第40話 私を選んだんでしょう
王都へ戻ったあと、フィオナは、北領の話を何度か母へした。
館が小さかったこと。根菜の煮込みを食べたこと。姉が橋の材料を確かめ、管理人と相談していたこと。
フェルナンが来ていたと話すと、母は、隣の家と親しくするのはよいことねと言った。
姉へ、嫌だったと言われたことは、詳しく話せなかった。
父が北へ出かけ、戻ってきてからも、家では婚礼の支度が続いていた。
外へ出る日に、フィオナは冬の上着を羽織るようになった。来春に向けて注文する品は、今決めなければ間に合わないものもある。
アランとの約束は、訪問のあとも続いていた。
けれど、同じ席にいても、以前のように話が進まない。
布の見本を見直したとき、彼は飾りが多い方より、もう一枚の方が似合うと思うと答えた。フィオナは、先に選んだものが似合わないのかと聞き返した。
そうではないと説明されても、二人で選び直すことはできなかった。
その日、アランは、支度の相談を終えたあと、二人で話す時間を求めた。
客間には侍女が控え、母は別の部屋で来客への返事を書いていた。
アランは椅子へ座ると、膝の上で手を組んだ。
「来春の結婚について、話したい」
フィオナは彼を見た。
「支度で、何か間に合わないものがあるの?」
「品物のことではない。予定をいったん延ばして、僕たちのことを考えたい」
フィオナはカップへ伸ばした手を戻した。
「結婚を、延ばすの?」
「両家へ、そう申し出たい」
アランは目を逸らさなかった。
「最近、話すたびに、何を言っても君を傷つける気がしている。僕も、言えばまた争いになると思って、黙ることが増えた」
「だったら、私の話を聞いてくださればよいでしょう」
「聞いているよ。けれど、布の見本で僕が違う方を選んだら、君は、似合わないと言ったのかと聞いた。何と答えればよかったんだ」
フィオナは椅子の肘を握った。
以前は、アランも頼られるのを喜んでいた。何を着るか、どこへ行くかを尋ねれば、笑って一緒に決めてくれた。
「私に頼られるのが、嫌になったのね」
「嫌だとは言っていない。……でも、あの布のことから、どうして君を選んだ気持ちまで疑われなければならないんだ」
アランは息をついた。
「嬉しかったんだ。君が僕に尋ねてくれると、自分で決めてしまった。少し迷っても、任せてくれと言った。今さら違うと言われても、困るだろうね」
フィオナは口を開きかけ、閉じた。
初めて二人で庭を歩いたとき、どちらの道へ行くかを彼に尋ねた。アランは、自分を頼ってくれるのが嬉しいと笑っていた。
姉は、先に決まったことへ頷く人だった。自分は、彼の答えを待ち、選んでもらえる人だと思っていた。
「私が頼むと、嬉しいとおっしゃったわ」
「嬉しかったよ」
アランは答えた。
「今も、一緒に決めたいと思っている。でも、僕が何でも選んで、君は気に入ったかどうかを答えるだけでは、暮らしてから困ることもある」
フィオナは首を振った。
「そんなふうに、分けて考えたことはないわ」
「僕も、初めは考えていなかった」
アランは組んでいた手をほどいた。
「あの日も、君が選んだ布でよいと言えば済んだかもしれない。でも、それなら、僕に尋ねたのは何のためだったんだろう。そう思うと、何も言えなくなった」
フィオナは、彼に、また自分へ合わせてほしいと頼もうとしていたことに気づいた。その頼み方まで変えるように言われている気がした。
彼に慰めてほしかったのに、彼自身の苦しさを話されている。
「私を選んだんでしょう」
ようやく言うと、声が震えた。
「お姉様ではなく、私と結婚したいと、おっしゃったでしょう」
「そう言った。その責任を、君だけに押しつけるつもりはない」
「では、どうして今さら」
フィオナは立ち上がった。
侍女が一歩動いたが、フィオナは手で制した。
「お姉様が、北で楽しそうだったから?」
アランはしばらく黙った。
「北領で、彼女の話を聞いた。僕が知らなかったこともあった。でも、僕たちがこれから暮らせるかは、僕たちの間で考えなければならない」
「お姉様のことを聞いたから、そう思ったのでしょう」
「今の話を、また彼女のせいにしてしまいたくない」
フィオナは顔を背けた。
姉が今も寂しそうだったら、こんなことを言われなかったのだろうか。
その考えを、声にはできなかった。
「少し言い合いになったくらいで、式を延ばすなんて」
「そのたびに、終わったことにしてきた。何を嫌だったと思ったのか、次にどう話すかは、決めないままだった」
アランの声も、少し硬くなっていた。
「今のまま、支度だけを進めることはできない」
フィオナは彼を見た。
帰ってと言えば、今日の話は止められる。
けれど、彼が帰ったあとも、来春の式を予定通りにできるとは言ってもらえない。
侍女へ母を呼ぶよう頼んだ。
母はすぐに来て、二人の顔を見た。
アランが延期を申し出たいと伝えると、母は眉を寄せた。
「もう両家で日を決め、支度を始めているのよ。二人だけの行き違いで、簡単に動かせる話ではありません」
「承知しています。父にも、今日の考えを話します」
アランは答えた。
母は、まず当主同士で相談し、理由を確かめる必要があると言った。
注文済みの品もある。招く相手へ知らせた予定もある。延期すれば、理由を尋ねられるだろう。
フィオナは、母が挙げるものを聞いていた。
結婚するための支度が、今は自分たちを引き留めるものになっている。
「今日は、お帰りになって。お父様へ、私からも伝えます」
母が言った。
アランは立ち上がり、フィオナへ一礼した。
フィオナは頷かなかった。
彼が出ていったあと、母は隣へ座った。
「まだ延期が決まったわけではないわ。こちらも、お話を聞かなければ」
フィオナは両手を膝へ置いた。
「私は、春に結婚したいの」
「ええ。分かっているわ」
母は答えた。
その返事を聞いても、アランが同じ気持ちになるわけではなかった。
夜、父へ話すと、侯爵家から正式な説明を受けてから判断すると言われた。
フィオナの希望だけで、日を変えないと決めることもできなかった。
翌日も、婚礼の品の確認が来た。
新しく費用の掛かる注文は、両家の相談が済むまで待つことになった。既に頼んだものまで、すべて取り消されたわけではない。
フィオナは見本の箱を閉じた。
父は、アランの父へ説明を求める手紙を送った。向こうでも本人の話を聞くので、返事には日が掛かるという。
母は、他の家の集まりで、こちらから延期の話をする必要はないと言った。まだ、どこまで動かすか決まっていないからだった。
フィオナは頷いた。
何も知らない人へ会えば、来春が楽しみですねと言われるだろう。今までなら笑って答えられた言葉に、何と返すか考えるようになった。
姉が北へ行く前なら、困ったことを話せば、何かを譲ってくれただろう。
今は手紙を書いても、姉がアランの返事を変えられるわけではなかった。




