第六話 背信の愛 その七
ねずみ……ねずみ、ねずみどこに潜むか分からない謎の人物。
一体誰が? もしかしたらすぐそこにいるかもしれない。例えば目の前に立ち並ぶ護衛係の中に、とか。いや、それよりもっと近い……
「殿下、さっきはほんとにさんざんでしたね。気を取り直して、夕食前にちょっと何かつまみません?」
「ルイフィールド公爵夫人から、チョコレートの差し入れいただいたんですよ!」
「モントレゾールのチョコレートです。ここの、とっても美味しいんですよね!」
そう言って、侍女三人組は「ねっ♪」と顔を見合わせてレヴィンにチョコレートをすすめてくる。どうやら、おすそ分けを狙っているらしく、レヴィンの「うん」という返事を待っているようだった。だが、長説教くらったばかりの今、さすがにそんな呑気な気分にはなれず、
「僕はいらないから、君たちで食べるといいよ」
どこか気だるい態度でレヴィンはそう言う。すると、それにやった! というような表情で、侍女達は顔を見合わせる。そしてその差し入れとやらを手に、控えの間へと軽やかな足取りで戻ってゆくのだった。
相変わらず無邪気な侍女、ラシェル、フィリス、ティーナ。だが、無邪気なように見えて、ここにもしかしたら冷酷無比な間諜が潜んでいると考えられないこともないのだ。無邪気に見えても実は……、
レヴィンの背に怖気が走った。
重症だな。
疑い出したらきりがない、誰も彼もが容疑者に見えてしまう。その非生産的な考えにレヴィンはうんざりすると、ならば容疑者の可能性の高い人物を絞り込んでいこうと、頭の中でこれまでのことを整理していった。
まず、暗殺騒ぎのあった時、僕が外出することを知っていた人間。僕付きの侍女、侍従、御者、門番、リディア、フレイザー、エトセトラエトセトラ。うーん、ここから絞るのは該当者が多くて中々厳しいな。ならば、僕の行く先、あの洋品店へ行くことを知っていた人物をあげてゆくと、リディア、フレイザー、御者、とかなり絞られる。でも、リディアは身をとしてまで僕を守ってくれたから、除外、となると……御者か、フレイザー、か。御者の可能性も無い訳じゃないが、それよりもフレイザーの方かな。彼は僕が襲われた時その場に居ず、リディアに指示されてその後犯人を追っていったが、見事取り逃がしている……。それがわざとであったなら……。近衛兵でありながら、実は魔法使いでもあったと考えれば、出発を知らせたり居場所を伝えたりの一連の行動は不可能ではなく……いや、連絡役だけが彼の仕事なら、魔法使いである必要も無い……そう、彼が一番ねずみに近い立場にいるといえるのだ。確かに、僕らの出発さえ知れれば、後はどうにでもつけてこられるというもの。彼だけを疑うのもどうかとは思うが……。取り敢えず今は近場の堀から埋めてゆくしかないのだから仕方がない。
そう、仕方がないのだ!
何度もそう言い聞かせ、レヴィンはフレイザーを探ることを決意する。そして、更に彼を探ることへの理由づけをすべく、疑惑を探してゆくレヴィンで……。すると……。
嗚呼、思い出してみれば、ルシェフのあの女性が殺された時、僕の警護についていた近衛兵の中にも彼はいたではないか。僕が彼女と二人きりで尋問していることを知っていた数少ない者の一人、と。王宮の魔法封じを破るのはかなりの難易度を必要とするものだが、他にもいるかもしれない仲間に連絡をすれば、そうすることも可能に思える。例えば宮廷魔法使いとかに……。
それは、あくまで推測。そう、推測でしかない。だが、その推測で、まんまと疑惑の穴に嵌りそうになってしまうレヴィンで……。
そう、もしかして本当に彼が……と。
それにレヴィンは更に背にゾクリとするものを感じながら、部屋に居座る護衛係達を見遣った。今は交代しているのか、フレイザーの姿はない。ならば……。
「リディア、ちょっと」
レヴィンは、護衛係の中にリディアがいるのを確認すると、彼女の名を呼び側に来るよう手招きした。
「はい?」
それにリディアは不審げな表情をしてレヴィンの元へと寄ってくる。
「ああ、君たちはちょっと外に出ていてもらえるかな、彼女と二人で話したいことがある」
レヴィンの唐突な人払いに、当然のことながら護衛係たちは困惑する。そして出ていいものかどうか悩むような素振りを見せてくるが、それを何とか納得させるべくレヴィンは、
「彼女も護衛係の一人だ、一人護衛がついていれば文句無いだろ。用事はすぐに終わるから」
その言葉に護衛係たちは釈然としないながらもうなずき、後に残す二人を気にしながら部屋の外へと出て行った。それを見送ってレヴィンは二人きりになったのを確認すると、
「殿下、一体……」
自分が呼ばれた意味が分からず、戸惑った表情をしているリディアに目を向ける。すると、
「実は、君に頼みたいことがあるんだ」
「頼み?」
レヴィンはうなずく。
「君の先輩、フレイザーの様子を逐次報告して欲しいんだ」
「殿下、それは……」
その言葉の意味するところに、驚いて目を見張るリディア。それにレヴィンはしっかりリディアを見据えると。
「そう、フレイザーを監視するんだ」
「では、殿下は彼のことを」
「う……ん、確信は無いんだけど、僕の周りにいる者の中で、一番可能性が高いかなと。はっきり疑っている訳ではないんだけどね」
「でも、何故わたくしに? 彼が疑われるべき立場なら、わたくしも当然同じだと思うのですが」
「そう、なんだけど……君は自分の身をかけて僕を守ってくれたからね。誰か他にというのも、なんだか誰もが疑わしいように見えてしまって……」
だがそれに、リディアは浮かないような顔をしており……。それを示すよう、
「……信頼していただいたことはありがたく存じます。ですが、フレイザーが間諜とは……それ程長い期間ではありませんが、共に仕事をしていた自分としては、どうも信じられず……。それに、彼は取り調べで今の所白と出ています。いえ、完全な白ではないのですが……」
彼を疑うということに思い至ることも無かったとでもいうよう、そうリディアは言ってくる。そう、主人の命令とはいえ先輩に向かってしなければならないその行為に、困惑するかのように。
すると、そんな彼女を前にレヴィンは、
「勿論僕だって、彼を疑いたくなんてないさ。でも、まだ完全に白と出ていないんなら、もっと突っ込んで調べてみる価値もあるんじゃないかと、ね。取り敢えず、身近にいたもので、一番怪しいのは誰かと考えると、やっぱりフレイザーだ。ならばまず彼を探ってみるのも手かな……と。確かに、信じられないという君の気持ちも分かる。僕だってそうだ。でも、だからこそ、彼にまとわりつく疑いを完全に晴らしたい。その為にも、是非君にやってもらいたくて……」
「はあ……」
脈がありそうな返事をしながらも、心から納得のいってない表情をリディアは浮かべる。それにレヴィンは少し不安を覚えながらも、きっと彼女ならやってくれるだろうと、意が固まるのを待つよう少し時間を置いてからその顔を覗き込む。そして、
「やってくれるかい?」
なるべく急かせないよう、返事を求めるべくそう問いかける。するとそれにリディアは少しの躊躇いを置いてから、レヴィンの期待に答えるようコクリと力強く頷いた。それを見て、途端に表情が安堵に変わるレヴィン。
「ありがとう。じゃあ、明日から早速お願いしたいんだけど」
それにリディアは深々と頭を下げ、
「かしこまりました。何か分かり次第すぐ報告したします」
忠義を示すようにそう言って、外に待つ護衛の者を呼ぶ為だろう、早々にその場から立ち去っていった。