第10話 告白
「追え——一匹も逃すな」
「はっ、第二部隊の誇りに賭けて」
精鋭部隊が逃げ惑う夜盗を路地に追い込んでいく。夜に溶け込む色の騎士服の裾をひらめかせ、寝静まった街を駆け抜ける長靴の足音が響いた。
近頃、王都を騒がせている集団で、侵入の恐れありと警戒していた貴族の屋敷に忍び込んだのを発見し、すぐさま追っ手を放った。
義賊を気取っている連中で、裕福な商人や貴族の屋敷に忍び込んでは金や高価な宝飾品を奪っていくというのが犯行の流れだった。
先日、夜盗団の侵入に気づいた年若いメイドを殺害したことで警戒レベルが一段と引き上げられていたところだ。回を重ねるごとに残虐性を増し、手がつけられなくなる前に捕縛せよとの命が下っている。
数歩離れたところから、うめき声が上がる。ぱっ、と道に血飛沫の花が咲いた。
「退けぇ、この王国の犬風情が!」
ぎらぎらとした目つきの男が部下の一人に斬りかかったようだ。すると、今度は目が合ったジェラルドに飛びかかってきた。
その手には、長剣が握られている。
「愚かだな」
大振りなその動きをさらりと受け流し、ジェラルドは引き抜いた剣で男の身体を薙ぎ払った。
瞬きの間の出来事だった。
うめき声をあげてその場に倒れ伏した男を醒めた目で見下ろしていると、背後に気配を感じた。
「……死んだ、んですか」
「いや、傷は浅い。聴取をする必要があるからな——俺ではなくマグノリア国王陛下の名の下で、この男には裁きが下るだろう」
差し出された手巾を受け取ると、薄汚い血で汚れた剣をぬぐった。ジェラルドと同じ夜色の騎士服に身を包んだルビが、捕縛用の縄できつく罪人を縛り上げる。
「カルセドニ部隊長、報告いたします。夜盗団残り三名、捕縛完了いたしました」
「結構。これで王都の夜も少しは静かになることだろう。ご苦労だった……後の始末は任せた」
行くぞ、と視線で促すとルビがちょこちょことジェラルドの後ろをついてきた。
「部隊長、秘書官殿をどこにでも連れ歩くようになったな」
「もとは見習いだったくせに、一体どういう手を使ったんだか」
部下たちがぼそぼそと会話する声はジェラルド自身にも届いている。当然、ルビにも聞こえていることだろう。
「大丈夫、気にしていません」
ジェラルドが部下たちを黙らせるよりも早く、ルビはさらりとした口調で言った。
「……僕には、目的がありますから」
片腕をぎゅっと握ったルビの凍りついたような表情を見て、ジェラルドは静かに息を吐いた。
◇◇◇
——そのためでしたら、どのような代償でも支払います。
少女の無垢な裸体を前に、ジェラルドは呆然としていた。数拍の間ののちにはっとすると、椅子の背もたれに掛けていた騎士服の上着を手早く手に取って、ルビの肩にそっとかぶせる。
「は、はは……部隊長は、私なんかに興味ありませんよね」
「そういう問題ではない、っ、くそ、どうなっている——」
思わず舌打ちしていた。
頭を抱えて悪態を吐いたジェラルドを、ルビが困惑したように見つめていた。
「説明しろ」
「えっ……?」
「お前の目的は何だ。何のために女の身でありながらマグノリア王立騎士団に入ったんだ」
「それ、は……」
ルビは唇を噛み、俯いた。言いたくない、ということなのだろうが、それを許してやれるほどジェラルドは心の広い男ではない。
部隊長としてなのか、それとも……別の理由からなのかは自分では判別がつかなかったが、何としてでも聞かねばならぬと思ったのだ。
「貴方です」
ルビはぽつり、とひと匙の砂糖を茶に入れるようなさりげなさで口にした。
「……何?」
「貴方のことを知りたいと、思ったから、です」
心臓が素手で掴まれたような感覚で、一瞬、ジェラルドは考えていた言葉を忘れた。
貴様、俺を何だと思っている——そんな甘言で動揺するような俺だと思っているのか。
そんな言葉が即座に消え失せるほど、明らかに、ジェラルドは動揺していた。それに気づかせまいとしているうちにみるみる顔がこわばっていったが、ルビはそんなジェラルドを見て怒っていると勘違いしたようだった。
「申し訳ありません、分をわきまえないことを申し上げているとは百も承知です……ですが、私は……どうしても貴方に近づく必要があったのです」
止まらない動悸と冷や汗に胸を押さえるジェラルドを、ルビはまっすぐ見つめ、その麗しき緑の瞳で射貫いた。
「私の兄、エメリーを死に追いやった貴方に——復讐をするつもりでしたので」
ささやかれたのは、甘い愛の告白などではなかった。その対極に位置するものだ。
やわらかな口調に包まれた棘と共に、ルビは鋭い視線の切先でジェラルドを穿った。
「死……どういうことだ、いったい何の」
「とぼけないでください。それともエメリーのことをお忘れですか? 貴方の部隊に所属していたエメリー・ブラックフィールのことです。たった二年前のことなのに!」
敵意をむき出しにして、ルビはジェラルドに詰め寄ってきた。いまにも泣き出しそうなルビの顔を見て、あまりにも場違いなことに——この薄紅の唇を攫ったらどのような反応を返すだろう、などと考えていた。それぐらい、状況が飲み込めていなかった。
エメリー。エメリー、ブラックフィール。
ルビの兄。
二年前。
情報が繋がらず、混乱する。
「誤解だ。俺はその人物のことを知らない——」
「そんなはずありません、エメリーからの手紙では貴方のことがしきりに出てきていました……! 皆に厳しいけれど、自分にはとても及ばない立派な方だ、と」
かすかなためらいを見せたルビに、ジェラルドは問いかけた。
「——そのエメリーは、お前とよく似ているのか?」
「多少は……ですが、母が違うので、目の色も違います。眸は深い赤で、髪は茶色の」
たどたどしい説明ではあったが、口にした特徴に合致する人物に、ようやくジェラルドはたどり着いた。
「エメラルド……そう、確かに名乗っていた新入りがいた。確かそいつの双眸は稀有な紅で……ルビ、お前と同じ、地方の出身であると」
紅色の眸をしているのに翠玉とは、変わった名前だと思ったことを思い出した。
「っ、きっとエメリーです! 私の兄様っ」
ルビはジェラルドの腕にしがみつき、瞳を潤ませて此方を見上げた。
「……その男がブラックフィールと名乗っていたかは正直覚えていない。内向的な性格で、あまり隊の者ともかかわらず、ひとり黙々と武具の手入れをしているようなやつだった」
「そう、ですか……」
エメラルドは目立たない団員だった。
彼のことを尋ねても、憶えている者はほとんどいないだろう。数多いる騎士団の見習いたちの中でも埋没し、出来が著しくいいというわけでもなかったから、部隊長級の誰かから特別目を掛けられてもいない。
思い出そうとしてみても顔でさえおぼろげだ。
「そして、ある日——エメラルドは忽然と姿を消した」
ジェラルドの言葉にルビの肩がびくっと揺れた。
王立騎士団の厳しい訓練に耐えられなくなり、脱走する団員は少なくない。そのうちのひとりである、とジェラルドは認識している。
それが……死んだ、だと?
「——何故、お前の兄が死んだとわかったんだ?」
「手紙が、届いたのです。『役立たずの僕は部隊長の期待には応えられない。もう何もかもに疲れた、僕は新しい世界に旅立つことにした。みんな、ごめんなさい……愛しているよ』、そんな文言の遺書でした」
ルビの声音は涙に滲んで揺れていた。
「エメリーのことをどうして気にかけてくださらなかったのですか? エメリーは手紙で言っていました、部隊長のことを尊敬している……貴方のようになりたい、と。どうして! 一番近くにいた貴方がっ! なんで……っ、う」
あふれる涙を堪えきれず、手の甲でごしごしと拭うルビを前に、ジェラルドはおろおろしていた。何をどうすればこの娘は泣き止んでくれるのか。
見ているだけで胸が苦しくて、呼吸さえもままならない。
「ルビ」
「っ、あ……」
自分の上着に包んだルビを、ジェラルドはそっと抱きしめた。どくどくと自らの心臓が高鳴っているのがわかる。色目を使ってきた令嬢に偽りの優しさを示している時とは明らかに違う。
ルビだからこそ、優しくしてやりたい。
この涙を止めてやりたいと思う。
「っ、離してください!」
「落ち着け。大丈夫だから……」
震える身体がゆっくりと、おとなしくなっていく。腕の中の温もりに触れて、ジェラルド自身も落ち着いていくのがわかった。
「ルビ——エメラルド、いや、エメリーは死んではいないのではないか?」
「えっ……でも! 遺書が届いて、だって、エメリーは……」
混乱するルビの頬に残る涙の跡を、ジェラルドはそっと親指でなぞった。
「手紙には、はっきりと自死を示す文言は書かれていない。騎士団を離れただけで、この街の……いやこの国のどこかでは生きているのかもしれない。そう考えられはしないか?」
「あ……」
その瞬間、ルビの瞳に希望の光が灯ったのが見えた。
「エメリーが、生きている……」
「そうだ。俺は、彼のことをよくは知らないが——お前のことなら少しはわかる」
「私……?」
ルビはきょとんとした表情でジェラルドを見上げた。
「もし俺にお前みたいな妹がいたのなら、兄として、決して泣かせるようなことはするまい」
「っ、でも……」
「それとも、俺に復讐すれば満足か? この胸に剣を突き立てるのなら手を貸してやってもいい」
ジェラルドは立てかけておいた長剣を取ると、ルビに押し付けた。
「心臓は此処だ。やるのなら一撃でやってくれ。痛みを好むような性癖はないからな」
「で、できません! そんな……私には、無理です」
「何故?」
ジェラルドに剣を押し返し、ルビは大きく首を横に振った。
「貴方を殺したい、とは、思っていません……エメリーが尊敬していた貴方にお仕えするうちに、わかったんです。最初は何で意地悪なひとなんだろうと思ったのに、いまは、カルセドニ部隊長は、その……」
ルビは困ったような顔でジェラルドを見つめた。
「まだ、わかりません……この気持ちが何なのか。でも私は貴方に死んでほしいとは思っていません」
まっすぐなルビの感情にあてられて、ジェラルドは軽く笑った。
「お前の兄はきっと、自ら死を選ぶような人間ではないだろう。少なくとも俺はそう、信じている」
「……ありがとう、ございます」
かすかな微笑みを浮かべたルビを見ていると、ジェラルドの胸は春風に包まれたかのようにふわりと温かくなった。
「この騎士団にいれば情報は仕入れやすい。お前の兄のことは俺が責任を持って調べてやる……どうだ、これでもう心置きなく騎士団を辞められるだろう?」
ルビは瞬きをひとつしてから、いえ、と応えた。
「これまでどおり、騎士団に置いていただけないでしょうか」
「わかった——お前の処遇は俺が預かる。考える時間をくれ……その間は俺の秘書官として励むがいい」
「承知、いたしました」
安堵したように息を吐いたルビに、早く着替えて寝ろ、とだけ言い残してジェラルドは自室を出た。
そのまま廊下の扉の前でずるずると座り込む。
目を閉じれば、いまにも泣きだしそうなルビの顔が眼裏に浮かんで呼吸がままならなくなる。無視し続けてきた己の変化に、いよいよ向き合わねばならなくなったことをジェラルドは理解しつつあった。




