第47話 残った約束
婚約の解消が決まるまで、フィオナは何度か同じ問いに答えた。
春の式を延期するだけでは駄目なのか。もう一度会えば、考えが変わるのではないか。
彼女は、そのまま結婚を進める意思はないと繰り返した。
母に、もう少し落ち着いてから返事をすればよいと言われた日には、部屋へ戻って考えた。アランが迎えに来てくれれば、今度は違う言葉で話せるだろうか。
けれど、彼へ求めているのは、以前と同じだった。自分だけを選んだと、迷いなく答えてほしい。
アランがその約束をできないままなら、春を過ぎても、同じ会話をすることになる。
次に尋ねられたときも、フィオナは返事を変えなかった。
アランも、侯爵家で同じ確認を受けていた。
両家が協議したのは、本人の意思だけではなかった。
既に注文した品の代金、贈り物の返却、招く相手へ知らせる文面。どちらが何を負担するか、書面で整理する必要があった。
姉との婚約を変更したときにも、家同士で手続きをしている。今度は、その相手とも結婚しないことになる。
侯爵家も伯爵家も、何の影響もないとは扱わなかった。
フィオナは、父から進み具合を聞いた。
注文済みの品については、取り消せるものと、既に仕上がったものを分けて確認した。今回の婚礼を決め、注文を出した両家が、それぞれ引き受けた費用を整理することだった。
解消の書面へ名を記す日、フィオナは手を止めた。
北領で、姉に、嫌だったと言われたときには、今になってそんなことを言われてもと思った。
今は、自分も、前に答えたことを変えるために署名する。
紙から名を消すのではない。婚約を終えるという新しい返事を残すのだった。
父は、机の向こうで署名を待っていた。
姉の婚約を変えたときには、自分が名を書くことを嬉しいと思った。家の中で、自分の望みが通ったのだと分かった。
今は、父の顔を見ても、嬉しそうにはしていない。
「書いたあとに、やはり式をしたいと言っても、元の予定には戻せない」
父が確かめた。
フィオナは頷いた。
やめたいと答えれば、それで次に欲しいものを用意してもらえるのではない。終えるための返事にも、残るものがある。
彼女は紙へ目を戻した。
フィオナはペンを取った。
アランも別の家で意思を確認し、両家の書面が揃ったあと、正式に解消が成立した。
知らせる相手へは、両家で決めた文面を送った。
春の式は行わない。今後の縁については未定である。
詳しい言い争いを、家の外へ説明することはしなかった。
だからといって、誰も何も考えないわけではない。
解消後、侯爵家が今後の縁について意向を尋ねた家から、断りの返事が届いた。
家同士の付き合いがあり、アランもその家の娘と挨拶したことがあった。話す機会を設けるくらいなら、応じてもらえると思っていた。
父は息子へ、封を開いた手紙を渡した。
『当家の娘にも将来がございます。お相手を変更されたのち、その婚約も解消された経緯を踏まえ、今回はお話をお受けできません』
アランはその文を二度読んだ。
「僕の話を、直接聞いていただくこともできないのですか」
「面会を断られたのだ。こちらが会いたいと言えば、会ってもらえるわけではない」
父は答えた。
「一度目には、お前はオデット嬢よりフィオナ嬢を望んだ。二度目には、その相手と結婚しないと決めた。次の家が、自分の娘にも同じことが起こると心配するのは当然だ」
アランは手紙を机へ置いた。
オデットに婚約を変えたいと伝えたとき、彼女が頷けば、話は整うと思っていた。返事を待つ間も、自分が断られる方になるとは考えなかった。
「オデット嬢が異議を述べなかったことを、お前の選び方が正しかった証拠にはできない」
父の言葉に、アランは口を開きかけた。
彼女も納得した、と言えば、あの日と同じことになる。
北領で聞いた、平気ではなかったという声を思い出した。
アランは何も言えず、手紙を自分の方へ引いた。次の相手に説明するより先に、会う約束を断られていた。
翌朝、アランは父から任されていた書類の確認へ向かった。婚礼の品を選ぶはずだった午後は、予定が空いていた。
フィオナへ贈る品の相談が、予定からなくなっている。商人へ用意させた見本を戻すよう頼み、自分が決めたものを一つずつ片づけた。
彼は、次に誰へ贈るかを考えて、箱を取っておくことはしなかった。
父から見せられた返事は、書類入れへ残した。相手を知りたいと思うだけでは、相手の家から信じてもらえるとは限らない。
今まで約束したことを、自分が変えた。その事実は、次の相手へ会う前から伝わっているのだった。
ヴェラン家でも、フィオナは父と話した。
母も同じ部屋へ座っていた。
「お前の望みを優先して、姉との婚約を変えた」
父が言った。
「今度は、その婚礼を取りやめた。本家にも、侯爵家にも、費用と説明の負担が残った」
フィオナは膝へ手を置いた。
「次の縁では、家の都合を先に考える。お前が気に入った相手だからという理由だけで、話を動かすつもりはない」
彼女は顔を上げた。
「私の気持ちは、聞かないのですか」
「正式に決めるときには、本人の意思も確かめる。だが、お前が望むだけで、家同士の条件を変えることはしない」
父は答えた。
「望まないと答えれば、話は整わない。だが、だからといって、お前の気に入る別の相手を、すぐ探してくると約束することもない」
フィオナは膝の上で指を重ねた。
断る返事をすることと、そのあとに自分の望みが通ることは、同じではなかった。
フィオナが望んだ相手を、父が探してくれるという話ではなくなった。
母が、隣から声を掛けた。
「お姉様は、我慢したでしょう。今度はあなたも、家のことを考えなければ」
フィオナは母を見た。
前は、姉が頷くことを、母も当然のように受け取っていた。
今は同じ言葉が、自分へ向けられている。
「お姉様は、北へ行ったわ」
「あなたにも、同じことを用意するとは言っていない」
父が答えた。
フィオナは黙った。
新しい相手の名は出なかった。明日からすぐ別の婚礼を始めるという話でもない。
けれど、姉なら譲ってくれるから自分は望みを通せる、という場所には戻れなかった。
母は、しばらく屋敷で落ち着いて過ごしましょうと言った。
それは慰めでもあったが、次の縁が決まるまで、外で話を増やさないようにという意味もあった。
フィオナは部屋へ戻った。
机には、姉から来た結婚の知らせが置いてある。父の手紙とは別に、オデットが妹へ送った短いものだった。
北領で暮らすことと、フェルナンの求婚を受けたことが書かれていた。
おめでとうと返事をすることは、まだできなかった。
フィオナは便箋を出した。
婚約を終える書面よりも遅れて、姉の正式な婚約の通知も本家へ届いた。母から、姉の式も春になると聞いた。自分たちが式をやめたばかりの春に、姉だけが花嫁になる。家の外で、二人のことを並べて話されるのが怖かった。
『式を、秋まで延ばしていただけませんか。今は、お姉様をお祝いする気持ちになれません。少し待ってくだされば、私も落ち着けると思います』
結婚を取りやめてほしいとは書かなかった。日を延ばすだけなら、姉も聞いてくれる気がした。
便箋を折りかけ、以前の婚約を変えた日のことを思い出した。
自分のために、姉が待っていた結婚そのものを譲った。今回は日だけなのだからと考えたところで、指が止まった。
北領では、嫌だったと言われた。
それでも、今までなら断られなかった頼みだった。フィオナは封をし、北へ送る便に渡した。
返事が戻ってきたとき、フィオナは、式は秋へ延ばさないという行で手を止めた。
姉が待っていた結婚を譲ったときも、寂しかったと書かれている。
母へ手紙を見せると、今度はサヴェル家とも決めた式なのよと言われた。
「私のときは、お姉様の予定を変えたでしょう」
母は答えなかった。
フィオナは手紙を持ち、部屋へ戻った。アランは戻ってこない。姉も、自分のために待つとは言わなかった。
秋までという頼みが、遠慮したものだと思っていた。その間、姉が何を諦めるかは考えていなかった。
婚礼の支度で空けた棚には、普段使う箱が戻されている。そこへ何を置くかを、アランと相談する日は、もう来なかった。




