだ」
「構いません」
ルビのまっすぐな瞳が、ジェラルドを射抜く。
呆れるほどに汚れを知らない、純粋なまなざしに怯みそうになった。下手な悪党を相手にするよりも緊張する。
「リリアーヌ様。私はどうなってもいいんです、どうか気が済むようになさってください」
「っ、あなた、どうしてそこまで……」
リリアーヌはぎょっとしているようだった。なにしろ庇われているジェラルドも驚いているくらいだ。
守っているつもりでいたのに、守られている。
なんと己の烏滸がましいことか。
「ルビ、俺は……」
「大丈夫です、マグノリア王立騎士団に入ったときから覚悟はできています」
そう言って、ルビはふわりとやわらかな表情を見せる。どんな気遣いも不要だとジェラルドに知らせた。ずきり、と痛んだ胸を押さえ、歯を食いしばる。
己の弱さや不甲斐なさが波のように押し寄せてくる。他にできることはなかったのか、と考えながらもルビはきっと受け付けないだろうことを察してしまった。
「呆れたわ……もういい、ジェラルド様なんてもう欲しくないもの!」
癇癪を起こしたようにリリアーヌは叫ぶと、ルビの着替えを手伝うように、控えていたメイドに命じた。
「リリアーヌ嬢……」
「こんな、わたくしのほうが惨めな気持ちになるなんて思わなかったわ……ひどいお方」
もとの騎士服に着替え終わったルビに「どうぞお幸せに」と皮肉混じりの声をかけると、リリアーヌは、ジェラルドもろともケイン家から追い出したのだった。




