第9話 ルビ・バトラー
「あ、あの部隊長……この部屋、ベッドがひとつしかないんですが」
「? 当然だろう、俺個人の部屋なのだから」
蒼白な顔で至極当然のことを言ったルビに、ジェラルドは首を傾げた。騎士団の寮は通常二人部屋だが、部隊長級になると個室を与えられる。だからベッドや机などの家具もひとり分しかないのは当たり前だった。ルビ用のベッドも後日運び入れる予定だが、今日は間に合わせでやり過ごすしかない。
「ぼ、僕、このソファを使わせてもらいますね!」
「お前は小柄だから別にベッドの端ぐらい使わせてやっても構わないが。俺の安眠を妨げるほどに寝相でも悪いのか?」
「そ、そうなんです! 僕、あっちへごろごろこっちへごろごろしちゃってきっとカルセドニ部隊長にご迷惑をおかけするかと!」
ソファの方が狭いから寝相が悪いなら床に落ちるのではないか……? 疑問に思わなくもなかったが、そこまで言うのなら好きにさせてやるとするか。予備の毛布を与え、寝心地がいいようにソファを改造することを許可した。
こそこそと毛布を被りながら寝巻きに着替えるルビを訝しげに見ていると、視線に気づいたルビが「訓練の傷だらけで恥ずかしいのであまり見ないでください」と蚊の鳴くような声で言った。
「傷ぐらい騎士にとっては勲章のようなものだ。俺の身体も見てみるか? 傷なんて数えきれないほどある」
「わーわーわー! そんなの見せないでくださいっ」
シャツを脱いでみせると、ルビは勢いよく顔を背けた。耳朶が赤く染まっている。男の裸など見ても何も感じなかろうに、何を乙女のように恥じらっているのか。客観的に見てもジェラルド自身のからだはほどよく筋肉がついており、傷こそあれど見栄えがする方だと思う。そんなの、呼ばわりはさすがに心外である。
「ルビ」
「なんですか……って、ぶたいちょ、服! 服着てくださいっ」
「ほら、此処の上腕を見てみろ。鍛えるにはそうだな、素振りを」
「わかりました、わかりましたから近寄ってこないでください」
「大体先ほどから何なんだお前は、見習いとはいえ騎士ならば自分の肉体を誇れ。誇れないと言うならばそうあれるべくトレーニングをだな……」
明確な拒絶に、ジェラルド自身もムキになり始めていた。じりじり距離を詰めていくと、ルビはそのぶんだけ後退りする。一般の寮室よりは広いとはいえど、さほど余裕があるわけではない部屋で、追いかけっこのようなものが始まりつつあった。
「ひ……や、やめてくださ……あっ」
ずる、と巻きつけていた毛布をルビの踵が踏んづけた。その拍子に小柄な身体が傾く。
倒れる——そう思った瞬間に、思わず手を伸ばしていた。どしん、と大きな音を立ててジェラルドは床に転がる。
「……ルビ、大丈夫……か?」
腕の中に、女性のようにやわらかくか細い身体がある。頭がぶつからないようにとっさに庇ったために、ぎゅっと、ふたりの身体同士は隙間なく密着し……密着、し——。
ふにゅり。
そこで思考が停止した。
やわらかなものが、ジェラルドの胸で押し潰されている。やわらかい。あたたかい。やわらかい。
男の身体では考えられないような、その感触にジェラルドは呆然としていた。なんだこれは。
なんなんだ、これは。
「あの……部隊長」
抱きしめたままだったルビが震える声で言った。
「助けてくださったのは非常にありがたいのですが、一旦、離れていただいても……?」
「あ、ああ……すまない」
起き上がり身体を離すと、ルビは毛布に包まり自らの身体をかき抱いた。いくらか距離を取り、潤んだ瞳でこちらを見つめる姿に思わず喉を上下させる。
「ルビ……おまえ、は」
——女、なのか?
まさか、本当に? 可愛らしい顔立ちをしているとは思っていた。全身的に小柄で、線が細い印象があるが……ただ、それだけだと思っていた。愚かなことに。
「っ……あ、あの、『僕』は……」
ルビの声は痛々しく思えるほどに揺れて、怯えているようだった。ふだんの従順なくせにどこか生意気に思える顔つきなど消え失せて、ただただか弱く脆い——ジェラルドが苦手とする、女、そのものの姿をしてルビはそこにいて。
嫌悪、するはずの対象だというのに、思わず手を伸ばしかけた。震える身体を抱きしめてやりたいという、衝動に駆られた。
拳を握り締め、衝動を強引に消し去るとジェラルドはルビから目を背けた。
「すまない……知らなかったとはいえ、女性に不躾な態度をとってしまった」
「いえ、僕が……『私』が悪いんです」
しゅるりと衣擦れの音がする。もう大丈夫です、と声がかけられるまでジェラルドは腕組みをして壁をじっと見つめていた。
恐る恐る振り返れば、寝巻きに着替えたルビはへらりと笑っていた。何事もなかったとでもいうように。できることならなかったことにしたいのだろう。
でもそれは、もうできない。
目の前にいる「ルビ・バトラー」が、自分の知る人間ではなくなってしまったような心地でジェラルドは眺めていた。
「——お前は、何故騎士団に入ったんだ?」
王立騎士団には、女性騎士はいない。それが建国当初から続く伝統である。近年、貴族お抱えの私兵などには女性が増えてきたという話は聞いていたが、いまだ道が開かれていないのが現状だ。
大体、こんな男所帯のむさ苦しい騎士団に入りたがる、年頃の娘がいるわけがない。
そう思い込んでいただけに、まさか性別を偽ってまで入団試験を受ける者がいるとは思ってもみなかった。いかに中性的であろうと、愛らしい顔立ちをしていようとルビの性別に疑いを持つことはなかった——いままでは。
「並大抵のことではないだろう、その……男のフリをして、女性が騎士団に入ろうなどというのは」
ジェラルドが言い淀んだのに気づいたらしいルビは、かすかに笑みを見せた。可憐な、小さな野の花のような微笑だった。たったそれだけのことがジェラルドの胸を強く締め付ける。
「……部隊長のお考えのとおり、私には目的がありました。そのためにはどうしても、この騎士団で自分の居場所を作る必要があったんです」
申し訳ありません、とルビは深々と頭を下げた。
「ですが、どうか、このことはご内密に……していただけないでしょうか」
——そのためでしたら、どのような代償でも支払います。
身に纏ったはずの寝巻きのボタンを、ルビはひとつずつ外していく。制止の言葉をかけるのも忘れ、ジェラルドはその艶かしいというよりかは機械的な行為に見入ってしまった。
一糸纏わぬ姿になったルビはもう、先ほどの怯えた子兎のような目をしてはいなかった。
覚悟の決まった瞳をした少女は、ジェラルドを半ば睨みつけるように見つめていた。




