↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹に婚約者を譲った私ですが、今度の結婚は譲りません  作者: 黒咲かぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/50

第7話 水の行く先

 上の村から人が来たのは、道を見に行く支度をしているときだった。


 モーリスを呼んでほしいという声が、玄関から聞こえた。


 私も廊下へ出ると、泥のついた長靴の男性が立っていた。帽子の縁を両手で握っている。


「水路のことで、どうしても決めていただきたいんです」


 モーリスの顔を見たまま、彼は言った。


「上の畑を先に止めろと、下から言われまして」

「まだ、止めたわけではないですね」

「はい。ただ、今日もこのままなら、向こうが口を塞ぐと」


 モーリスが私を振り返った。


「先に、水路の方を確かめてまいります。道の確認は、午後へ延ばしてもよろしいでしょうか」

「私も、伺います」


 男性が初めて私を見た。


 歓迎とは違う、戸惑った表情だった。


 馬車を使えるところまで行き、あとは歩いた。リュシーもついてくる。昨日は乾いていた道に、薄い泥がついていた。


 昨夜、短く雨が降ったのだ。


「雨が降っても、足りないのですか」


 尋ねると、男性が肩越しに答えた。


「一晩の雨では。今は川の水も減っていますから」


 彼の名はルネといい、上の村で畑を作っているそうだった。


 水路は、林の端で枝分かれしていた。


 上の村へ流れる口には、木の板がはめられている。もう一方の水は、畑沿いを下の村へ向かっていた。


 下へ向かう水路の途中で、石積みの一部が崩れ、外へ水が漏れていた。その少し先にも細い分かれ道があり、ルネが、上の村の外れの畑へ引いていると教えてくれた。


 村ごとに、別々の水路を使っているわけではないらしい。


 何人かが立っていた。こちらを見て頭を下げたが、すぐにルネへ顔を向ける。


「まだ、閉じていないのか」

「だから、話をしに来てもらった」


 下の村の男性が、モーリスへ歩み寄った。


「下まで水が来ません。上を半日止めれば、こちらへ回せるはずです」


 ルネがすぐに言った。


「こっちだって、昨日の分が足りてない。漏れてるのを塞ぐ方が先だろう」

「直すまでの話だ。上へ行く分を回せば、漏れても、今よりは下へ届く」


 マルクが、細く流れる水を指した。


「ずっと閉じろと言ってるんじゃない。今日の分を欲しいんだ」

「その間、待てと言うのか」


 私は二人を見た。


 畑にどれだけ水が必要なのか、半日止めて困るのか、判断できなかった。


 モーリスが片手を上げた。


「まず、崩れたところを直す手はあります。石は近くで用意できますが、人が要ります」

「下だけで直せってことですか」


 下の村の男性は、マルクと名乗った。


「ここは、下への水路でしょう。前に伯爵家の方が来たときも、下が面倒を見ろと言われました。だから、去年も自分たちで直した」

「上は分ける口を見ていればいいと言われたんです」


 ルネは板を指した。


「そこへ人を出して、さらにこっちもとなれば、畑の手が足りません」


 モーリスが唇を結んだ。


 私は、前に来た人のことを知らない。二人の話だけ聞けば、どちらも言われた通りにしている。


「そのときのお話は、書面に残っていますか」


 尋ねると、二人は私を見た。


「こちらに、書いたものはありません」

「館には、報告があると思います」


 モーリスが答えた。


「では、そちらも確かめて……」

「水は、今日欲しいんです」


 マルクの声が強くなった。


 リュシーが私の半歩後ろで動いたが、何も言わなかった。


 ルネも、こちらを見ている。


「どちらを先にするか、決めていただけませんか。前の方は、すぐ決めてくださいました」


 私は濡れた石を見た。


 命じれば、上の口は閉じられるだろう。私には、その判断をする立場がある。


 けれど、閉じたあと何が起きるのかを知らない。


「今すぐ、どちらかを止めるとは言えません」


 マルクが息を吐いた。


 私は急いで続けた。


「故障したところへ、今日、水を流したまま手を入れられるかは、確かめたいです。詳しい方はいらっしゃいますか」

「石を組めるのは、下の村のセザールです。ただ、今は別の家の修理に行っています」


 モーリスが答えた。


「今日、話を聞けますか」

「夕方には戻るはずです」


 私は二人へ向き直った。


「夕方まで今のままだと、間に合わなくなる畑はありますか」


 マルクは水路の先を見た。


「今日一日で枯れるわけではありません。ただ、明日もこれなら、困る家が増えます」


 ルネも、上の畑は今夜までは待てると答えた。モーリスに尋ねると、村で聞いている状況も同じだという。


「では、夕方に方法を確かめて、明日の作業を決めさせてください。急に水が減るなど、様子が変われば、館へ知らせてもらえますか」


 マルクは少し迷ってから頷いた。


 それだけでは、皆が納得しないことも分かっていた。


「それまでは、今の口を動かさずにいてください。漏れているところに草や枝が溜まっているので、取れるものだけ、お願いできますか。危ないところには触れずに」


 言い終えて、モーリスを見た。


 彼は崩れた石を見直し、今の水量なら脇の枝は取れると答えた。


 マルクはしばらく黙っていた。


「今日中に、もう一度話をしていただけるんですね」

「はい」


 その返事だけは、はっきりできた。


 ルネが帽子を被り直した。


「では、畑へ戻ります。夕方には来ます」


 人が散ると、水の音が聞こえるようになった。


 マルクだけが残り、溜まった枝を棒で引いていた。足元の石が動くと、一度離れ、安全な場所から棒を伸ばし直す。


 私も枝を拾おうとして屈んだ。


「そこは、乗らないでください」


 彼に言われ、手を止めた。私の前にある石は、下の土が流れていた。


「踏むと崩れます。さっき話していたところです」

「すみません」


 私は乾いた土の方へ退いた。


 役に立ちたいと思っただけでは、作業の邪魔になることもある。リュシーも裾を寄せて、同じ場所まで下がった。


 棒が届かない枝を、モーリスが反対側から動かす。やがて水が少し滑らかに流れ始めた。


「これで、下まで戻りますか」

「少しは。ただ、漏れるところは残っています」


 マルクは濡れた枝を道の端へ置いた。


「決めてくれれば、それに合わせて動けます。畑を空けるにも、家で話さないといけないので」


 私は頷いた。


 夕方にもう一度話すという返事が、彼の今日の予定を変えている。館へ帰ってから、やはり疲れたので明日にと言える約束ではなかった。


「先に知っておいてほしいことがあれば、モーリスへ伝えてください。私にも聞かせてもらいます」


 マルクは棒を肩に担ぎ、短く礼をして去っていった。


 私は、どこへ漏れ、どこへ流れているのか、もう一度見た。


 外へこぼれる水を、手で戻すことはできない。


 簡単なことのはずなのに、どちらへ先に渡すかと聞かれると、何も言えなくなった。


 館へ戻る途中、モーリスが言った。


「こちらで手配をしておきます。お嬢様はお疲れでしょうから」


 私は足を止めかけた。


 任せてしまえば、部屋で待っていられる。


 誰も、それを責めないかもしれない。


「書面を、私にも見せてください」


 モーリスがこちらを見た。


「先ほどは、決められませんでした。けれど、夕方にお話しすると言ったので」


 彼は少しだけ間を置き、承知しましたと答えた。


 午後に見るはずだった道は、翌日へ延ばした。御者にはモーリスから事情を話してもらった。


 書庫で古い報告を探す間、私は机に水路の形を描いた。


 上の村へ向かう線と、下の村へ向かう線。


 モーリスに確かめると、私が下の村だけへ行くと思っていた細い水路から、上の村の外れの畑にも水を引いているという。


 私は線を一本、書き足した。


 窓の外では、まだ日が高かった。


 夕方までに何が分かるのか、心細かった。


 それでも紙を畳まず、モーリスが持ってくる書類を待った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。