第41話 会いたい人
朝、庭の草に白い霜がついていた。
モーリスに言われ、外へ出る前に厚い上着を取った。昼には解ける程度でも、濡れた石は滑りやすいという。
私は館の戸口で靴を確かめた。
父を見送ったあとも、北領の仕事は続いていた。
冬に館へ置く品を数え、便が遅れる場合の連絡を商人へ確かめる。モーリスは橋を見回る日を決め、使った材と支払いを帳面へ残した。
本家から、交換の書面が届くことはなかった。
私はときどき、応接室の父が座った椅子を見た。
もう一度戻しなさいと言われる声を、思い出すことがある。けれど、戸を開ければ、今日の用件を持って来た人がいる。
私が返事をする相手は、父だけではなかった。
その朝、フェルナン様から便が来た。
雪が降る前に、辺境伯領の外れの道を確かめるため、数日留守にしていたという。戻ったので、次の便の予定も確かめられるとあった。
私は返事の紙を出した。
道の連絡は、モーリスから既に渡してある。今日、彼へ相談しなければならない用件はなかった。
廊下の棚ができたと知らせたときには、小さな話にも理由を探した。
今も、冬の道について聞きたいことを書けば、訪問をお願いする形にできるだろう。
でも、私が思い浮かべていたのは地図ではなかった。
フェルナン様の顔を見たい。
声を聞いて、自分も話したかった。
『ご都合のよい日に、こちらへいらしていただけませんか。お仕事の相談ではなく、お会いしてお話ししたいと思っています』
書いてから、紙を持ち上げた。
迷惑ではないだろうかと考える。
でも、仕事以外でも会う時間を作ろうと、二人で話した。私から日を尋ねてもよかった。
私は空いている日を二つ添え、便へ渡した。
返事が届くまで、朝の用件を済ませ、手帳に残った確認をした。
その日のうちには来なかった。
翌日の午後、四日後なら伺えるという返事を受け取った。午後の間なら時間を取れるそうだった。
私はその日でお願いしますと返した。
モーリスに、午後は急ぎでなければ応接室へ用件を持ってこないよう頼んだ。必要な判断があれば知らせてもらい、ほかは朝か翌日に聞くことにした。
彼は手帳を確かめ、今の予定なら問題ございませんと答えた。
誰かを迎えるために仕事を空けることは、前にもあった。今日は、父の客でも村の相談でもなく、私が会いたい人のために空けている。
そのことを説明するのは、少し照れくさかった。
けれど、モーリスは理由を聞き直さず、午前中に見ていただく紙をまとめますと答えた。
私は礼を言った。
その夜、机に、今日中に終わらせたいことだけを残した。会う日に慌てて紙を片づけるより、先に済ませておきたかった。
リュシーへ、フェルナン様が来ると伝えると、お茶は応接室でよいですかと聞かれた。
「ええ。庭を歩くには、少し寒くなったから」
私は答えた。
何を話すのかと尋ねられたら、父のことを話すと言ったかもしれない。
でも、彼女は応接室の窓の布を掛け直したあと、茶葉の残りを確かめに行った。
待っている間にも、四日は過ぎた。
当日、私は昼の食事を済ませ、上着を選んだ。
館の中で着るものだから、作業の袖でなくてもよい。鏡へ向かい、留め具を自分で直した。
リュシーに、髪の横へ留めるものを二つ見せてもらった。いつも使う方ではなく、少し明るい色を選んだ。
「こちらで、留めますね」
彼女が鏡の後ろへ立ち、髪を整えた。
私は、派手すぎないかと聞きかけた。
今日は誰かの席へ招かれて、決まりに合う支度をするのではない。自分の館で迎えるために、気に入るものを選んでいた。
「ええ。これがよいわ」
答えると、彼女は手を動かした。
支度が済み、階下へ降りる前に、もう一度鏡を見た。少し違う色をつけただけで、訪問を待っている自分の顔が、はっきり分かった。
フェルナン様が着くと、玄関へ出た。
「お招きいただいて、ありがとうございます」
「来てくださって、嬉しいです」
言ったあと、私は彼を見た。
彼もこちらを見て、少し笑った。
応接室へ入り、お茶を置いてもらう。リュシーは隣室で縫い物をすることになっていた。
父との話が終わったと伝えると、フェルナン様は、交換はしないことになったのですねと確かめた。
「はい。戻しなさいと言われましたが、同意しないと答えました」
私はカップを見た。
「お父様は、今回の話を取り下げると。デュランさんにも、伝えてくださいました」
彼は頷いた。
「あなたの返事が、そのまま残ったのですね」
「ええ」
私は息をついた。
嬉しいと答えたいのに、怖かった声も思い出した。
「まだ、ときどき、あの場で頷いていたらと思ってしまいます」
「頷いた方がよかったと?」
「いいえ。話は早く終わったかもしれません。でも、ここにいる私は、いなくなってしまうので」
フェルナン様は少し黙った。
「私は、今ここで、あなたと話せて嬉しいです」
私は顔を上げた。
父に勝てたからでも、立派に断れたからでもなく、ここで話せることを嬉しいと言ってくれた。
「私もです」
答えると、カップを持つ手から力が抜けた。
彼が留守にしていた道の話を聞いた。泊まった村で、同じ煮込みが続いたという。
「館へ戻ったら、違うものを食べたくなりました」
「何を召し上がったのですか」
「頼む前に、同じような煮込みが出てきました」
私は笑った。
彼も、道中で食べたことを家で話しておくべきでしたと笑った。
お茶が少し冷めるまで、何を見てきたか聞いた。私も、朝の霜と、アンヌが干した香草のことを話した。
父のことだけで、今日が終わるわけではなかった。
話が途切れると、フェルナン様がこちらを見た。
「今日は、どうして私に会いたいと思ってくださったのですか」
責める声ではなかった。
私は膝の上で手を重ねた。
北領が残ったと知らせるために呼んだ。その理由を答えることもできる。
けれど、手紙を書いたときには、それより先に彼の顔が浮かんでいた。
「あなたに、会いたかったのです」
口にすると、頬が熱くなった。
「お父様のことも話したかったです。でも、それがなくても、お会いしたかったと思います」
フェルナン様は、すぐには答えなかった。
私は目を伏せかけたが、彼が静かに名を呼んだので、顔を上げた。
「オデット様。もう少し、お話ししてもよいですか」
私は頷いた。
カップを卓へ置き、彼の次の言葉を待った。




