第43話 結婚したら、どこで暮らす
次にフェルナン様が来た日は、朝から冷たい雨が降っていた。
玄関で上着を預かり、靴の泥を落としてもらった。私は応接室へ案内し、窓から離れた椅子を勧めた。
道の確認で来た日と違い、今日は地図を用意していなかった。
けれど、話すうちに、地図が必要になった。
「結婚したら、どこで暮らすか、考えてみました」
私はお茶が置かれたあとに言った。
フェルナン様は、はいと頷いた。
「私は、北領を離れたくありません」
口にしてから、カップの縁を見た。
好きだと言ってくれた人へ、早速、難しい条件を出しているのだろうか。
それでも、父へ断って残った場所を、結婚するからと黙って渡すつもりにはなれなかった。
「領地の所有権は、結婚だけで変わらないと分かっています。でも、王都や別の館で暮らすなら、ここへ戻る日を決めなければならなくなります」
私は顔を上げた。
「私は、ここを暮らす場所にしたいのです」
フェルナン様は頷いた。
「私も、自分の考えをお話ししてよいですか」
「はい」
「今の仕事を、続けたいと思っています」
私は彼を見た。
道を確かめ、町の便を調整する人。北領へ来る前にも、帰ったあとにも用件がある。
「私と暮らすために、お仕事をやめていただきたいとは思っていません」
答えると、彼は少し息をついた。
「ありがとうございます。ただ、続けると言うだけでは、住む場所も決まりませんね」
私は頷いた。
彼は辺境伯家の館から出かけることが多い。兄へ報告し、当家の決めたことを町へ伝える仕事もある。
北領へ住むなら、どの連絡をこちらで受け、何のために本家へ戻るか、相談する必要があった。
「ここから町までは、朝に出れば行けます。ですが、仕事は町だけではありません。先日、留守にしたように、遠い村へ行くこともあります」
「はい。毎日、館へ帰ってこられるわけではないのですね」
「ええ。私が隣にいることを、北領の管理の前提にはできないと思います」
私は手帳を出した。
「それは、今も同じです。急ぎのことは、まずモーリスと確かめています。フェルナン様が来られる日まで、全部を待つわけにはいきませんから」
彼は頷いた。
私は、仕事の移動を聞くために地図を取ってきた。
町と辺境伯家の館、北領の館。紙の上では、指を動かすだけで行ける距離だった。
「往復する日が増えれば、その分、仕事をする時間も減りますね」
「はい。北領から直接向かう方が近い場所もありますが、当家の館へ寄らなければならない日は、調整が要ります」
彼は勝手に、ここで全部できると言わなかった。
「お仕事で泊まる日は、先に分かることが多いのですか」
「決めて出る旅もあります。ただ、道や相手の都合で戻る日が変わることはあります」
「便で知らせていただければ、こちらでも待つ日が分かりますね」
彼は頷いた。
いつ帰るか分からない人を、毎晩同じ支度で待つのは難しい。アンヌにも、食事を何人分用意するか伝えなければならない。
「急に早く戻れた日は、食事が同じになっても困りません。道中で何を食べたかは、先に話すことにします」
フェルナン様が言ったので、私は前の煮込みの話を思い出して笑った。
暮らす場所の相談には、食卓に座る日のことも含まれていた。
遠い家の役目へ嫁ぐという考えだけでなく、この館の戸が開き、彼が戻ってくるところを想像した。
私は地図の端を押さえた。
「暮らせるか、辺境伯様やロラン様にも、お尋ねになるのでしょうか」
「はい。私の望みは、私から話します。その上で、任されている仕事を続けられる形を相談したいです」
私も、モーリスへ館の部屋や、暮らしの費用について確かめることになる。
今の収入は、私とリュシーが質素に暮らすためのものだった。人が増えても同じままでよいとは言えない。
そのことを話すと、フェルナン様は、私自身の収入と支出も含めて考えましょうと答えた。
「北領の取引が、これから必ず増えるものとして計算するのは、やめておきたいです」
「私も、そう思います」
私は頷いた。
フェルナン様が地図から手を離した。
「私は、あなたと暮らしたいです。北領で暮らす形を、まず考えたい」
私は彼を見た。
「私も、あなたと暮らしたいと思います」
結婚したいと、まだ最後まで言い切ったわけではない。
それでも、別々の望みを出したあと、同じ暮らしを考えたいと答えられた。
「できないことがあれば、先に教えてください。あとから、私のために全部変えたと言われるのは、困ります」
言ってから、少し強く聞こえたかもしれないと思った。
彼は怒らず、私にも、そうしてくださいと答えた。
「私の都合に合わせるために、北領で必要なことまで黙って変えてほしくありません」
「はい」
私は手帳へ、確かめることを書いた。
フェルナン様は、私がペンを置くのを待ち、北領の管理をどう考えているか尋ねた。
「あなたの代わりに、私が領主として決める形を望んでいるわけではありません。仕事が関わるところは相談したいですが、北領の判断はあなたへ確かめたいです」
私は頷いた。
「私も、それを続けたいです。ただ、一緒に暮らす館のことは、二人で相談することになるのでしょうね」
言ってから、私たちで、と言い直した。
フェルナン様が笑ったので、私も少し笑った。
家で暮らす夫婦を、まだ遠くの人のように考えていた。今、その片方として、私も話をしている。
「はい。私たちで、相談したいです」
彼が答えた。
私は手帳の行を一つ空け、館で二人が使う場所と書いた。
彼が家で相談して戻ってきたら、この続きを話せる。私は手帳に、今日まだ決まらなかったことを残した。
窓の外で、雨が細くなっていた。
フェルナン様が、帰る道は来たときと同じでよいか尋ねた。私はモーリスに確かめ、橋は使えるが、低い道は避ける方がよいと伝えた。
帰る前、玄関で彼の上着を渡した。
「次に来るときには、家で話したことをお伝えします」
「私も、こちらで確かめたことをお話しします」
私は答えた。
彼が手を差し出す前に、私も片方を出した。
指が重なると、さっきまで書いていた条件のことが、少し遠くなった。
全部が決まっていないままでも、次に会う約束はできた。
彼を見送ってから、手帳を開いた。
部屋の支度と、生活費。冬の連絡と、不在の日の仕事。
その上に、北領で一緒に暮らすために、と書いた。
困ることを探すためだけの紙ではなかった。




